「全体を見る保守思想家」は不要か/部分最適の集合は全体最適ではないこと、など。

Posted at 24/09/23

9月23日(月・振替休日)曇りのち晴れ

今朝の最低気温は16.3度。昨日より5度くらいは低い。朝起きたのは4時前だったのだが、どうも気持ちがあまり前向きにならない。入浴した後、車でセブンに出かけて作業場の電気代を払い、カフェラテを買って帰る。少し作業場の片付けを始めようとしたらマンガのチェックシートに記録漏れが大量にあることに気がつき、それを確かめていたらなんだか疲れが出てきてしまった。

実家に戻っていろいろやろうとし、まずご飯を食べてからと思って食べたのだがあまり調子が出ず、寝転がってスマホを見ていたらいろいろなツイートやニュースを読んでいるうちにどんどんマイナスの方に気持ちが転落していって、ああ困ったなと思う。

とりあえず起き上がってMacBookAirに向かっているが、もう10時半になってしまった。

昨日奥歯が一本抜けたのだが、そういうことと、あとは福田和也さんが亡くなったことがなんだか尾を引いている感じがする。なんというか国家や社会から人間存在そのものまで全体を見る思想家みたいなものとして小林秀雄以来の伝統を継いできた人という感じがあり、その後継者はいないよな・・・と思ったということが大きいのかなと思う。

ネットで彼の死についての見解を述べている人の多くも、もうそういうスタイル、つまりは「宗教」の代わりになるような人文的な思想を提供する存在としての保守思想家、みたいなものはもう時代遅れだ、みたいなことを言っている人が多く、まあ言えばそれになれずともそれに近いものを目指していた当方としてはその批判は割と痛く感じる、ということだったのだと思う。これはまあ言えば啓蒙思想家の夢の後裔ではあるのだが、部分最適の集合は全体最適ではない、という当たり前のことからも「全体を見る思想」は必要だと思うので、それが不要だという論調が主流になった時、砂粒のような専門家の集合体がこの世界をバラバラにリードしていくだけなのか、と思うとちょっとそれはまずいんじゃないかという気はする。

まあとりあえず今日のところはあまり身のある議論は書けそうもないのでとりあえずそういう問題提起というか、そういうものとしてだけこの文章を書いておこうと思う。

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