日本橋「誠品書店」で感じたこと/「洋楽が聞かれなくなった理由」と「押し付けられる海外作品」/コンテンツの森(生態系)の中で生きているという感覚
Posted at 24/08/26 PermaLink» Tweet
8月26日(月)晴れ
昨日は早朝に車で帰京して8時半過ぎに帰宅。そのあと家でブログを書いたりいろいろやって、昼食はご飯を炊いてレトルトのカレーで済ませた。あまり直射日光が強くない感じだったので午後出かけて、駅まで歩いて地下鉄で日本橋に出た。歩きながら、iPhoneで「ふつうの軽音部」に出てくる曲をいろいろ聞いていたのだが、作中で「るりるり帝国」が演奏している「ポップしなないで」の「UFOを呼ぶダンス」を何度も繰り返し聞いていた。
地下鉄に乗ると、暑いせいもあるだろうけど、自分の向かいのロングシートに座った7人全員がマスクをしてなくて、もうそういう時期になったのだなあと思う。日本橋で降りて丸善に行ってもほぼ誰もマスクをしていない。なんとなく「音声配信」に関係のある本を探してみたのだがほぼ何もない。というか、YouTubeなどの本にしても、松本の丸善の方がまだ数がある感じがした。
西大島の城東郵便局に簡易書留を取りに行く用事があるので、どこかで都営新宿線に乗らないとなあと思いながら日本橋を渡って、三越前の地下街でタロー書房に入る。ここでも少し本を探したが、トイレに行きたくなったのでコレド室町の中に入ったが、ずいぶん客がいた。
タロー書房を出て北端まで歩き、地上に出てさらに中央通りを北に行くと、二階の窓に「誠品書店」と書かれているのが見えたので行ってみた。
本の配置が普通とかなり違う感じがするし、何となく若い人向け、かつ中国系の外国人向けの感じがするなあと思いながら本を見て回ったのだが、丸善もそうだけど「自分は買わないけどこういう本あるよな」と思うラインアップが目に入ってきて記憶の層に沈殿されていく感じがした。これは地元の書店ではなかなか感じないことで、「とりあえずよまないけど、あれはなんだろう」と感じさせる本がいろいろ並んでいるということは、自分にとっては面白いだけでなく、結構大事なことなんじゃないかと思ったが、またこれはあとで書こうと思う。
これを書く前にもしかしてとは思っていたのだが、いま調べてみて誠品書店というのは台湾の書店チェーンだということを確認した。なるほど雰囲気が違う。Wikipediaで見るとこの店の運営自体は有隣堂がやっているということで、なるほどとこれもある意味納得した。
有隣堂は以前、横浜の店舗によく行っていたが、面白いものが置いてあるのに押し付けがましくない、というのが特徴で、これが東京の書店のそっけなさや丸善ジュンク堂系の書店のややガチャガチャした押しつけがましさとは違う。Wikipediaには2019年にできたとあるのでもう5年になるのだが、行ったのは初めてだと思う。少なくとも今まで言った記憶が残っていない。
さらに北上し、休日のビル街を抜けて岩本町駅に出た。ここは想定よりかなり歩いて、かなりくたびれた。電車に乗ってほっとしてしかしあっという間に西大島。郵便局まで歩いて簡易書留を受け取り、駅に戻ってバスで最寄りのモールまで行った。
モールの中はやはりこういう季節には過ごすには本当にいいなと思う。日曜日ということもあり、家族連れが多い。ノジマ電機に行って必要なものを少し探したが、結局スマホ用の三脚だけ一つ買った。それからスーパーで夕食の買い物をし、歩いて帰った。かなりくたびれた。
牛乳を買わないとと思って500ミリのパックを探したがいいのがなかったので結局1リットルのものを買ったのだが、帰ってきて消費してしまえと思い、暑いから何杯も冷たいまま飲んだら、どうも腹に来てしまった。子どものようなことをやってしまった。
***
なんというか東京の大きな書店のビビッドさというのは、なんというか厳しい書籍通しの生き残り競争の中で、何らかの理由でそこにある本がこちらに語りかけてくる、というようなところがあるのだと思う。ネットでいろいろ調べているときは、自分が関心を持ったことしか調べないので、世の中でいまどのようなものが出てきているのかとか、そういうことが分からない。ある意味で言えば、テレビの画面のようなものと言えばいいか。私は今はニュースやアニメ以外はほとんどテレビは見ないのだが、ときどきふと見た番組から、ああ、こういうものがあるのかとか、今はこういう動きがあるのだなと認識することはよくある。ただそれはテレビの画面という小窓を通して見た世界なので、要は基本的に他人ごとなわけである。
しかし書店に並んでいる本を見ることは、現にそこにその本を並べた人の意図があるわけで、もちろんその向こうにはその本をつくった著者や編集者の意図もあるわけである。それが町の喧騒の中で、あるいは人が手に取り、手に取ったものを戻し、などしているビビッドな動きがそこにある。
そういうのを見ていると、自分が今までたくさんの本を手に取り、たくさんの本を買ったり、書棚に並べたりしてきた自分が積み重ねてきたものも、今自分がここに書こうとしていることも、ネットで何かが引っ掛かったそれも、すべてがつながりがあるように感じられる、ということなのだなと思った。
膨大なコンテンツの山が書店にはあり、街を歩いているたくさんの人たちもある意味文脈を持った存在、いわばコンテンツなわけで、その中の一人として自分がいて、自分がどういう文脈で何をやろうとしているのか、その文脈がより見えやすくなるところが東京という場所にはあるし、逆に自分の中の文脈もそういう東京という場所の中ではぐくまれ作られてきたものなのだなと再認識した、と言えばよいのだろうか。
いろいろな事情があって今は郷里に引っ込んでいる時間が長いが、そうなると結局東京で起こっている様々な出来事の文脈から自分が切り離されているということをいやでも自覚せざるを得ない。世界とのつながりはネットその他でなくはないのだけど、膨大な名前の付けられていない大量のコンテンツとしての街の喧騒のようなものは田舎にはなく、逆に数百年前からそこにあり続けてきた人たちとの関係のような、動かしにくい何かがそこにあるのだなということは思う。
東京のコンテンツの中にいることで様々なものをエネルギーとして自然に吸収したり、そういうことは現実にあるなと思った。東京が制作的に良い環境であるというのは、そのように様々なものが自然に入ってくる環境だから、ということなのだなと改めて思う。
***
最近感じること、というか以前からなぜなんだろうと思っていたことがある。80年代も現代も、外国から様々なコンテンツが入ってくるという点で変わりはないのに、なぜ80年代は割と感覚的にしっくりして、今はどうも違和感があるんだろうということを考えていた。
今朝寝床の中で考えていて思ったのは、80年代までは日本側の呼び屋が様々なものを海外で見つけてきて買い集めて日本で公開する、という形だったのが、現在では向こうから日本側にこれがいいと押し付けてくる感じになっているということなのではないかと思う。80年代は日本側の買い手が買い集めてくるから、日本で受けそうなもの、受け入れられそうなものを集めてくるのでこちらも割合違和感なく接することができた、ということなのではないかと。
逆に現代では向こうが世界戦略的にこれを売りたいから日本でもこれを売る、という売り手の側のエゴが押し付けられてきているかそれにこちらが違和感を感じるということなのではないかという気がする。
おそらくは韓流等はまだ日本受けするものを日本側と共同開発しているものがあるようには思うが、BTSや歴史ドラマのように全くそれを考えていないものもあるだろう。ディズニーのドラマにしても弥助騒動にしても日本側のマーケティングをほとんど考えていないから、当たらないときは全く当たらないし、「洋楽が日本で聞かれ無くなった」というのも同じ理由だろう。以前はクイーンなどのように、「日本でしか売れていない洋楽バンド」というものがあった。それが日本でウケたことをきっかけに世界的に売れていくというパターンがあったわけだ。そういう形で日本の洋楽シーンは世界につながっていた。
それが切れたのは、私の感覚では「We are the World」ではなかったかと思う。それまでは日本でしかウケないようないわばカルト的・趣味的なバンドでも生き残れていたのが、そういう趣味的なバンドの居場所がなくなり、彼らの「普遍的な」価値観、それは善悪に関わらずだが、を歌うようなバンドの時代になったのではないかという気がする。極端に言えば、ポリコレとアンチポリコレしかない、というような。
日本人から見て魅力的なバンドが無くなれば、日本人が洋楽を聞かなくなるのはある意味当然だし、そういうある種カルト的なバンドを見つけてくる目利きのような呼び屋も今はいなくなったのではないかという気がする。YouTubeなどを見ていれば、これは日本に読んだら受けるんじゃないかというバンドもなくはないのだが、彼らも日本が勝負すべき市場とは感じられないだろうから、なかなか難しいんだろうなとは思う。
私自身、21世紀になってからの洋楽シーンに本当に関心が持てないし、日本ロックにしても「ふつうの軽音部」が出てきてようやく新しいバンドに目が開かれているような状況だから、本当に聞いている人たちにはまた違う感想があるのかもしれないのだけど、とりあえず自分が思ったことを書いておこうと思う。
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