おっさんがカッコよく生きることは可能か/時の記念日と神田須田町の繁栄/雨上がりの道の爽快さと危なさ/田舎町の迷路と襖の穴

Posted at 24/06/10

6月10日(月)雨/晴れ

雨上がりの朝。今日は時の記念日。天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦6月10日)に初めて水時計(漏刻)で時を測ったという日本書紀の記録に基づいている。1920年に初めての時の記念日の行事が行われたのでもう105回目の時の記念日だが、いまだに祝日になっていないのは残念なところだ。

以前、「伊集院光の100年ラジオ」で初期のラジオで聴取率が高かったのは「時報」だったという話をやっていて、その際に歌舞伎役者の六代目坂東彦三郎が毎回今日の時報は何秒ずれていたとか投書してくる(当時は完全生放送)という話が取り上げられていたのだけど、彼が時計収集が趣味であり、それは歌舞伎公演の際も大向こうから「大時計」という声がかかるほど有名だった、ということは読んで知っていたので公共の電波にも注文をつけていたのかとへえっと思ったのだが、この時の記念日の際には東京天文台の標準時計(クロノメーター)を彼の自家用車に乗せて都内各所の時計(街頭にあったものということだろう)の正確性を調べたりしたというのを今ウィキペデアで読み、当時の人にとってまさに「時計といえば彦三郎」であったのだなと思って可笑しかった。

また、正確な時計を浅草、上野、須田町、日本橋、銀座に置いて通行人に時計を合わせるよう促したというのも面白い。大正時代の繁華街が上野浅草、日本橋・銀座だったというのはわかるけれども、須田町、つまり今で言えば秋葉原と神田の間に繁華街があったということで、これはターミナル駅であった万世橋駅の駅前ということで当時は東京有数の繁華街だったということだと思う。今では万世橋駅は廃止され、往時の面影はないが、町内にある地下鉄神田駅には須田町地下鉄ストア(1930年開業)という地下街があり、これは私も80-90年代に秋葉原に行く際は神田駅から行っていたのでよく通った。今ではこれも廃止されたので昔をしのぶよすがも消えつつある。

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5時過ぎに車で出かけて雨上がりの甲州街道(国道20号)を走る。セブンイレブンでジャンプとヤンマガ、それにカフェラテを買い、少しまわり道して帰ってきた。雨上がりの朝の空気が気持ちいい。舗装の上に、あちこちに水溜りが残っていて、水を撥ねないように避けられるところは避けて走っているのだが、雨上がりの朝には小鳥やカラスがそこで水を飲んでいたりすることもあって、なるべく注意深く走っている。

東京の道を走っていて落下物を踏んでしまったことが以前あるのだが、JAFの人に聞いたら雨の後には落下物が多いのだ、という話を聞いてなるほど注意しなければなあと思った。路面に注意する余裕があれば良いが、知らない道を走っていると正確な道を走っているかどうかの方に気を取られ、路面の細かい状態を見落とすことがままある。交通情報を聞いていると首都高で故障車が止まっていて渋滞何キロ、みたいなことをよく流しているけれども、そういうのもある程度不可抗力で起こることもあるのだなと改めて考えたりした。

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昨日はやることがなくもなかったがなるべく気を緩めて体調を回復させることに気をつけて過ごしていたのだが、午前中に茅野に出来た新しいスーパーに行ってみようと思い、まず長峰のオギノに行って買い物をした。オギノは店舗によって色々配置が違うのだが、割合空いていてゆっくり買い物できたし、気分転換に出掛けるには割といいかもしれないと思った。大体買い物はそこで済ませたのだが、つでにと思って本町のツルヤにも行ってみた。ツルヤはどこの店舗も大体同じ配置でその意味では使いやすいのだが、置いてあるものは上諏訪とあまり違わなくて敢えて来るほどでもないかなとは思った。店内に八十二銀行のATMがあるのは便利だ。80円の自販機のコーヒーだけ買って帰った。

最初ツルヤの場所を勘違いして福寿院前の交差点をビーナスラインの方に出たらなくて、しかも渋滞していたのでしまったなと思い、ヤマダ電機のある道で曲がって本町の通りを北上し、粟沢橋まで出てああここだ、と再確認。ここをビーナスラインの方に曲がるとその角にツルヤがあった。朝はドライブに行くが日中はあまり走らないので街の構造を理解していないと難しい。これは田舎の街のあるあるなのだが、比較的広い道だと思って入っていくと途中から狭い道になり、ギリギリで抜けられたり抜けられなかったりする。私は子供の頃から知らない道を歩くのが好きで、それが車に乗るようになってからも癖が抜けないのでつい知らない道に入って失敗することになる。まあ全然知らない地方都市や都心の複雑な道ではそこまで冒険はしないのだが、近隣の、長野県内の町だとついそういう好奇心が湧き上がってくることがあり、しまったと思うことも多いのだが発見の喜びも結構あって、いまだにそういうことが辞められないんだよなと思う。

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昨日は本当に一日「ふつうの軽音部」を読み返し、疲れたら横になって起きたらまた読む、という感じだった。ちょっと場所を変えて何かしよう、と思いMacBookAirを持ちながら歩いたら手が滑って襖を直撃し、襖に鈍器の傷のようなものをつけてしまって、修復方法を考えてヤマトのりを探したがなかったので、ホームセンターに出かけて糊を買ったついでに甘いものを少し買った。帰ってきて修復を試みたがそう大きな傷ではないので手をつけると逆に広がる感じになるなと思い、いじるのをやめた。近々人が来るのでこういうことをしないようにしないといけないのだが、まあこれはもう仕方ない。襖を張り替えるにしても4面全部変えたら結構手間もお金もかかるし今からでは間に合わない。

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自分にとって生きる上で大事なことは何なのか、ということを考えたのだが、なかなか難しいというか若い頃のようには明確に像を結びにくい。若い頃は、自分の個性に合わせてどのような服装をしてどのように振る舞えば「カッコいい」、ないしカッコよく見えるのか、ということは理解はしていたと思うのだが、最近になるとその辺りがよくわからない感じがすることが多い。

自分の年齢だと、ふつうに格好をつけるのは良い生地・良い仕立てのジャケットやズボン、みたいな感じになるわけだが、普段生活しているのがシティ感覚の場所であるわけではないのであまりそういうものも場違いに感じるし第一金がない。逆に若者みたいな格好をしている老人も時々見るが、「アメリカ人じゃないんだから」という感じがしてしまう。着物を着て歩くわけにもいかないし(第一持ってない)、結局昔買ったジャケパンとか最近のものはユニクロが多いが、本当に特徴の少ない服装という感じになってしまっている。

また、最近では自分が着たい感じのジャケットとかがあまりなく、妥協しようとしても数万円という価格を見ると、これだけ出して気に入らないものを買うのも嫌だなという気がしてしまってちゃんとしたものをあまり買わなくなってしまっている。いっそ古着屋にでもいくかとも思うのだが、家の中の洋服ダンスを漁って父や祖父の来ていたものを引っ張り出して着ていたりする。

生き方にしても、かっちりした場所に勤めてカッチリした生き方をする、みたいなことはやめてもう長いのだが、だからと言って「歳をとっても自由に生きる」みたいな感じ(「セクシー田中さん」の三好さんみたいな)なのも胡散臭いという感じもあり、なかなか年寄りが自分らしく生きるというのは大変だなと改めて思う。

ヨーロッパの田舎町に行くと何やってるのかわからない中年の小太りのおっさんとかが昼日中からカフェの椅子に腰掛けたり広場のベンチで話し込んでいるのをみたりして、まあ歳を取ってもああいうふうに生きてると楽しそうだなと思ったことはある。昔なら下町でおっさんや爺さんが縁台で将棋を指してるみたいな感じといえばいいか。今でも団地の広場に集まる中国人のおっさんたちが一体何を話してるんだろうという感じの話を延々と話してたりして、まあ本来おっさんというものはああいうものだよなと思ったりするのだが、自分にはちょっとハードルが高い部分があることも感じている。

もう一つのおっさん像は「森の生活」のソローとか、ヘルマン・ヘッセのような農夫というか庭師みたいな自然との付き合い方をする人たちというイメージがあって、イギリスの貴族なんかもそんな感じかなと思う。うちの父なども時々思い立って庭の木を脚立に上って整えていたりしたのだが、飽きっぽい人なので(私もそうだが)あまり長続きはしていなかった。自然に真理はあるのかもしれないが、まだそれと付き合う時期じゃないよなあという気はする。

結局本に埋もれて文章を書く、という選択しか残らないのだが、なかなかこのような駄文を連ねるばかりで、人の心に届いたり世の中に資するようなものを生み出せていないのは残念だなと思う。

ただ昨日書いたように創作をしてみるという方向性も一つあるなと思ったので、そういうものもまた生み出していければいいなと思っている。何か掴みかけたものがある気もするので(本物かどうかはわからないけど)書いてみたいと思っています。

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