電子書籍が広げる本やマンガの世界/「歴史学はこう考える」御成敗式目に見るその当時の常識理解の難しさ/「レコンキスタ」婚姻関係と分割相続が作る歴史

Posted at 24/10/11

10月11日(金)

昨日は朝のうちに職場から作業場に本棚を運ぶ。朝から庭師が入り、打ち合わせをしていろいろお願いする。電話がかかってきて預かる荷物の配達の連絡が来たので、お茶の用意をして職場に出かけ、冷蔵庫等を受け取る。買い物をして帰ってきて作業場で本棚を組み立て、収納できずにいたマンガをだいぶ棚に収めたのだが、一般書籍ではまだ収納できてないのがあるのだけど、どのように配架するかのプランがまだできてないので、収めていない。

それにしても今頭の中で数えてみたが自分の持っている本を収めている本棚だけでもう17くらいあるのではないかと思う。場所が分散しているのでどこに何があるかも把握しきれていないのだが。そのうちのかなりの部分はマンガが占めているのだが、これはどうしてもマンガの単行本は物理的に量が多くなるためで、それでも「HUNTERxHUNER」はほぼKindleで持っているとかスペースを節約しようという指向はあるのだが、ものによってはやはり紙の本で持ちたいというものもあり、どうしても増えるという面もある。

逆に、「葬送のフリーレン」のように描写が繊細で綺麗なものの場合、目が衰えてしまって細かいところを堪能しにくいため、あえてKindleで持っているものもある。拡大が容易だというのは電子書籍の強みの一つだと思う。

電子書籍が出だした頃、昔の友人と話をしていたら、量が多くなるから、とか手に入りにくいから、という理由で読んでなかった昔のマンガをKindleなら手軽に手に入れられるし量も嵩張らないから読んでいる、といっていて、これは本当にそうだよなと思った。私は昔の作品を今更読むよりもどう時代のものを追いかけるほうが楽しいのでそういうことは「あまり」していないけど、電子書籍が広げる本やマンガの世界、というのも確実にあるよなと思う。

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「歴史学はこう考える」第2章104ページまで読了。史料批判に伴う諸問題についていろいろ検討されていて、なるほどと思うところが多かった。

ただ、史料批判の例に戦前の官僚のジェンダー観に関わる記述を引用して批判しているのがいささか党派世を感じた。戦前と現代の「常識の違い」の例として持ち出しているのだが、現代だって古風なジェンダー観を持っている人はいて、間接的に彼らを批判しているというえぐみがある。

彼の書いている内容は当然ながら現在学界主流になっている考え方で貼るのだけど、そういう意味でのバイアスがかかっているとは言えるわけで、そういう意味でこの本自体を史料批判したくなる部分はあるなと思った。現代アカデミアやマスコミの論調におけるジェンダー観も永遠不変のものではないし、すべての人に受け入れられているわけでもない。数十年経ったらこの記述はそういうふうにみられる可能性はあるようには思う。

ただ、御成敗式目の読解は困難である、という指摘は結構目から鱗が落ちたというか、面白いと思った。中国古典など参照すべき体系がある律令制度の方が考え方が理解しやすい、古典的知識を習得すれば理解できるものであるけれども、御成敗式目は北条泰時が「当時の武士たちの「常識」に従ってわかりやすく制定した」ものだと言っているように、そうした参照すべき他文献が少なくとも最初からあるわけではない。つまり、まず「当時の武士たちの常識とはどのようなものだったか」がわからないとその法体系の妥当性もわからないということになる。また逆に、なんとなくの基準としてこれくらい、みたいな感じで御成敗式目で定められたものがその後は絶対的な一つの基準になったり、制定された内容そのものが常識に影響を与えている面もあるわけで、制定前の幕府の判例と制定後の判例の比較みたいなことも必要だというのはそれぞれ面白い。現代であっても「常識とはどんなものか」というのは問題になるわけで、それは先に述べたジェンダー観自体が「疑うべき常識」であるわけだけど、数十年経ったら現代の常識というのもどの程度の支配力があったのかとかもきっとわかりにくくなっているわけで、そうした「時代感覚に依拠した法令」というのはふわっとしていて問題含みになるのだなと改めて思った。AV新法とか女性保護法体系なども再検討が必要になってくるのだろうとは思う。

ただ御成敗式目の影響力は武士の時代を通じて江戸時代でも残っていたわけで、この辺りは先日読んでいた「喧嘩両成敗の誕生」などにも関わってくることだなと思ったりした。読んでいる本は関係ないようで後の読書に関連してくることはよくあるが、史料批判論を読んでいて喧嘩両成敗につながってくるのはちょっと予想外だった。

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「レコンキスタ」。第5章142ページまで。スペインを支配したベルベル人王朝のムラービト朝とムワッヒド朝の特徴がそれぞれあまり掴めてなかったのだが、後ウマイヤ朝とその後の第一次タイーファ時代は割と享楽的な爛熟した文化の時代であり、ムラービト朝はそれを粛正する宗教運動が背景にあり、正統派マーリク派の法学者の力が強い王朝で、ムワッヒド朝の方は自らを救済者マフディと唱え、神の唯一性タウヒードを重視することからムワッヒドと呼ばれたとのこと。(この辺りはWikipediaを参考にしています。)

1085年のトレード征服はレコンキスタにとって大きな達成になったが、その危機を乗り切るためにイスラム側のタイ―ファ諸国は宗教原理主義的なベルベル人のムラービト朝のアミール・ユースフを招き入れることでアルフォンソ6世に勝利したが、タイーファが領地から取り立てた貢納を軍事費名目でアルフォンソ6世に上納していたことを問題視し、タイ―ファ諸国を滅ぼして併合してしまう。これはカスティーリャ側には金貨の流入が止まったことを意味したため混乱が生じた。またユースフはイスラム社会での裁判官階層を統治者として重視したためアンダルス各地で裁判官家系カーディーが台頭したとのこと。

トレドを征服してレコンキスタを劇的に進めたのはカスティーリャ王アルフォンソ6世(1040?-1109)だが、その後ムラービト朝の軍隊には負け続けるが王と仲が悪かった(2回追放された)エル・シッド(1043?-99)だけが彼らに勝ってバレンシアを征服し、その領主として亡くなったと。彼はフランス古典悲劇のコルネイユの「ル・シッド」でも取り上げられている。

アルフォンソ6世がトレードを征服した際、モサラベ(イスラム治下のキリスト教徒、アラビア語を話せる場合が多い)ムスリムもユダヤ人もそのまま居住を許されたのでトレードがアラビア語文献からラテン語・カスティーリャ語への翻訳の拠点となったと。

読んだのはアルフォンソ6世の娘のウラカがブルゴーニュ家のガリシア伯ライムンドと結婚したが夫が早世して自ら女王となり、再婚したアラゴン王アルフォンソ1世とは不仲で離婚後は戦争まで起こったが、ライムンドとの間の息子のアルフォンソ7世がまた再び勢威を回復したみたいなことや、アラゴン王国がバルセロナ伯領と婚姻関係から連合王国を組んで、こちらもサラゴサを征服するなどムラービト朝の弱体化に乗じて占領範囲を広げていき、またポルトガルもカスティーリャ女王ウラカが奮闘しているうちに独立王国として認められるなどの展開があって、グアダルキビル川上流にまでキリスト教勢力が進出していく中で、ムワッヒド朝が来襲する、というあたりまでである。

婚姻関係による王朝移動がよく起こるのと、統一を成し遂げた王の後にほとんど必ず分割相続があってまた分裂し、また誰かが統一するというような、フランク王国のメロヴィング朝時代みたいなことを繰り返していて、系図が非常に複雑になっている。ロシア、というかキエフ=ルーシ以降のリューリク朝系列のルーシ諸国の歴史を読んでいても結構大変なことだなと思ったが、まあ日本でも源氏の末裔やら藤原氏の末裔やらが各地で勢力をもったりしているのと似たようなことなんだろうなと思ったりした。

今日は母を病院に連れていくのでここまでで。

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