無条件降伏論とは何だったのか/イスラエルの攻撃にムカつく理由/誘導兵器と特攻作戦/国家の戦争経験を歴史的資源に
Posted at 24/08/19 PermaLink» Tweet
8月19日(月)曇り
昨日は東京に帰ろうかと思ったがいろいろやっていたらお昼頃になり、考えた結果帰らずに実家で1日のんびりすることにした。アニメの録画を見たり漫画を読み返したり。というより昨日書いたように「ふつうの軽音部」にかなり時間を割いたのだが。34話までのサブタイトルと更新日を全部ファイルにして注意書きを入れたり。これでファンアートなども完全収集を始めたら本物だが(何の)、まだそこまでは行ってない。とりあえず厘(というキャラクター)の背景とか過去にかなり思いを馳せていたがあまりろくな想像が出てこないので結構重い背景持ちかなという気もしなくはない。が、あまりそういうことを考えすぎるとマンガを読む楽しみが目減りするので考えすぎないようにはしている。
今期のアニメは全部見ているのが「逃げ上手の若君」と「2.5次元の誘惑(リリサ)」。双方とも予想通り、というより予想以上の出来になっていてかなりいい。「推しの子」はどうも13話のあたりで止まってしまって先を見る気がしないのだが、14話以降を先に見た方がいいのかもしれない。
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日本史をどこから見るか、というのを考えていて、日本のいくつかの立場から見た日本史みたいなものはもう散々読んできた感じはあるのだが、特に対外戦争、それも第二次世界大戦について、アメリカ側から見るというのは本質がわかる部分があるなと思う。最近はFDルーズベルトについてよく考えるのだが、彼の日本人に対する差別意識というのがかなりこの戦争の帰趨に影響を及ぼしているなというのが最近の認識になっている。
最も重要な論点の一つのが「無条件降伏論」とは何だったのかということだ。これは強度の対日レイシズムにとらわれていたルーズベルト独自の理論であり、イタリアの敗戦はふつうに停戦協定が結ばれ、ドイツは政府自体が崩壊したため分割占領になった。
ルーズベルトが1945年4月に死ぬと日本に条件を提示する方向で休戦が模索されるようになったというのは、本当にルーズベルトが癌だったということがよくわかる。6月に出されたポツダム宣言は無条件降伏要求の体裁は取っていたし文言自体は強硬に読める部分もあるが、かなり緩められた条件になっている。
現代に転じて考えてみると、日本外交にとって最も難問だと言えるのがイスラエル・パレスチナ問題、特にガザ戦争の問題だろう。私は対米同盟絶対主義ではないのでイスラエルとの軋轢も場合によっては仕方がないと思う立場だが、もちろんそこにはそれなりの「正義」と「説得力」がなければただ国益を損するだけだとは思っている。
私は誰がどう言おうとイスラエルのガザにおける事実上の殲滅作戦はやはりムカつくのだが、先ほど考えていてその理由がわかった。ネタニヤフのやっていることがルーズベルトと同じだからなのだ。ネタニヤフがルーズベルト流のレイシズムからガザのパレスチナ人に無慈悲である、という解釈が最も妥当のように思う。
先ほど書いた通り、カサブランカ会談以降連合国の終戦条件は日本の無条件降伏になったが、これはルーズベルト個人の意見が強かった。米軍や米政府内にも無条件降伏を要求することで日本の停戦交渉の可能性を塞ぎ、米軍の損害が増えることを懸念する意見が強かったが、ルーズベルトの意見を変えられなかった。
ルーズベルトが勝利後に日本をどう扱うかについての考えは明らかにされていないが、実際に行われたGHQの日本統治より遥かに苛烈なものになったことは想像に難くない。合衆国憲法の規定を無視して日系人を強制収容所に押し込める大統領令を出し、その家族を人質に日系人部隊をヨーロッパ戦線に動員した人間である。おそらく日本政府は廃止され直接軍政下に置かれたことは間違いないと思う、というか実際ポツダム宣言受諾後の進駐時にそういう動きはあったようだが、日本側が阻止したようだ。彼の死はまさに神風だったと思う。
真珠湾を叩かれたことに対する反発は10月7日のハマスの越境攻撃に対する反応とほぼ同じ(攻撃の内容は全く違うが)だが、ハマスに交渉の余地を与えず、無条件降伏以上の破壊を主張するそのやり方がルーズベルトのアメリカそのものだからムカつくのだと思った。
山本五十六など主要な戦争指導者をピンポイントで暗殺する手法もよく似ているし、民間人が暮らしている町でも「軍需工場がある」という理由で(下町の工場で軍事に全く無関係な工場がどれだけあったか)東京の下町を焼き払ったやり方もよく似ている。
ルーズベルトはもちろん米史上評価の高い大統領(もちろんアメリカ人にとって)であることは確かだが、大統領四選という横紙破りをやっていることも確かで、独裁者ヒトラーより最高指導者の在任期間は長い。「絶対権力は絶対に腐敗する」という弊害が彼になかったかどうかはもっと検証されていいだろう。我々にとっては対日戦争指導の問題である。
ネタニヤフは一度退任したら自分の政治生命は終わりだということはわかっているからその座に固執し続けているが、ガザでの戦争が終わればその時は来るから戦争をやめる気はないだろう。まあもう遅いかもしれないが現実的なのは「ガザにハマスでない自治組織を作る」という前提で交渉することだと思う。つまり「無条件降伏」ではなく「条件降伏」である。まあ実質ハマスを完全に排除することは無理だとは思うが。
トランプなどはガザをエジプトに併合させ、西岸は(おそらく入植地はイスラエルに併合させた上で)ヨルダンに併合させるという構想を語っていたが、ヨルダンもエジプトも拒否するだろう。ヨルダンは現時点でもパレスチナ難民が国民の多数を占めているから国を乗っ取られる恐れを感じるだろうし、エジプトはハマスが国内に放たれることを恐れている。
というのは、もともとハマスというのはエジプトにルーツを持つムスリム同胞団のパレスチナ支部だったからで、イスラムの大義や社会福祉を担うこのグループがパレスチナの現実から「止むに止まれぬイスラム魂」でテロリズムに乗り出したものだからだ。
エジプトではムバラク政権が倒れた後総選挙でムスリム同胞団が政権を担った時期があり、結局軍事クーデタでこれを潰しているのでその流れを汲むハマスが国内にいるのは悪夢でしかない。両国とも、領土が増えればいいというものではないのである。エジプトがガザ難民を受け入れないのも同じ理由である。
シーア派のイランがこれ以上ガザに影響力を持つことはできないと思うので、実質的にガザ・ハマスを支援できるのはトルコだけという感じなのだが、今でも多くのシリア難民を受け入れているトルコがこの上ガザの難民を受け入れるというのは無理だろう。ガザの人々はガザにしかいることができないと思うが、ネタニヤフはその現実を無視して戦争を続けている。
というような理由で、ネタニヤフが続けているのは無理筋の戦争なのだが、まあ言えば欧米諸国もネタニヤフにハマスの「条件降伏」を受け入れさせろと考えているのだと思う。しかしネタニヤフはいうことを聞かない。ガザの悲惨はずっと続き、欧米の正義の主張は傷つく一方になるのだろう。
***
特攻作戦の是非についていろいろ意見が出ていたけれども、昨日タイムラインで読んで本当にそうだなと思ったのは、「日本が誘導兵器の開発に成功していなかったから」人間が爆弾を積んで体当たり攻撃をせざるを得なかった、もし日本が巡航ミサイルの開発に成功していたらあのような攻撃をせずに済んだ、と兵器開発に携わっていた人たちが忸怩たる思いを持っている、という話だった。
これは全くその通りで、当時は人間が搭乗して飛行機で標的上空から爆弾を落下させるしか方法がなかったわけである。誘導ミサイル、巡航ミサイルの原型になるものはすでにナチスがV1兵器として開発しつつあったがそれより先に弾道ミサイルのV2号が実用化され、イギリスの空襲に多用されたのはよく知られている。これはのちにアメリカのアポロ計画に携わったフォン・ブラウンらが開発したものだった。彼らはナチスに属した罪を問われないことを条件にアメリカに移住したし、一部のドイツのロケット科学者がソ連に拉致されたことで両者とも戦後の宇宙開発競争の主役になったわけである。
余談だが、マンハッタン計画に関わっていた中国人学者がマッカーシーの「赤狩り」を逃れて中国に帰り、中国の核開発に尽力したという話もあるので、科学技術のグローバル化というものは止めようのないものなのだろう。
それはともかく、巡航ミサイルが開発され大量生産されていたら特攻隊は死ななくて済んだことは確かだ。現代ではドローンでやればいいことなのでより兵力の損耗が防げる感じになっている。
特に21世紀になってから主流になった自爆攻撃は「カミカゼ」などと言われることもあるが趣旨は全く違う。911のテロリストもそうだが要は「安全な一般人」と相手を欺いた上で飛行機をハイジャックして攻撃を仕掛けているわけだし、自爆テロも子供や女性など相手を油断させて自爆させるやり方だから、こんなものをカミカゼと言われたら特攻隊の英霊にも日本の神々にも申し訳ない。
***
それにしても、日本では戦争の研究というのが本当に進んでいないなと思う。例えば原爆投下の際は、長崎では爆心地が浦上だったので市の中心部は被害がそれほどではなく、市役所や県庁が被害の把握に乗り出せたようだが、広島では完全に都心だったのでどのように被害が把握されたのかなど、戦時の行政がどのように動いたかというようなこともほとんど研究が進んでいないのではないかと思う。広島の原爆投下が8月6日でソ連の参戦が日本時間の8月9日だが、ソ連大使館員は8月7日には広島へ行って被害状況の把握に努めている。そして「この程度の被害なら日本は降伏しないだろう」と本国に通信し、ソ連は対日参戦を決意するということになる。それを知ってアメリカも再度の原爆投下を行うが、これはすでに終戦後の主導権争いが始まっているということを意味しているだろう。
ソ連大使館員が「被害軽微」と判断したのは、独ソ戦で1000万人以上が死んでいるソ連の状況に比べたら、という前提があったようだけど、日本政府としては広島の原爆は相当なショックだったはずで、そこは彼らは見誤ったということはあると思う。ただソ連の対日参戦と再度の原爆投下がなければポツダム宣言受諾は難しかっただろうし、「聖断」もより困難だった可能性はあるし、「日本の一番長い日」もより混乱していたかもしれない。
海外現地での終戦も降伏→武装解除→捕虜→戦犯裁判→復員といった過程も膨大な事務作業があったはずで、それらは厚生省や靖国神社には資料が残っていると思うが、そういうものを含めた戦争研究というものはもっと行われるべきだったと思う。
ただ日本の悪いところは日清・日露戦争という勝った戦争においてさえしっかりした国家レベルの総括ができていないところで、単なる顕彰に終わっている部分が大きかった。ましてや負けた戦争においては、その総括はまともにされていないところはあるだろう。
そうした研究がまともにされない中で、731部隊などの特殊な事例のみが研究されているためにより旧日本軍の非人道性が強調されてしまうという結果にもつながっている。
原爆投下を命じたのはトルーマンなので日本ではトルーマンが悪い大統領な訳だが、実際にはそれ以前にルーズベルトの方が遥かに悪質だったのだと思う。トルーマンは実質無条件降伏でない戦争の終わらせ方を考えていて、そのための条件づくりに原爆を使った。もちろん許されることではないが、ルーズベルトが生きていたらもっとひどいことになったと思う。日本側が國體護持のみを条件に懇願してもそれを許さず攻撃を続け、本土決戦になっていた可能性は大きいと思う。
日本の占領政策に対してはGHQ総司令官のマッカーサーが評価されているわけだが、当然ながらトルーマンの支持がなければできなかった。トルーマンは民主党でマッカーサーは共和党の大統領候補に押されたこともあった。GHQでは保守派の参謀第二部(G2)とニューディーラー左派の民政局(GS)の対立があったことはよく知られている。日本国憲法を作成したのは後者。この辺りは白洲次郎関係の本などを読んでいるとよく出てくる。
先に731部隊のことを書いたが、アメリカも原爆の投下都市を決めるのに原爆の効果を検証するために空襲でやられてない都市を選んでいる。第一候補が広島、第二候補が小倉。こちらは当日雲が多かったため標的を長崎に変更した。広島は都心に投下できたが長崎は雲のために都心から外れて浦上に投下された。数十万人を対象にした人体実験だったが、広島は成功し長崎は半分失敗したわけである。
戦争中は日本軍も良くないことをしたことはもちろん確かなのだけど、それらの大半は極東軍事裁判などで裁かれたし、おそらくは事実以上に重い刑を受けた人も多く、無実の罪で処刑されたBC級戦犯の問題なども本になったことはある。そしていうまでもないが、連合国側のほぼ戦争犯罪のような行為、戦争に乗じた差別行為や虐殺行為などは、ほとんど問題視はされていない。現在欧米がロシアの侵略を非難するがイスラエルの虐殺行為は「自衛行為」として正当化するようなやり方にも似ているところがある。どちらも多くの人が犠牲になっている戦争であることに違いはないのだが。
80年前の戦争はもう過去のことではあるが、現代の戦争を考える上で重要であることに間違いはないだろう。そういう意味では日本が経験した貴重な歴史的資源でもある。それを生かすためには感情に流されずに「何が正解だったのか」「どこに問題があったのか」を考えていくことは意味のあることだと思うし、改めて「感情に流されない戦争研究」が日本には足りていないということも考えるわけである。
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