特攻隊の意義/満洲事変以前の国制改革/靖国神社の曖昧な性格
Posted at 24/08/17 PermaLink» Tweet
8月17日(土)晴れ
昨日でお盆期間終了。とはいえ、曜日の並びで5連休になってしまったため、昨日は仕事をした。ただ、妹と姪と姪の友達がきていたので少しその面倒を見たりしていたので仕事の時には疲れが出ているという感じに。普通のお盆メニューで朝のうちに墓参りに行き、お寺にお布施と護持会費を届けたりもしたのでいくつも並行してミッションがある感じだった。今日も仕事はあるが、皆帰って日常には復帰したので普段居間に置いてあって客が来たから片付けてあったものなどを2回からおろしてきたりして、徐々に日常に復帰している。
8月らしく、靖国神社や過去の戦争、特攻隊などの話題が出ている。特攻隊に関しては知覧の基地跡に卓球の早田選手が見学に行きたい、と言ったことが話題になったり中国から反発が出たりという話題があったというのはあるようだ。もう80年近く経ったことだから、この辺りも色々ともっと冷静に歴史を見るようにしていけると良いと思うのだが、左右とも感情的な部分が思想の資源みたいになっているところがあり、「過去の戦争の政治利用」もほどほどにしてもらいたい、という感じはある。
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タイムラインを見ていると、特攻隊に関してこの時期恒例の「犬死に」論が左翼から出され、またその反論も賑わせるという事態が起こっていて、夏の風物詩だななどとは思うのだが、そろそろこういう議論も過去のものにしたい感じはある。特攻隊の美化も問題があるがその源を遡れば例えば「太平記」の大楠公が不利と知りつつ湊川の戦いに臨んで潔く散った、みたいな話に遡るわけだが、今更楠木正成を犬死にだったという人はあまりいないだろうし、正義のために納得がいかなくても死ぬ、というならソクラテスも犬死にである。
特別攻撃隊に意味があったかどうかと言われれば、意味はあったし戦果も上げていると思う。しかし「兵士の人命の消耗」とその戦果が見合うかと言えば問題はあるわけで、「やるべき作戦でない」ことは確かだろう。「この戦闘で勝利すれば戦争に勝利できるというような決定的な戦い」であれば人命の損耗が激しくなるのはある程度仕方がないのだけど、特攻作戦が常にそういう状況で行われたとは言えないので、やはりやめるべき、もし局面打開などの必要性からやらざるを得ないにしても最低限にするべきだったと思う。
いずれにしても特攻作戦は戦争の中の数ある先頭の一部で使われた作戦であったので、戦争全体を評価したうえでその作戦の位置づけも評価すべきなんだろうと思う。
しかし実際のところ、始まった戦争を途中で止めることは至難の業であり、日本にとっての第二次世界大戦は結局のところ一部の跳ねっ返りの軍部にずるずると引っ張られていつの間にか抜け出せなくなってしまったという問題が最大の日本にとっての問題だったと思うので、満洲事変以前に何か変えるべきところがあったのではないかと考えた方が良いかなと思う。
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満洲事変以降、日本の政府が内閣が主導するのではなく、参謀本部ですらなく、関東軍や出先の派遣軍、それも指揮官よりは無謀で功名心の強い少壮の参謀に主導権が奪われるような事態になったことは国家の軍隊としての体をなしていなかったと思うし、対外戦争の前に国家中枢と軍制の立て直しが必要だったと思う。
統帥権の独立の主張などに対抗するには天皇が万機を総攬するしかなかったと思うのだが、天皇自身が中枢の反対者を排除できない制度になっていたのでいかんともしがたい。明治憲法体制の欠陥が戦争を、そして最終的には敗戦を招いたのだと思う。
現実には大正時代、第一次世界大戦後の頃に明治憲法体制の矛盾が特に「元老の死」によって表面化してきた。昭和天皇は大正天皇の不例によって摂政として大正半ばから公務についておられたわけだが、その後半は第一次大戦後の不況やヴェルサイユ会議やワシントン会議、関東大震災などその後を左右する重大な事態が相次いで起こっていたので国政改革に乗り出すことはなかなか難しかっただろうと思う。
しかしその中で様々な改革を実現しつつあったのが政友会の原敬で、彼には未来の方向性がそれなりに見えていたのではないかと思う。彼は元老山縣有朋の支持を取り付け、貴族院も自らの与党にし、明治憲法の最大の問題である多元主義の克服に実質的に乗り出していた。次に対象になっていたのは枢密院や軍部だったと思うのだけど、その改革の最中に暗殺されてしまったことにより、日本政府の分裂状態が強まり、昭和天皇自身は立憲君主制の理想を持っていたけれども、その下で万機を司る強力な内閣は原の死とともに葬り去られてしまうという問題はあった。
もともと明治憲法においては「令外の官」である元老が多元的な憲法権力の調整役として存在していたわけだが、山縣や松方の死後最後の元老となった西園寺は新たな元老を設置せず、その調整役に人を得ないまま昭和の危機を迎えてしまった。だから本当は元老がいなくなる前の時点で国制の限界を悟って国制改革に乗り出していれば良かったのだと思うが、それができる人がいなかった。原敬が生きていれば不可能ではなかったと思うし、またその後は横田千之助に受け継がれた可能性はある。
原に続いて横田が亡くなったことで政友会側の政党政治の理想主義が途切れ、元軍人の田中義一や立憲改新党系の犬養毅が総裁・総理になることになってしまった。横田は病気だから仕方ないにしても原の暗殺は悔やまれる。結局多元主義の克服は、日本国憲法の制定によって内閣総理大臣が国家の行政権をほとんど握る状態になることによってようやく実現したのだが。
まあ日本人の特性として仕方のない部分はあるのだけど、坂本龍馬や石原莞爾など、天才肌で人を驚かせるような人物の人気が高く、まあそれは判官贔屓の源義経まで遡るのだろうけど、源頼朝流の原敬や濱口雄幸、永田鉄山など実務的に積み上げて成果を上げていく人物は人気がなく、暗殺もされたりもする。岸田さんもそうなのだが、日本人はこういうタイプの政治家をもっと評価するべきだろうと思う。
***
靖国神社をめぐる問題について。
私はまあ右派なのだが、靖国参拝に関しては、つまりは「信教の自由」で参拝すればいいと思っている。というのは、敗戦後靖国神社が生き残れたのはある意味奇蹟的なことだったと思うからだ。
戦後GHQの神道指令によって神道は「宗教でない超国家主義」と認定され神社神道全体が一時は解体の危機に瀕した。葦津珍彦らの努力によって宗教法人として神社本庁を発足させ、すべての神社がそれに属する本末組織を作ることによって宗教団体と認定させるというウルトラCで生き残ることができたわけである。
中でも最も問題になったのが靖国神社だった。当然ながらいちばん「超国家主義」と認定されそうな靖国神社が生き残れたのは様々な経緯があったからなのだが、内外のキリスト教関係者の働きかけも大きかったようだ。ただ、そのために「民間の宗教法人」であることと「国のために戦った戦士たちに敬意を払うための場所」であることの二つの性格を持つあいまいな存在になったともいえる。
民間の宗教法人である以上何を神として祀るかは靖国神社が決めることでそれゆえにA級戦犯も合祀され、そこから政治家の靖国神社参拝問題が惹起されることになった。民間だからこそ東京裁判史観に反する判断がなされ、またそれを国が止めることはできなかったという「矛盾」が起こった。
個人的には、誰が合祀されようと国のために戦った英霊を顕彰することにいささかも価値が減ずることはないわけで、そこで徹底すればいいのにと思う。
民間でなく国の機関に戻ってしまったら宗教施設であることは憲法上できなくなってしまうし、無味乾燥な「国葬儀」のような追悼施設になっても意味がない。「英霊を神として祀る」ことに靖国神社の意味があるのだし、靖国神社が生き残った経緯を尊重するためにも今のままでよいのだと思う。
もし、靖国神社の国家的性格を復活させるのなら、やはり憲法改正は必要だろう。日本はフランスではないのだから国家の世俗主義を厳密に規定する必要は本来はない。国の宗教に対する関りを憲法で具体的に定めればよいことだと思う。その一環として靖国神社を国家で護持するように変えるのならばそれはそれでよいとは思う。
ただ、そのほかの神社の扱いがその際にはまた問題になるだろう。明治神宮なども国家護持の方向に変更されてしまうと外苑の木々の伐採などの問題が公的な問題になってしまうのでそれはそれで面倒になるのは明らかだ。神社全部を国家護持するのはやはり難しいと思うから、伊勢神宮・靖国神社・東大寺など国家と皇室に関わりの深いいくつかの寺社だけに限定すべきだろう。
日本がより日本らしくあるために憲法を改正するというのはありだと思うので、9条だけでなく天皇に関わる部分、政教分離=世俗主義に関わる部分などはより良い憲法の在り方は議論されてよいと思う。
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