「HUNTERxHUNTER」連載再開/アジア版NATO問題/「レコンキスタ」11世紀封建革命論/「歴史学はこう考える」利用されることで権威を高めた江戸期の朝廷

Posted at 24/10/08

10月8日(火)雨

いろいろ忙しく、雨が降ると不都合なこともあるのだが、午後には病んでくれるといいのだけどさてどうなるか。昨日はこのところ滞っていたことをだいぶ整理・進捗させられたところがあったのはよかった。ただ、秋アニメの「妻、小学生になる」の第1回を録画し損なっていたことがわかり、ちょっと残念。何かの機会に探してみたいと思う。

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「HUNTERxHUNTER」のジャンプ本誌での連載が再開し、第401話「月光」が掲載された。ストーリーはかなり忘れていたので先日出た38巻を軽く読み直していたのだが、最後の400話のラスト一コマでクラピカが出てくるが401話にはうまく繋がらないのでその前の37巻を読むと、クラピカが各王子たちの護衛たちに念能力を教えている下りが出てきて、その中でマオールと言う第5王子の護衛に能力を与えている。これが388話で、37巻は2018年に連載された分なので、実質的に6年越しと言うことになる。これは「呪術廻戦」の連載が始まった年で、「呪術廻戦」の連載終了の次の号にこの話が掲載されたと言うことになる。

401話は同じく第5王子の護衛・ロンギとのやりとりなのだが、ここでいろいろと「真相」や「ビヨンド・ネテロの真の目的」らしきもの、そして「彼女自身の真の目的」が明らかにされるのだが、この辺りはネタバレにもなるので(とは言えもうネット上ではだいぶ語られているとは思うが)とりあえずは書かない。まあ相変わらず、冨樫義博さんは天才だよなあとは思うのだが。ただ文字が多すぎるしそのために吹き出しでなく絵の上にも書かれているので読みにくくはあるのだが。

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政治についていろいろTwitterなどでは書いていたりするのだが、ここではまだあまり書くほど情勢がはっきりしていないので国際的なことだけ少し書いておくと、アジア版NATOの問題はどこにあるかと言えば、アジアが対ロシアのヨーロッパのような比較的一枚岩ではないと言うこととヨーロッパに比べて歴史的背景が多様であることから、NATOのような包括的な同盟関係は難しいが故にアメリカが各国と個別の安全保障関係を結ぶとともに従来のASEANの枠組や「自由で開かれたインド太平洋」、QUADの外交・安全保障枠組などの網をかけつつ重層的な対中牽制を構築してきたわけで、実現可能性をあまり考えているとは言えないアジア版NATOの構想そのものが東南アジア諸国の不信を買う、と言うことはあるだろうと思う。

特にその考え方の背景に米中二大軍事大国の間でバランスを取る等距離外交の思想があるように感じられるのが台湾有事が現実的な問題として語られている現在においては「中国に擦り寄る」ことになってしまうので、これは中国に大きな付け入る隙を与えたことになってはいないかと言う懸念はあるわけである。

岸田・菅と総裁選決選投票において石破支持を示した人たちは国内政治はともかく外交に関してはどう考えていたのか怪しいのだが、政治資金問題への対応を見てもとにかく旧安倍派の影響力を削ぎたいという思考しか感じられないのが残念なところで、この時期の国内政局の不安定さは問題が多いのだが、なるべく安定的かつ現実的な選挙結果になると良いとは思う。それがどう言う形なのかは今ひとつよくわからないところもあるのだが。

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「レコンキスタ」第4章「力関係の逆転」を読んでいる。11世紀、キリスト教世界では農業革命、つまり荘園的三圃制農業が発達して生産力が上がり、多くの人口を養うことができるようになって、各地の自立性の高まり、つまりは封建社会化が進行し、また商業革命が起こり流通が盛んになるとともに海上遠征が盛んに行われるようにもなって特にイタリア商人が地中海各地に進出し、また教会でもグレゴリウス改革が進行するとともに宗教権力の世俗政治への介入が強まってシチリア征服のノルマン人たちの動きが対異教徒戦争として認可され、11世紀末の十字軍につながっていく、と総括がなされていた。「封建革命論」そのものには賛否があるようだが(参考文献にはBisson,T.N."Feudal Rebolution"が挙げられていたが、邦訳はないようだ)、全体の描写としては構図としてわかりやすいなと思う。11世紀の社会的・経済的勃興が12世紀ルネッサンスという文化の成果に結びついていくと考えるのもわかりやすい。

後ウマイヤ朝の分裂後、アンダルス(イスラム・スペイン)は地方政権(ターイファ)が乱立する状況になったのだという。ターイファの中には古くからのアンダルス定住者が作った地方政権があり、セビーリャなどがそうだという。またそれとは別に新たに軍事力として導入されたベルベル人によるものがあり、それがグラナダなどだという。また、「白人奴隷」として兵力にされていたスラブ人が作った地方政権もあったといい、ムルシアやバレンシアなど地中海岸にそうした政権もあった、というのはへえっと思った。

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これらの地方政権の時代、第一次ターイファ時代は政治的には分裂していたが文化的には爛熟していたということで、上のリンクに書いたカリフの娘にして詩人のワッラーダの恋人として知られるイブン・ザイドゥーンが王都コルドバからセビーリャに亡命していたことなどが思い出される。98ページ途中まで。

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「歴史学はこう考える」第1章第3節「記録を使う」。ここに挙げられているのは新大陸征服後のスペインの例と江戸時代の11代将軍家斉の太政大臣任官問題についてなのだが、ここでは松平定信の寛政の改革以来歴史に依拠した幕府の権威づけが進められる中で、征夷大将軍任命の際の「宣旨」ではなくより上位の「詔」によって任命されることを目指す、などの動きがあったという。詔を出す朝廷の機関は既になかったのだがそれでも幕府はきちんと形式を踏むことを求めたのは、朝廷や貴族から幕府が侮られることがないようにという意識が働いたからなのだという。

しかし、律令制度時代の機構を既に維持できなくなっていた朝廷について考えてみれば、そのように幕府が自分を荘厳するために朝廷を利用することによって、朝廷自体が荘厳されていくことにつながった、というパラドックスがなるほどと思った。彼の太政大臣任官は1827年(文政10年)のことなので、朝廷では尊号問題で幕府とやり合った時期の光格天皇が既に譲位して上皇になっていて、息子の仁孝天皇の在位期間なのだが、光格天皇は閑院宮家から傍系相続した天皇ということもあり、1840年の崩御の際には従来の追号・院号でなく諡号・天皇号を復活するなど朝廷の権威を高めることに尽力しているので、幕府の権威づけを逆に朝廷の権威づけに利用したという側面もあったのかもしれないと思う。

これらの営為のために幕府では古い書籍を大量にひっくり返して典拠を求めて行ったわけで、その中には朝廷の家職で衣服の担当であった高倉家の主張をひっくり返して色を決めた例もあり、その辺りは有職故実でいつの間にかそうなっていたものを古記録によって幕府側がひっくり返したということだろうと思うのだが、高倉家側がどう反応したのかなどは少し興味があるなと思った。

こういうものは「歴史の使い方」というべきなのか、史料や古記録の使い方に過ぎないのではないか、という気もするが要は朝廷の権威を利用して幕府を荘厳しようということだから大きくは「より歴史的に権威の高い朝廷の利用」という意味では歴史の利用と言えるかなとは思う。そして利用価値を高めるためには朝廷の権威を高めなければならないわけで、それが明治維新につながったとしたらそれは歴史の皮肉だということにはなるだろう。


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