長崎市のイスラエル不招待をめぐる大きな波紋について/バイエルンをカトリックに取り戻したカール5世の婚姻政策

Posted at 24/08/08

8月8日(木)晴れ

昨日は立秋だった。このところ、日中は晴れて午後から天気が崩れ、夕方や宵のうちや未明に大雨が降る、というパターンが続いている。昔は夕方に夕立が来てまた夜になって暑くなる、みたいなパターンだった気がするが、その辺りもだいぶ変わったのだろうなと思う。

昨日は午前中に松本に出かけ、整体で体を見てもらった。目が疲れているということで、しばらく気をつけたいと思う。帰りは岡谷のレイクウォークによって郵便局で書類を発送したり昼ごはんを買ったり。書店も少しだけ覗いて早めに帰った。昼食後はまた例によって少し寝た。

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朝車で出かけて職場の資源ゴミを捨てたりヤンジャンを買いに行ったりしていたときに、FMで「古楽の楽しみ」を聞いていたのだが、「カール5世時代の音楽」に関連して、「汝幸福なオーストリアよ、結婚せよ」という言葉が出てきた。これはハプスブルク家が戦争ではなく婚姻によって領土を広げていったことを示しているのだが、カール5世の婚姻政策は当時の宗教改革の状況の中で、カトリックの範囲を広げ、プロテスタントの範囲を潰すために自分の姪アンナとあまり仲のよくなかったバイエルン公アルプレヒト5世とを結婚させ、バイエルンをカトリック側に取り戻したという話だった。

音楽的にいうと、アルプレヒトはルター派の宮廷楽長を解任し、フランドル出身のオルランド・ディ・ラッソを宮廷楽長にした、というのもそういう宗教をめぐる対立の余波だったようだ。

対抗宗教改革によってカトリック側に取り戻された地としてよく例に挙げられるのがバイエルンなのだけど、それがハプスブルク家伝統の婚姻政策による成果だったというのは知らなかったので、面白いと思った。この辺りネットで出てくる情報は雑なのでもう少し調べてみたいところではあるが。

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8月といえば戦争を追悼する行事の季節ということで、「語り部」の話が繰り返されて多少うんざりするところもあったわけだが、今年は例年とは少し様相が違うようだ。これは2022年に始まったロシア・ウクライナ戦争だけでなく、ガザ戦争におけるイスラエルの容赦のない攻撃で起こっている悲惨に対してのさまざまな反応というものが影響したところは大きいだろう。

全然関係ないが、再選を果たした東京都の小池百合子知事が神宮球場の始球式を行ってマウンドの傾斜に対応できず転びかけて膝を剥離骨折したとのこと。小池知事はソフトボール経験者だということだが、マウンドはないのでやはり未経験者が無理をする大変なことになるという例だと思った。

広島・長崎の平和式典には日本に在外公館を置く世界各国の大使が招待されているわけだが、原爆を投下した当事者であるアメリカの大使が式典に参加したのは2010年が初めてとのことで、これは数少ない民主党政権の功績なのだろう。それ以来ずっと各国大使が招待されていたが、2022年のウクライナ侵攻によりその年からロシア・ベラルーシの大使は招待されていないようである。

6日に行われた広島原爆の日の平和式典ではイスラエルが招待され、それに対しガザ戦争の当事者を招待するとは何事だとパレスチナ支持者の集会が当日の平和公園に侵入したりして騒ぎになっていたようだが、9日に行われる長崎原爆の日の平和式典では、イスラエルを招待せずパレスチナの代表部を招待したのだという。

これにはいろいろ理由があるだろうが、ロシアを招待しないのにイスラエルを招待するのはおかしいという批判に加え、招待するとデモ隊が式典に押しかけて平和の祈りが台無しにされるという危惧があったことも現実問題として大きいだろう。しかしおそらく長崎市側が読み違えていたのは、イスラエルを招待しないということでイギリス大使が欠席を表明し、それに続いてアメリカ大使も欠席を伝え、またG7各国とEU大使も欠席すると伝えてきたことで、世界の国々が参加して原爆投下の悲劇を繰り返さないことを誓うという趣旨が台無しにされてしまったことである。言葉は悪いが愚連隊が騒ぐのを恐れて主要な招待客が来場を拒否する事態を招いたということで、おそらくは大きな誤算だったと思う。

結果的に、ロシアは招待せず米英仏は欠席ということになると唯一安保理の常任理事国で参加するのはウィグルやチベットで虐殺を行なっている中国だけ、という滑稽なことになるわけで、少なくとも結果に対しては批判されることになるだろうと思う。どうせなら台湾の代表部の招待して中国も欠席したらスッキリしたかもしれないが。

この話にはいろいろな論点があり、まず「広島市」や「長崎市」のような「都市・自治体」が「式典に各国大使を招く」のは「外交行為」にあたるか、というところがある。もともとこの式典の趣旨は「政治的対立を一応は置いておいて世界の国々が核戦争を起こさないことを誓う」ということにあったわけだから、ロシアを招待しない時点でその原則の一端は崩れていたことになる。ただ「核の恫喝を行うロシア」を招待することに異論があったことはもちろん説得力はあるだろう。

しかしイスラエルはおそらくは秘密裏に核兵器は所有しているものの、「核の恫喝」を行なっているわけではない。核開発疑惑のあるイランや実際に所有しているインドやパキスタンは招待し、通常の戦争・内戦においても非人道的なことを行なっているスーダンなどの諸国をも招待しながらなぜイスラエルは招待しないのか、というのは「日本で大々的に報道され国民に広く知られている上にガザの状態を解決せよと極左勢力がうるさい」こと以外に実際には理由はないだろう。だからその辺の「線引き」に合理的な理由はつけられないわけで、その辺りイスラエルを支持する国々から不参加を表明されても説得する材料がないということにならざるを得ない。長崎市は国内行事の感覚で国際関係の虎の尾を踏んでしまったことは確かだろう。

実際アメリカ側などにしてもこの問題は大きくしたくないという雰囲気はありありである。岸田政権からもまだ公式のコメントは出ていないし、おそらくは式典においても各国の欠席について「残念」以上の表現はされないだろう。何も言わないかもしれない。長崎市長が説明責任を負わされるわけだが、気の利いたことを言えるかどうか、ちょっと難しいだろうなとは思う。ただ、あまり変なことを言われても困るので、首相官邸や外国当局もスピーチに関しては協力して欲しいと思う。が、まずは長崎市長の力量が問われるところだと言えるだろう。

日本において、原爆慰霊と終戦の日の不戦の誓いというのは定式化していたものだから、8月の戦争ネタというのは左翼やその影響を受けた国民が平和への信心を新たにする以外の意味はなかったわけだけど、こうした国際政治の現実に巻き込まれて自分たちの感想や信念だけではどうにもならない現実もあるということを知ること自体は悪くないと思うのだが、この流動化する国際情勢の中で日本がどう生き残っていくかという次元の問題において、しっかりした考え方を持っていくことは重要だろう。

あれだけの攻撃をガザ地区に仕掛けてまだネタニヤフ政権のイスラエルを欧米諸国が支持しているというのは、日本人の感覚では理解できないことだろう。実際、アメリカの田舎などに行ったことがあればわかる人は多いと思うが、ユダヤ人に対して屈折した感情を持っている人は少なくない。イスラエル国家を批判する人も少なからずいるけれども、国家としてはイスラエル支持は揺るがせない、というのは第二次大戦後、彼がイスラエル国家の建国を支持し、その後もアラブとイスラムの海の中でイスラエルが生き残ることに無尽蔵な援助を与えてきたことがあるわけで、いわば血の盟友のようなものだろう。この辺りには「人種主義」という差別感情とはまた違う強い信念があることは強く感じる。それはもちろんナチスの迫害でユダヤ人を絶滅に危機に追い込んだことに対する「ヨーロッパへの告発」が一つの大きな前提ではあると思うけれども、やはりそれだけでもないのだと思う。その辺りは私自身理解しきれないところはある。

ただ、イスラエルはガザで虐殺をやりすぎている、ということも当然多くの国が感じていることで、アメリカ大使が長崎市の判断を過大に評価しない姿勢を示しているのもその辺りのところはあると思う。日本政府自身もガザ戦争には「両者に自制を求める」以上のことは言ってないし、必要以上の関わりは避けようとしているが、現実問題としては賢明な判断だろうと思う。もともと軍事面で日本ができることは何もないし、イスラエルを説得する材料も日本は持っていないわけだから。

逆にいえば、長崎市というある種特別=原爆=アウシュヴィッツに並び得る大量破壊兵器の被害者としての聖なる象徴性を持った都市だからこそこういう形でイスラエルを批判することが不可能ではない、という面もあるわけで、ここをうまく乗り切れば政治的に特別な位置を持ち得ることも可能だろう。まあ多くの長崎市民はそこまで望んでいないとは思うが、難しいけれどもちゃんとした落としどころを見つけてもらいたいと思う。これは長崎市というより日本全体の評価にもつながってくるわけだから。

広島は招待して長崎は招待しない、という凸凹もある意味意見の多様性を反映している感じで日本らしくて良いような気もしなくはないのだが、西側支持=イスラエル支持という考えの人々の間では強い批判をする人たちもいる。長崎の判断を歓迎する左翼陣営の人たちはまああまり何も考えてない感じなので評価はしないが。

来年は第二次世界大戦終戦80周年ということになるが、こうした8月の戦争にまつわる諸行事も、ある意味見直すべき時期に来ていると思わなくはない。広島市や長崎市が世界の大使を招待する、というある種特殊なイベントもこのままでいいのか、憲法改正問題も含めて日本の戦後を改めて考えるべき時期ではあるかもしれない。


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