精神生活/制作の方法/作品の形態/試行錯誤

Posted at 24/08/28

8月28日(水)曇り

かなり深く眠っていたのか、深夜にかなりの雨が降ったようなのだが、全く気が付かなかった。0時台に12.5ミリと言うのは相当の雨なのだけど、昨夜は疲れて居間でうたた寝をしてしまい、気がついたら2時台だったのでその時間は2階で寝ていなかったからかもしれない。2階だとさすがにかなりの雨音がしたのではないかと言う気はするが、昨日の睡眠はかなり深かったので(相当疲れていた)そう言うことになったのかなと思う。

一昨日帰郷した時に渋滞に巻き込まれてかなり疲れたのに夜はあまりちゃんと眠れなかったので昨日1日がかなり使いにくいものになってしまい、テレビの回線(ケーブルテレビの増幅器)を直してもらったのは良かったが、取り組もうと思っていたこと、と言うより考えること自体があまりちゃんとできなかった。頭が冴えないと言うのは本当に困ったことで、昔からそう言う時間は結構あって困っていたのだが、自分をコントロールするのが一番難しいと言うのは昔から変わっていないなあと思う。

昨日はそう言うこともあってものを作ろうと思ってもアイデアが全然出てこないという困った状態になり、どうしてかなと思っていたのだが、自分は政治や世界情勢のことは書けることは書けるがそう言う作品を作りたいわけではない、と言うことだなと思った。と言うのは、そう言う世界には自分以上の専門家はいくらでもいるから、そう言うものを踏まえた上で自分が考えたことや気になることを書いている、と言う立場だからだなと思う。文化のことは自分には言いたいことはあるが、政治や国際情勢については「このように把握している」とか「こうなるのはなぜなのか」という「自分なりに考えたこと」であって、それをあえて発信したい時もある、と言うか世界情勢が厳しくなるとそう言うことも自分の精神生活の中で大きな割合を占めてくるから、と言うことなのだなと思った。

発信したいのは、最近書いたことでいえば日本橋の誠品書店で感じたことだとか、大きな文化の流れのようなものというか、とりあえずは自分で感じた、自分で表現するしかないことだろうと思う。

国際情勢など、客観的な話というのはとりあえず書くことがなくても調べれば書けるということがあるので「毎日書く」ということだけを基準に考えればその方が書ける。そういうものに疲れてきた時に頭の中に徒然なる思いみたいなものが浮かんでそれが割と自分にとって本質的なものだったりするので、むしろ客観情勢について調べたり考えたりしながら浮かんできた時に書く、みたいな方がいいのか。

創作・制作の方法論というのは考え出すといろいろある。

***

表現の形をブログだけでなく音声配信など違う形に広げていこうといろいろ考えているのだけど、メディアの形を変えることを考えるだけで今まで考えなくて済んでいたことをいろいろ考えるようになり、何をどの程度まで表現するかなど結構センシティブな部分が変わってくるなということに思い当たる。

今朝は政治情勢的なことではなく、文化的なことで思ったことを書いてそれを音声配信にあげてみようと思っていたのだけど、どうもそちらの方面で書くことが見つかる前にあまり面白くないやりとりをネット上で見つけてしまい、ちょっと違う方向に動いてしまった。あまり文化的なことにしっかり触れられない実家にいる時にはむしろ国際情勢やマンガの話などの方にシフトして、そちらの方から音声配信なども考えた方がいいのかもしれないと思ったり。

目の疲れやその他の体調など、いろいろ絡んでくる面もあるし、そのほかにもやるべきこともあり、なかなか頭の中で思ったことを実現するのは難しい。

ただこんなふうに書いていることが後から見て試行錯誤の跡として思い返されることもあるのかもしれないなと思ったりもするのだが、いつになったらそんな暇ができるのかということも思ったりはする。

とりあえず、今日は「試行錯誤した」ということの記録として書いておくにとどめる。


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