オリンピック開幕:マリ・アントワネットの生首より「スカーフをしてスケート」が過激なフランスという国/「ふつうの軽音部」:ネタバレをかます流儀/「ブルーピリオド」:画像を引用する作家たちと作家になる覚悟

Posted at 24/07/28

7月28日(日)晴れ

昨日は昼過ぎから何度か雨が降り、時によっては土砂降りの時もあったが、単発の積乱雲による雨だったらしく、すぐ上がったので浸水などの可能性はなさそうだった。並木通りでお祭りをやっていたから参加していた人たちはちょっと降られて大変だっただろうなとは思う。夜妹が来たので駅まで迎えに行き、並木通りを通ったらもう屋台の撤収作業をしていて、夜は早いんだなとも思った。

オリンピックが始まっているが、あまり興味がないのでほとんど見ていない。柔道で疑惑の判定があったらしいが、まあフランスだしなということもあり、こういう判定競技、特に審判もレベルの低い国からも出てくるオリンピックはそういうことがよくあるなと思う。

開会式で多様性・(彼らの考える)公平性・(彼らの考える)包括性=DEIが全開の演出がなされていて、左翼の方々は結構感動していたらしいのだけど、まああんなものなのかなとは思った。ああいう多様性よりも、公共の場所でスカーフをして行動する方がより嫌がられるというのが「世俗主義」が国是のフランスらしく、全然包括してないじゃんと思うのだが、ツイートを見ていたら日本人女性がタオルを姉さんかぶりして掃除をしていたらフランス人の義母にネチネチ言われた、というのもなんだか馬鹿げているなと思った。マリー・アントワネットの生首を抱えて出てくる演出よりも、むしろ世界中のスカーフ文化が一堂に会したような演出が出てきたら頑張ったなと思っただろうけど、そこまで過激ではなかったようである。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17106371892389130784

マンガの方の感想も少し書いてみたいが、今日(28日)更新の「ふつうの軽音部」32話「文化祭の準備をする」はまた新たな展開。すごく自然に話が展開していくのに、「これは」と思うことの伏線がどんどん敷かれていく。実際話も面白いし、キャラもはっきりしているし、コマ割りもいいし絵もシンプルながら説得力がある。原作のクワハリさんと作画の出内さんの才能の掛け合わせが本当にうまくいっているんだなと思う。今回は吉田さん回であるとともに桃ちゃんの爆発力が現れていて面白いなと思ったが、一番好きなコマは1ページ目の空き教室で「はーとぶれいく」の四人で座り込んであわせの練習をしているところだなと思った。次回は33話「出場枠を確保する」だが、最初から次週のネタバレをかます流儀が面白いなといつも思っている。ネタバレしてもいざ次回になると想像を超える展開に必ずなるところもまたすごいなと思うのだけど。

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アフタヌーン9月号の「ブルーピリオド」69話「ほうれんそう大事!」。読んだ時はピンと来なかったけど、だんだん面白いなと思い始めた。現在続いている展開は「作家になる?」ということをめぐる話なのだけど、2年の3つ目の課題が蝶野先生で「誰か作家を選んでその作家と二人展をする」という設定の課題で、八虎はフランシス・ベーコンを選ぶのだが、最初はwithベーコンという感じでベーコンを理解するためにホストのバイトをしたりするのだけど、考えを変えてvsベーコンで取り組むという方向性が出てくる。

龍二に「じゃあお前作家になるんだ」と言われて慌てる八虎だが、すでに恋ちゃんにも言われたことがあるし、実際に公募展に応募して入選して八雲に「作家デビューおめでとう!」と言われたりしている中でそのことは意識はし始めていたところに、「vsということは一人の作家としてプロと戦うってことだ」と自覚し、課題を進めながらもそのことについて考えていく。

大学で一人で考え込んでいるところに蝶野がやってきていきなり話しかけられ、ベーコンとvsやりたいと思うけど自分には軸がない、と悩みを吐露すると蝶野からは「軸っているのかな」という意外な返答。その意味は「君もっと自分の才能信じたらどう?」といわれてえっと思う。ベーコンにしてもウォホールにしても「画像ひっぱってきてる」作家で、インタビュー(つまり言葉の受け答え)が適当、それは「画(メディア)の力を信じてるからではないか」という。それを聞いて八虎は「俺、絵が好きなのか?」と自問自答する。つまり絵の力を信じているから、その絵の力を信じて「画像を引用する」作家たちに惹かれるのか、というテーマであり、そこに自分の才能があるのではないか、というようなことなのだろうと思う。

そしてまた無意識かもしれないがひっかかっていたテーマ、「作家になる」ということについても蝶野に尋ねるが、それに対しては「自分が納得できる地獄を選んだだけだよ」と答える。八虎の考えるように「ピカソと並ぶ」ことを考えると「どれだけ戦い続けなければならないか」と気が遠くなるわけだが、それを蝶野は「地獄」と表現したということなんだろうと思う。まあその表現自体が作家的というか厨二病的という感じもしなくはないが。

まあ要はこのテーマはある意味「作家になることに対しての覚悟」を問う課題なんだなと思ったし、それを2年の後期という時期にやらせるというのはなるほどな、と思う感じはある。この作品は八虎の悩みがリアルであるところが面白く、そしてその時なりに全力の回答を出してくるところが面白くて、もちろんそれが「力たらず」と感じさせるときもあったりするのもリアルなのだが、全体として「アートという営為は一体どういうものなのか」という大きなテーマに少しずつ近づいている感じがして面白いなといつも思う。

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by Luke Peterson

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