昭和天皇の「象徴」解釈について/屋根掃除

Posted at 24/11/05

11月5日(火)曇り

昨夜はブラタモリを見ながらほぼ寝てしまっていて、それでも10時まではと思って起きていたが結局9時半には寝た。寝起きの辺りでどうも眠りにくい感じが出てきたので、2時ごろ一度起き出してトイレに行き、寝床の中でなるべく呼吸を深く取るように心がけ、頭から息を吸い込んで丹田に送り込み、そこから全身に息を行き渡らせるイメージで呼吸をしていたら身体は割と休まった感じがあった。ただ頭がどうも冴えてしまっていて、4時過ぎに起きてから活元運動をしながら頭をぽかんとさせて休ませたが、しばらくどうもバランスが悪い感じが残った。

ジャンププラスの更新を読んだり、ここ数日の収支をつけたり、財政状況を調べたりしていたのだが、6時近くになったので車で出かけてジャンプを買いにいき、帰ってきてゴミを捨てに行った。庭を少し見て回って、昨日作業した場所で気になる枝があったので鋸を持ってきて切った。

昨日は午前中に車庫の屋根の上の落ち葉や枝を取り除く作業をし、そこに降りかかる木の枝を切っていた。昼食後は「象徴天皇の実像」を読んでいたが、3時ごろから父が庭の一角に作ったプレハブの書庫の屋根の上の落ち葉などを掃除したのだが、思ったよりも量が多かったのと枝がかなりかかっているのがわかって、かなり大規模に枝を切り落としたり掃き掃除をしたりして、結構ハードだった。やりきれなかったのでまた次の機会にやろうと思うが、今日は夜から雨になるという予報だったからどうかな、と思っていたのだが、今見たら予報が変わっているのでできるかもしれないなと思う。

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「象徴天皇の実像」88ページまで。著者の原さんと解釈が悉く違うのでなんとも言いようがないが、それぞれの論点について原さんの見方と自分が違うところを少しずつ書いていくのもいいかなと思ったので少しずつ。

まず「日本国憲法」というものについてだが、昭和天皇自身は大日本帝国憲法のままでも十分戦後の国家運営は可能だと考えていたということは大きいと思う。改憲案でも松本試案は不十分だとGHQに一蹴され、GHQ草案をもとに審議が行われることになったわけだが、そういう経緯についても敗戦国である以上、占領当局を批判して国体問題を蒸し返されることを懸念したのだとは思うが、おそらくは恒久的なものとしてではなく、占領をやり過ごすまでは当面仕方ないと考えて受けれいたところもあるのかなという気はした。

昭和天皇ご自身は大日本帝国憲法で想定されていたような絶対君主的な君主像ではなく、イギリス的な立憲君主制を理想としていたところがあったと考えられるので、第一条の「天皇は日本国の象徴」という文言も英連邦のウェストミンスター憲章由来のものであるところから、基本的に立憲君主の「君臨すれども統治せず」の原則を述べているとお考えになったのではないかと想像する。だから第四条の「天皇は国政に関する権能を有しない」という文言も、大日本帝国憲法の「天皇は、国の元首であって、統治権を総攬し、この憲法の条規により、これを行う。」という文言と同じくある意味象徴的な文言(実務は官僚が担うから)だと解釈していたのではないかという気がする。これは戦前の現実の政治展開の場面で天皇の意に沿わない決定が実際には数多くあったという経験に基けば、そうお考えになる面はあるだろうなとは思う。

また、政府の側もつまりは憲法上は天皇を「棚上げ」したわけだけれども、実際には吉田茂が「臣茂」と記したように、天皇を蔑ろにしようというスタンスはなかったのだと思う。そういう意味では憲法に何と書かれていようとも、天皇は天皇でありそれ以外のものではない、というのが政府の側も実際のスタンスであり、また戦後解体された陸海軍や在郷軍人などの実力組織からの攻撃を避けるためにも、また国民の中でも共産主義勢力の伸張を防ぎ、脆弱になった政府の存在をそうした勢力からの攻撃を防ぐためにもなくてはならない存在だったという面もあるのではないか。

食糧メーデーで皇居にデモ隊が侵入したことは有名だが、GHQはデモ隊を暴徒と決めつけ、事件の翌日に吉田内閣に対して食糧援助を約束し、吉田は農林大臣にのちに社会党の首脳の一人になる農林官僚の和田博雄を起用して難航していた組閣が実現することになった。もちろんこれは第1党になった日本自由党の党首・鳩山一郎を組閣直前にGHQが公職追放したことによる急遽の吉田の起用もあり、GHQも当初の飢餓政策から方向を転換させて国政の安定化を図ったということもあるのだろうと思うが。

制定以来80年近くを経て日本国内に定着した時代において日本国憲法を金科玉条とする立場からは、昭和天皇の「象徴」理解を「日本国憲法の第一条を正しく理解しているとは思えない」ということになるのだろうが、流動的な現実の政治情勢の中でその役割を担うことになった昭和天皇自身がそれをどう解釈していたかというのはまた別の問題だろうと思う。


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