アニメ「逃げ上手の若君」:絵巻物のような背景の中で「昔のアニメ」の雰囲気の中展開する少年のタナトスとエロス/「ふつうの軽音部」29話:新しい要素の投入とキャラの掘り下げの絶妙なバランス/グローバル・ボーダレスから国民国家主義への回帰

Posted at 24/07/07

7月7日(日)晴れ

今日は七夕。昨日は仕事場のある商店街で七夕祭りが行われていて、多くの人出があった。田舎町とはいえ、コロナが終わって夏祭りも本格的に戻ってきた感じはある。

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https://nigewaka.run

まずは、昨夜始まったアニメ「逃げ上手の若君」について。「暗殺教室」以来の松井優征作品のアニメ化で、8年ぶりくらいになるだろうか。「暗殺教室」はNHKでアニメ化ということもあり、少し描写のトーンが抑えられていた感じがするが、今回は残虐シーンにおいても割と冒険的な表現があり、クレームが来ないかとハラハラする面もあるのだが、もう録画したので少なくとも第1話は大丈夫である。(アニメ公式サイトのURLがnigewaka.runであるのも気が利いている)

主人公は鎌倉幕府執権北条家最後の得宗(北条家当主)高時の子、時行。設定では嫡子(兄は庶子)ということになっているが、実際には逆だったはず。しかし足利尊氏が北条家を裏切り、鎌倉幕府を滅ぼしたことで追われる身になる。その時から、彼の目標か「鎌倉を取り戻す」ことになるわけだが、それを支持し援助し、また執権北条家の後継にふさわしい人間として育て上げるのが諏訪明神の大祝・諏訪頼重である。第1話では後醍醐天皇(当時の立場では先帝)を討ちに行くはずだった足利尊氏が寝返り、新田義貞に鎌倉を滅ぼさせ、時行は絶望のあまり死を決意するが、頼重の挑発により自分が生きることを望んでいることに目覚め、リベンジを誓う、というあらすじである。ほぼ、原作漫画の第一話の内容に沿ったものになっている。

昨夜は9時前に寝てしまい、10時にも一度起きたがもう一度寝て、目が覚めて居間に来たらビデオの録画が作動しそうになっていて「逃げ若」が今から始まるのだと気づき、そのつもりはなかったのだがリアタイで見ることにしたのだった。リアタイだと途中でもう一度巻き戻してみるとか一時休憩して再度見るとかができないのでコマーシャルに合わせてトイレに行ったりお茶を入れたりするわけで、久々にそういうものを味わった。

第一印象としては、「昔っぽいアニメだな」と思ったこと。おそらく時行の「逃げ」の場面など、3Dが活用されている場面もなくはないだろうと思うのだが、全体的に2Dの平面的な絵だなと思った。そしてそれが、美麗な物凄く手の入った背景と相まって、本当に絵巻物のように見える。これは原作のカラー回でも常に感じていることなのだけど、その面では夢のような画面なのである。主人公のコミカルな動きやその「逃げ」を微笑ましくみている幕府の役人たちや女性たち、鎌倉の街角の様子、そして逃げて到達した丘の上の桜の木の上から鎌倉を見下ろして、「私はこの鎌倉が好きだ」という場面は、原作でも最も好きな場面なのだけど、アニメでも本当に気持ちよく描かれていてとてもよかった。

武芸指南役から逃げおおせた時行と兄が会話をするときのロングの場面では、二人の顔は省略されていて、まあこれだけ書き込まれたアニメなら逆に省略すべきところはしないとバランスが取れないなと思うし、逆にそういうところにも昔っぽさを感じたわけである。こういう表現が見直されてもいいのではないかと思うところは多かった。

https://nigewaka.run/music/

OPが「プランA」というのもとても良い。つまり、当初の目標をそのまま実現すること。これはもちろん、鎌倉奪還を意味するわけで、史実を知っていればわずかの期間とはいえ、それが実現することを読者は知っている。歴史の狭間に消えていく主人公というはかなさとは裏腹に、頼重に崖から突き落とされてそこから這いずり上がり、頼重に飛びついて「死んだらどうする」という上気した時行の顔は、少年のエロスとタナトスに満ち溢れている。というか、時行はこの時8歳なわけである。

EDは「鎌倉STYLE」。ラップのノリの歴史漫画の主題歌としてよくできている。ジャンプの歴史ものでアニメ化したのは本当に久しぶりのことだし、この先も楽しみにしたいと思う。

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久しぶりに単行本を読み返したが、やはり面白いな。1話はほとんど正確に覚えているが、2話以降は曖昧なところもあるから予習しておいてもいいかなとは思った。1クールだとしたら5巻くらいまでだろうか。一段落するのが36話なので大体その辺りなのか、もう少し進むのか。36話だと平均原作3話ペースということになるから、計算上はそんな感じかなと思う。

「海外の反応」という動画を少しみたが、確かに日本の歴史ものは海外の視聴者にはわかりにくいだろうなと思う。私が歴史ものの韓流ドラマとかを見る気にならないのもまあそういうところがあるからではある。しかしこの作品はこれでもかというくらいわかりやすい展開にしているので、逆に言えばこれをきっかけに日本の歴史に興味を持つ外国人が増えてもいいかなという気はする。北畠顕家が出るまでアニメ化されたら、必ずウケるとは思う。

それにしても画面が綺麗だから、画集が欲しいなと思う。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17106371891671422568

ということで真夜中まで起きてしまったので、「ふつうの軽音部」が更新される時間になってしまい、結局寝ないで更新を読んだ。第29話「初合わせをする」。

第1話を読んだときの感想を見直していたら、本当にそこらへんの学校の「軽音部」感があり、視聴覚室を使う順番を待つために廊下でダラダラ練習している様子とかがリアルだ、と書いていたのだけど、今回は基本そういう回、つまり「ドラマ展開回」ではなく「新要素の投入=布石回・既存キャラ掘り下げ回」だった。

桃が自分も技術を向上させようとプロトコルのドラマー・遠野にアドバイスを求め、かなり手厳しい返事が返ってくるが、桃がそれを真摯に受け止め頑張ろうと決意するのもよかったが、実は遠野が桃にメロメロで、陰ながら応援している(キモムーブ付き)のがめちゃくちゃ面白かった。

練習場面はすごく好きなのだが、鷹見がそれを外で聞いていて「ライブでちゃんと聞くから今は聞かない」と言ってるのも音楽にだけは真摯な姿勢が表れていてらしいなと思ったり。また演奏し終わって「やばい。すっごいいい感じじゃない?」とかヨンスみたいなことを言ってる鳩野に彩目が「いやどこがやねんお前ギターひどいな!」とか「チューニングから微妙にずれとんねん!」とかダメ出しをする彩目が可愛いし、実際先輩と練習した時も含めて今まで誰もダメ出しをしてなかったことを思い出すと、怒られても鳩野が嬉しそうな顔をしているのはわかるなと思った。また桃も「結局走っとるやんけ!」と言われて「修行の成果は・・・」になってるのも面白い。

この場面は、彩目が音楽にうるさく、耳もよくテクニックもあることがよくわかるし、またチューニングが適当な鳩野のある意味雑な、というか細かいことを気にしない性格と、桃の「走りがち」な性格がよく描写されていて相変わらず上手いなと思った。

扉の「はーとぶれいく」四人がハートマークを手で作っていて、しかも上をつけないことでブレイクしていることを表すのとても上手いと思ったし、あやめの照れ顔にズキュンときた読者も多かったようだ。たまき先輩のバンド名「性的カスタマーズ」というのも性的な顧客?風俗の客か?みたいな感じで高校生らしい無謀さだなと思ったし、楽しい場面だからこそ先のことを考えて悪い妄想をしてしまう鳩野のメンタルもよくわかった。

ここで初めて回想以外の場面で「お父さん」が現れるわけだが、「ルーキー版」(読者の間では旧約と言われている)ではもっと前の段階、校内ライブの帰りに現れている(ジャンプラ版9話の途中)のだけど、そこだけ浮いていたので現在のように29話まで登場を遅らせたのだろう。ルーキー版ではそんなにすごいムーブはしていないが、今回はどうなるのか。久しぶりに旧約との対比が気になる展開だった。

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「逃げ若」アニメを見た後のテンションで読んだのでちょっと今回の緩めのテンションに最初はチューニングできず、鳩野のギターみたいに微妙にチューニングがずれたことをコメント欄に書いたりした。クールダウンするのに時間がかかり、結局寝たのが2時前になったのだが、4時ごろに目が覚めもう一度寝ようと思ったが寝られず5時前には起きることになった。やはり夜中にあまり色々しない方がいいし、暑さもあって寝にくかったのだなと思った。それでも最低気温は20度、前夜よりは涼しかったはずなのだが。

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イギリスでスナク政権が行った解散総選挙は保守党の惨敗、労働党の圧勝という結果に終わったが、これは保守党の舵取りの失敗ということが大きかったのだろう。右派急進派(極右という人もいる)が勢力をかなり伸ばしたようである。またフランスの総選挙も今日7日が決選投票だが、右派急進派の国民連合が過半数をとる勢いだとも言われている。ヨーロッパ主要国でも一番安定しているのは極右と呼ばれたメローニ政権のイタリアのように思われるし、世界的にリベラルが退潮し、変化が現れている気がする。

ただ、極右というのは白人至上主義といった昔ながらのファシズム的部分を除けば、反移民とか反トランスというような昔なら右とも言われないようなところであるように思うし、逆に言えば「誰がどこに住んでも自由」という意味でのグローバル居住主義とか、過剰な性的ボーダレスのトランス中心政策に対する異議申し立てに過ぎないというようにも思われ、そういう意味では、今世界的に起こっていることは「冷戦終結」後の「リベラル優位・グローバルボーダレス時代」への逆風、もっと言えば「近代国民国家」時代への揺り戻しの始まり、ないし本格化ということではないかと言う気がする。

日本でも特に岸田政権になってLGBT法が成立するなど、急進リベラル派の攻勢が強まりつつあったが、それと同じ勢力が起こしていた表現規制派に対して強い反発が起こり、その中心の一人の暇空茜氏が都知事選に出馬して大きな関心を集めたことなどにも現れている。

ロシアや中国がやっていることも、「国民国家としてのロシア・中国」の範囲を確定しようとする動きだと考えればよくわかるし、それはイスラエルがやっていることも同じだろう。イスラム世界にはもともと「国民国家ムーブ」がないからイスラエルに強く反発する動きの芯になるものがなかなか出てこない弱点はあるが、「国民国家」思想を受け入れた国は再びそれを貫徹しようとする動きが強くなってきたのではないかという気がする。

イランは例外的に人種的にも宗教的にもイスラム世界では特殊な地位にあるからある種の台風の目であり続けてはいるが、シーア派のイランが一定以上はイスラム世界で力を振るうことは難しいだろう。そうなるとイスラム世界で最も国民国家的なトルコの動向が大きな焦点になることは今後も変わらないだろうなと思う。

ウクライナは戦争を通じて国民国家化が進んだし、台湾も冷戦の継続の中で民主化を実現し、事実上の国民国家になっているが、中国やロシアはそれを認めないわけだから、ある意味国民国家同士の争いになっていく可能性は強い。

先進国においては「国民国家」という19世紀的な理念を主導するのはリベラルには難しく、いわゆる「極右」と呼ばれる集団が主導しがちになるけれども、その国民的支持の本質が他者排斥とかヘイトではなく国民国家的ナショナリズムであるとしたら、その辺をもう一度定義し直しせば運動の本質もより穏健なものになっていく可能性はあるのではないかと思う。

グローバル化の本質はある種の帝国主義のように私には思われるし、そういう意味では国民国家化は健全だと思うので、そういう視点から世界の動向をまた見ていきたいと思う。

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忙しいこともあって自分自身のことを長い間ちゃんと考えられていなかった気がするが、10年前の自分が10年後の自分が今こうなっているようであったと思っていたかというとそうではないよなとは思うので、その辺の観点から一度自分のことを振り返ってみたいと思い、今日はその辺から攻めようと思っている。

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