「セクシー田中さん」についての日テレの報告書:「原作者の権利尊重」が目的にないのは何故なのか/国道を鹿が歩いていた/「壱人両名」と「近世地下官人」:「世田谷一古い洋館」を建てた尾崎三良とはどう言う人か

Posted at 24/06/01

6月1日(土)晴れ

昨日は午前中母を病院に連れて行き、買い物をして施設に送り届ける。銀行に行って用事をしたりして、二つやることがあったのに月末ということもありあまりに混んでいたせいか、一つやることを忘れてもう一度出直した。母の面倒を見るとか、お金の面倒を見るとか、仕事とか、文章を書くとか、マンガを読むとか、なんというか活動のレベルの違うことが混在すると何に焦点を当てていいか分からず混乱するところがどうしても抜けない。母も歳をとってから、銀行でいくつかやることがあっても一つ済ませたら一旦家に帰ってもう一度出直す、と言っていた頃があり、気持ちはわかるなと思った。一つの時には一つのことに集中したいのだが、いくつも同時にタスクをこなさざるを得ない時がある。お金に関わることなどはある程度集中してやらないとミスするから良くないのだが、忙しい時にはそういうミスが増えて困る。

昨日も職場の帰りに月末締めた書類を作ったのに会計作業をする自宅に持ち帰るのを忘れて朝取りに行ったり、今朝も朝出かける時にモバイルSuicaがインストールされてる携帯を忘れて現金で支払ったりした。iPhoneも携帯も忘れがちなのは「充電」という行為が必要だからで、充電が必要ない携帯機器が開発されたら相当便利になるだろうなとは思うが、バッテリー問題というのは今いろいろな面で技術的なボトルネックであると言えるのだろうなと思う。自動車で移動するときはまだ車内で充電できるだけマシだが、エンジンを切っているときは充電できないのでその辺は解決されていないなと思う。

昨夜は夕食後なんとなくうたた寝していたら気がついたら午前2時になっていて、慌てて着替えて歯を磨いて寝たのだが、5時前には起きた。やはりうたた寝では疲れが取れにくいのだが、疲れているとうたた寝してしまう。「寝る前のうたた寝」というのは就寝準備をする前の一休み、という感覚なのだが、この辺でもうちょっと頑張ったほうがいいんだろうなとは思う。

今朝は隣の市まで走ってガソリンを給油し、丘の上のデイリーまで行って塩パンを買って帰ったのだが、帰りに地元の市内に入ってから国道の反対車線が渋滞しているので何かと思ったらシカが歩いていた。私の実家は扇状地の住宅地と斜面の林の境目にあるので、裏庭に時々シカやカモシカが来ている時があるのだが、住宅地しかない旧繁華街の国道でシカを見たのは初めてだ。まあクマでないだけマシだと言えばそうなのだが、やはり山の中に獣の食糧が減っているのかもしれないなとは思った。

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「セクシー田中さん」をめぐる日本テレビの報告書がようやく出された。

https://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/pdf/20240531-2.pdf

内容的に言及されているツイートなどを読んでるとメンタルに影響が出る可能性を感じたので心に余裕がある時に読もうと思うが、冒頭で既に引っかかった。

「当調査チームは、原作者、脚本家、番組制作者等が、より一層安心して制作に臨める体制を構築するために、以下の事項を目的として調査、分析及び検討を行った。」

とあるが、この部分には「原作者の権利を尊重し」と言った文言が入って然るべきではないだろうか。既にこの時点でこのトラブルの「問題の所在」がどこにあるのかをちゃんと認識してないとしか思えない文章だなと思った。詳細な検討・批判は改めてにしたいと思うが、こんなに時間をかけていったい何をやっていたのか、理解に苦しむ部分がある。

ただ、「問題を報告すると報告者が問題を起こしたように勘違いする人たちがいる」と言う人間の認識構造のバグみたいなものは意識すべきことだなと思うし、こう言う報告書が出てきたことに関するメタ的な理解の側面から考えるべきことはあるんだろうと思う。これも言語論的転回に自分が影響されてるのかなとも思ったが、いやそれ以前に史料批判の基本だなと思う。史料批判と言語論的転回の関係については池上俊一さんが「歴史学の作法」で書いていたのでその辺ももう一度読んでおこうと思う。

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「壱人両名」には京都の地下家の官人、いわゆる近世地下官人の話がよく出てくる。これは朝廷の御用をする官人たちのことだが、朝廷を構成する役人たちは古くから堂上家と地下家があった。地下家は古くからん貴族の血を引く人たちもいるが、「株」を買って朝廷に関わることで権威を得ようとする人たちが、特に近世つまり江戸時代には多かったと言うことで、朝廷の官位は得ていても古代や中世の官人たちとは本質的にありようが違っていたわけである。もちろん、堂上貴族や皇室自体も古代や中世とは大きく存在形態が変わっているのは確かだが、近世町人の京都における在り方の一つとして興味深いものがあった。

その中に村落の里長でもあり、門跡の諸大夫も務めた家柄で三条家(つまり三条実美)の諸大夫として国事に奔走した尾崎三良という人物が出てくるが、この人は明治政府でも活躍し、マンガ家の山下和美さんが保存運動に乗り出した世田谷の洋館を建てたあの尾崎三良であることがわかって驚いた。

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尾崎はロンドン留学中にイギリス人女性と結婚したが帰国後日本で三条の家人の孫とも結婚していて、かなりややこしいことになったようだ。そのイギリス人との間にできた娘英子セオドラと結婚したのが同じ尾崎姓の尾崎行雄だった、というわけだ。

私はあまりよく知らなかったが「尾崎三良自叙略傳」は中公文庫にもなっていて、讒謗律を起草したりかなりの能吏であったようだ。そのほか『尾崎三良日記』上中下も中公から出ている。

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私はこの記事はウィキペディアの記述をまとめて書いたのだけど、おそらくこの記述自体が「自叙略傳」の抜粋なんだろうなと思う。当たれる時があれば当たってみたいと思うし、この尾崎三良の幕末から明治への人生なども、大河ドラマなどになると興味深いのではないかと思った。

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