SHISHAMO「恋する」とかレンジの惨事とか/小学生男子を政治的に正しくするいたたまれなさ/男性ファッションの歴史/啓蒙とミーアキャット

Posted at 24/10/14

10月14日(月・体育の日)晴れ

昨日は午前中、手入れの済んだ庭を見まわったりして、連絡の用事も済ませた後ブログを書いて出かける。どうしても最近は出るのが11時ごろになる。高速に乗って、トイレに行きたくなったので原PAにより、そのあとはまっすぐ境川PAまで。車の中では携帯用スピーカーでずっと「ふつうの軽音部リスト」を聴いていた。

このリストに今入っているのは「UFOを呼ぶダンス」(ポップしなないで)「everuthing is my guitar」(andymori)「名もなき詩」(Mr.Children)「拝啓、少年よ」(Hump Back)「生活」(syrup 16g)「理由なき反抗」(a flood of circle)「怪獣の花唄」(Vaundy)「あいどんわなだい」(銀杏BOYZ)「ドラマツルギー」(Eve)「ジターバグ」(ELLEGARDEN)「リンダリンダ」(THE BLUE HEARTS)だったのだが、41話でたまき先輩が歌ったのっで「恋する」(SHISHAMO)が加わった。(ちなみに今最初SHISHAMOと入力しようとしてSHIMESABA)と打ってしまった)

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「ふつうの軽音部」を読み始める前に知っていた曲は「リンダリンダ」しかないのだが、読み始めてから知った曲がどれもよくて、今度カラオケに行ったら歌いたいと思っている曲が何曲かある。もっとも歌ってみたいのは「怪獣の花唄」だろうか。

境川PAでモツ煮弁当を買って飲食コーナーで食べて、そのまま走って石川PAでトイレ休憩し、一気に地元まで帰ってきた。昨日の行程はほぼ順調で、韮崎のあたりの対面通行で少々渋滞したがだいたいそれだけだった。昨日の朝隣町にガソリンを入れに行ったときは信号に引っかかりまくったので、その分が高速渋滞を免れる運になったのだろうか。3時のかなり前に着くことができた。

自宅についてお茶を飲み、少し休憩してから出かける。いい展覧会があったら美術館に行こうと思ったのだけど、現代美術館と国立新美術館に見たい催しがなかったのでやめにして、神保町に出かけた。九段下に出て半蔵門線に乗り換えるというルートで行ったのだが、途中でつもりを変えたので変に乗り換えに手間取ってしまった。時間も遅くなっていたのでまず文房堂の喫茶室に行ってみたが、混んでいたのでやめて書泉グランデでマンガを見て、それからディスクユニオンに行ってCDやレコードを見たのだが、どうも欲しいものがない。古い車なのでカーステでBLUETOOTHが使えないから携帯スピーカーで聞いているのだけど、なにかCDがないかなと思ったけど2000年代のオルタナティブロックみたいなものはどうも見つからなかった。まあ、もうCDの時代ではなくなっていた時期なのかなとも思う。

それからまた靖国通りを渡って東京堂で少し本を見、貸し棚形式の書店にも行ってみたがやはり欲しいものは見つからなかった。結局今ちゃんと読んでいる本が二冊あるし、聞きたい音楽もあるからこういう時にはなかなかアンテナに引っかからないのだなと思った。新御茶ノ水まで歩いて地下鉄に乗り、地元の駅で降りてスーパーで買い物。節約モードなので安めのおかずをいくつか探したが、100円台で食べられるひとり用の惣菜が結構あって助かった。このあたりは田舎より都会の方が進んでいることかもしれないと思った。

帰ってきて夕食を取ろうと買ってきたおかずをレンジで温めようとしたら、ふたを開けたら異臭がしたので何かと思ったら二週間前に帰宅したときに加熱したまま忘れていたカフェオレだった。牛乳だけならヨーグルトになる(食べないけど)だけなのだが、コーヒーが混ざっていたから腐敗して異臭がしたようだ。結局レンチンは諦め、レンジ自体をベランダに出してふたを開けたまましばらく開放して異臭を逃がした。朝起きてから匂いを嗅いだら無くなっていたので元に戻して、とりあえず中を拭き掃除をした。

食べながらテレビを見ていたのだが、「ダーウィンが来た!」が毒のある動物特集で面白かった。毒のある貝はこれは怖いなと思った。

何となくひとつのことに区切りがついた感があり、9時前には休んで、わりとよく寝て、起きたら3時前だった。頭に浮かんだことを少しメモして、ジャンププラスの更新を読んでからもう一度寝たが、あまりよく寝られず、6時前には起きだした。

散歩に出かけてセブンでお金をおろし、モバイルスイカにチャージしてスピリッツを買って帰った。

***

車の中で最初NHK-FMの「伊集院光の百年ラジオ」を聴いていたのだが、1962年の香川放送局の番組で「12月8日は何の日?」というのを学校で子供に聞く、という企画があり、子どもたちはほとんど答えられなかったのだが、誰かが太平洋戦争の開戦の日だということに気づき、真珠湾攻撃などの話題で盛り上がっていた。

当時はそんなに戦争に罪悪感がなくて、子どもたちが無邪気に出撃した日本側の艦船の名前を挙げ、その中でも詳しい子は出撃したのが何隻で兵員のうち何人が帰還できなかったとか出撃した戦艦の名前、航空母艦赤城、金剛、蒼龍、瑞鳳などと並べ立て、真珠湾にいた米軍にどの程度の損害を与えたかということを立て板に水式にぺらぺら話す子がいて、そういえば当時は子ども向けの雑誌などでもそういう特集が行われて、男の子たちは夢中になってそういうのを読んでいたりしたのだよなと思った。

子どもたちの遊びも「戦争ごっこ」が結構盛んで、いろいろ作戦を立てて相手の陣地の旗をどうやって取るか、みたいなことに熱中していた。1962年というのは私の生まれた年だが、私が小学校に入った1969年の頃でも土管の置いてある空地とか(まさにドラえもんの世界)水の湧くちいさな滝の横の祠のある崖とかが子どもたちの遊び場で、放課後は結構そういうところにいたりしたことを思い出すので、私とは少し時代が違うがそういうものだったよなと思う。

伊集院さんは「自分たちの子どもの頃は戦争ごっこではなく仮面ライダーごっことかウルトラマンごっことかになっていたけど中身は似たようなものだと思う」というようなことを言っていたが、初代ウルトラマンが1966年なのでそのあとしきりに再放送されていたから、ウルトラマン世代はある程度幅広いと思う。仮面ライダーは1971年だから私が3年生の時で、仮面ライダーごっこも結構流行った記憶はある。

そういう世代の子どもたちの様子は今ではあまり想像しにくいかもしれないのだが、基本的に男の子はみんな戦争とか軍艦とかそういうものが好きだったし、その遺伝子は現在も軍オタとか「艦隊これくしょん」などに引き継がれたのだろうなと思う。

私はそんなにそういうものにはまったわけではないが、野田秀樹の演劇のデビュー作ともいえる「走れメルス」の中で同じように「戦艦金剛、戦艦比叡、航空母艦赤城、金剛、蒼龍、瑞鳳、その両側左右には重巡洋艦愛宕、那智、高雄、妙高、熊野・・・」と続くセリフが出てきて、野田さんは私より7歳上なので、ちょうどインタビューを受けた世代の子どもたちが小学校に通っていた頃野田さんも小学生だった時期だろうと思う。

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男の子たちが戦艦の名前などで盛り上がる一方、女子にマイクを向けると「私は女の子やから興味がない」と言っていて、まあそんなものなのだが、そのあとに「お母さんの言葉」みたいなのが流れて、「子どもは戦争のことを何も知らんけど大変だったし子どもや兄弟が兵隊に行っていつ帰ってくるか心配だった」みたいなことを言いだしたのでラジオを消したのだが、まあ番組の狙いとしてはその言葉を聴いた後で子供たちがどう思ったかを聞く、みたいなことだったとは思うのだけど、まあそうなると無邪気な子供たちも「答えなければならない「正しい」言葉」、つまりは当時はまだそんな言葉はかけらもないが「政治的に正しい言葉」を子どもなりに選び出す感じになったのだろうなと思って、いたたまれない気持ちになったわけである。

確かに男の子たちというのはもともと「戦争」は好きなんであって、それがウルトラマンであれ仮面ライダーであれ、「戦う」ということにかっこよさや暴れたい本能みたいなものを発散するのが当たり前のことなのだと思う。私はリベラルな家庭に育ったからそういうものは割と否定的に見られているなという雰囲気は感じていたから自重はしていたけど、子どものころ遊んだ思い出というのは無くなるわけではないので、懐かしさは感じたし、NHKが現代だったらまあ政治的に正しくないとされるような録音を流してくれたことはよかったなと思う。

今の子供たちはいったいどういう遊び方をしているのだろうか。子どもの野蛮さを政治的に正しくするいたたまれなさに晒されてないといいのだがとは思うのだが、女湯の幼児の男子の騒動などを見ていても、なかなか子供のが伸び伸びと素直に育ちにくい時代なんだろうなとは思う。

***

「レコンキスタ」「歴史学はこう考える」は読み進められていない。いろいろ考えて自分の修士論文を引っ張り出して再読してみたりする。あまり目新しい面白いことは書いてはないけど間違ったことも書いてないという感じではある。過去の自分の達成もとりあえず振り返ることに意味はなくはないなと思ったりする。

アフリカとファッションについて考えていたのだが、どうしても女性ファッションの方がよく出てくるので、男性ファッションについて自分なりにまとめてみたいなと思っていたら自分の本棚に川北稔「洒落者たちのイギリス史」(平凡社ライブラリー)という本を見つけた。また「王様の仕立て屋」の監修者である片瀬平太さんの「スーツの適齢期」(集英社新書)、中野香織「スーツの神話」(文春新書)なども出て来たので時間のある時に読みなおしてみようと思う。

***

ツイッターを見ていて思ったのは、世の中には「大人を啓蒙しようとする人」が結構多いなと思った。もちろんその中には啓蒙というスタイルを借りてマウントを取っていたり人を攻撃したりしている人も多いのだけど、そういう時に「啓蒙」というスタイルを取れば社会的に許される、ということもあるのだろうなと思う。ある種の妄想を啓蒙しようとする人もいるのは困ったものなのだが。

私は基本ツイッターでそういうことをする気になれないなと思うのだけど、それは逆に言えば啓蒙というのは金をもらってやること、つまり「仕事として教えることをとらえている」からだな、ということは思った。先生という職業の人は教え病というか、教えるのが好きで仕方のない人がいるのだが、ツイッターなどではあまり見ない。

まあ、それはその教える内容に突っ込みを入れる人たちがたくさんいるからだろうなとは思う。論争したくて教えるわけではないから、まあそんな野獣の檻のようなところでものを教えたいとは思わないというのはあるだろうなとは思う。それにツイッターにはその教える内容についてもっと詳しい人はいくらでもいるわけだし、便宜的な教え方をしてると「掛け算順序問題」みたいに突っ込まれあげつらわれる可能性もある。教えるという行為は相手に聞く耳があることを前提としているから、逆に聞き役に回るとありがたがれる面はある。

「啓蒙する」「教える」「勉強する」など、ものすごく基本的というか本質的な人間の営為について、それがどういう意味なのかはもう少し考えてみたい感じはするなと思っている。

話のついでに少し書いておくと、昨日の「ダーウィンが来た!」でミーアキャットがサソリのつかまえ方、食べ方を子どもに特訓する場面が出てきて、最初ははさまれたりしてうまくつかまえられないのだけど、そのうちうまく毒針を抜いて食べられるようになるというスパルタ的な場面が放送されていて、教育の原型というのはある種こういうものだよなと思ったりした。(下のリンクは以前の放送のもの)

https://twitter.com/nhk_darwin/status/1725831215477834160


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