都知事選に新しい風を感じる/「ガーナを知るための47章」奴隷貿易とか豊臣秀吉とか南米の逃亡奴隷コミュニティなど

Posted at 24/06/22

6月22日(土)晴れ

今朝はいつもの布団で寝ていたら少し寒かった。起きて気温を見ると12.3度。空を見るとよく晴れているので、つまりは放射冷却ということだろうか。梅雨時の放射冷却というのはあまり考えにくいが、昨日は日中がずっと雨で最高気温も午後四時ごろに20度くらいだったので、もともと気温が上がらなかったから、ということなのだろうか。天気図を見ると梅雨前線はまた南に下がっているので、冷たい空気が入ってきているということなのだろう。ただ、これから梅雨前線が西から北上し、夕方からは当地も雨になるようだ。昨日ようやく梅雨入りが宣言されたのでしばらくは梅雨らしい天気になるのかもしれないなと思う。

忘れていたが、昨日は夏至だった。日が長くなっているとは感じていたが、もともと朝はもっと早く明るくなるような気がしていたので気にするのを忘れていたという感じ。夏至の日に梅雨入りというのは確かにかなり遅いわけで、これからの気候がどうなるかはなかなか気になるところではある。

都知事選のカオスぶりに関し、心ある感じの左翼の人が世も末だ、みたいなことを言っているが、まあ「誰でも供託金のお金を払えば立候補できる」という民主主義の制度が十全に機能したら今の日本ではこうなるんだな、ということがわかって面白い。ほぼ全裸の女性ポスターを貼り出した「ジョーカー」を自称する候補は警察に警告されて敢えなくポスターを剥がすことになったようだが、私のタイムラインでは「腰砕けだ」と評判が悪い。

私のタイムラインにはいわゆる「表現の自由系」の人が多いしそういう人でなくても原則論的に自由について考える人が多いので、ああいうことをやった時は最初から戦うつもりで作戦を考えているだろうと思うのだが、そこまで考えないで思いつきでやったということなのだろうけど、公職選挙法でポスターの内容の制限はないことになっているから、迷惑防止条例程度の警告では剥がす義理はないのだけど、どう戦うかを考えていなかったのだろうなと思う。少なくとも弁護士を同席させるなりすればよかったと思うのだが、そういうのもダサいと思ってしまったのかもしれない。国家権力という魔王と戦うのは勇者一人だけではダメで弁護士とかいろいろ、魔法使いや戦士みたいな人たちを連れていく必要はあるだろう。まあ今後は戦い方をもっと検討してもらえれば良いとは思ったのだが。

まあいろいろな意味でホットな話題が尽きない選挙戦であり、よくわからない団体への支出をやめさせようとするひまそらあかねさんや、ガチで政策を検討して96ページの政策案を提示する安野貴博さんなど、ただのイロモノとはいえない戦略的な候補も出てきていて、当選は難しいにしても現状の政治に一石を投じるような候補が出てきたことはむしろ新しい風を感じる。カオスはカオスだけれども、転換期というのはそんなものだろう。私はむしろ現状を肯定的に見るようになった。

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昨日は時間のある時に「ガーナを知るための47章」の歴史の章を中心に読んでいたのだが、面白い。西アフリカ諸国(サハラ以南)は基本的にサヘル地域(サハラ砂漠と熱帯雨林の間)に栄えた古代帝国、ガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国とその後継国家の影響からスタートしていることが多く、南側からよりは北側から勢力が進出する感じになっているのだが、大航海時代以降、南の海岸地帯にヨーロッパ船が来航し、それとの取引が始まってからは武器の入手などで南の勢力が強くなって、彼らが奴隷狩りを行うことで武器等を入手する一方交易で繁栄する、という経緯を辿ったようだ。

これはガーナに関してなので近隣の諸国はまた違う歴史もあるのだろうけど、西アフリカは帝国主義時代に川沿いにヨーロッパ人が征服を進めたため、現在もギニア湾から北上する川に沿って縦長の国家が並んでいるという形になっている。ガーナは主にヴォルタ川とその西部領域のイギリス植民地から形成された国家だが、ヴォルタ川の上流はニジェール川に沿って西から(セネガルから)征服を進めてきたフランスの植民地になり、オートヴォルタ(高地ヴォルタ・フランス語)という国になったが、現在ではブルキナファソという原地名の国家になっている。

1787年(フランス革命の2年前)にイギリスで出された「英国民に向けての奴隷制および人身売買という邪悪な取引に関する思惟と所感」という本があり、この本は奴隷貿易禁止運動に影響を与えた本だということだが、著者はガーナ生まれで、奴隷狩りに捕まり奴隷としてカリブ海のグレナダに売られ、所有者が帰国の際にイギリスに連れてこられて教育を受けた、オットバー・クゴアノという人物だった。日本語グーグルでは「ガーナを知るための47章」しか出てこないが、英語ではWikipediaにもかなり詳細な記述がある。

実際にイギリスで奴隷貿易法で奴隷貿易が禁止されたのは1807年なので出版から20年後になる。1787年には奴隷貿易廃止促進協会が設立されているのでこの本も何らかの役割を果たしたのかもしれない。「奴隷貿易法」や「奴隷号駅廃止促進協会」をググると他にも人名は多く出てくるのだが、ポリコレ的な意味でのアメリカ黒人の問題としてだけでなく、奴隷を連れ去られたアフリカ諸国の停滞の問題という視点が必要だと思った。

とはいえ、アメリカで教育を受けた黒人が西アフリカで近代化に与えた影響はかなり大きく、その辺りは切り離せない部分もある。リベリアのようにアメリカの解放奴隷が建国した国が奴隷制度まがいなことを行なったり、複雑な過程もある。

豊臣秀吉が宣教師やポルトガル商人たちが戦国大名たちによって「乱取り」された農民たちを奴隷として国外に輸出しようとしていたことは、バテレン追放令やその後の鎖国政策の大きなきっかけの一つになったと思われるが、秀吉の視点も「土地を耕作し収穫をあげる農民たちの減少が与える影響」という点だった。日本では古来から農民たちがその土地で食えなくなると他の場所に逃亡する「逃散」が行われ、国守や領主たちは躍起になってそれを防ごうとしていたわけだが、荘園経営が安定して農民たちが定住するようになってきてもそうした奴隷狩りが行われれば農村人口が減って国全体に打撃を与える、ということを正確に見ていたのは彼自身が下層階級あがりだったこともあるのかなと思う。西アフリカでは支配者たちにその視点が欠けていたということなのだろう。

ガーナの主要言語(8割くらい話者がいる)のアカン語は北部から中南部の森林地帯に進出した人たちが話している言語なのだが、南部に勃興したアサンテ王国がイギリス人と取引をするために奴隷狩りを行い奴隷たちが新大陸に連れ去られたためにジャマイカとスリナムにアカン語を話す集団があったという話は興味深かった。これは英語のWikipediaで読んだ内容かもしれない。

スリナム(南米北部の旧オランダ植民地・オランダ領ギアナ)に顕著なようだが、最初期に導入された黒人奴隷たちの中には逃亡するものが多くあり、この逃亡奴隷の集団をマルーンというようだ。スリナムには人口の15%のマルーン系がいて、この集団がガーナのアカン語を話していたようだ。現在どのくらいいるのかはわからないが。

合衆国には逃亡奴隷の集団は成立しなかったのだろうか。テレ朝開局のときの記念番組だった「ルーツ」では奴隷として連れてこられたクンタ・キンテが逃亡を繰り返し、しまいにはアキレス腱を切られてしまうエピソードがあったが、13植民地では逃げられるところがなかったということなのかなと思ったり。

奴隷問題というと当然ながら悲惨なエピソードや非人道性のみがよく取り上げられるが、これは経済問題でもあり、また民族問題でもあり、言語問題でもあり、逃亡奴隷たちが作ったコミュニティの話などが出てくると当然ながら彼らも人間なので逞しく生きていった人たちもいるのだなあという感慨を覚える。マンガではそういう話はよく出てくるが、現実にもあったのだなと。

諸星大二郎「太公望伝」も羌族だった呂尚が殷の奴隷狩りにあい生贄に首を切られるところを済んでのところで逃げ出して周の支配下で暮らし、やがては文王・武王の下で殷を滅ぼす軍師・丞相になるストーリーなのだが、こうした話は世界的にどれくらいあるのだろうか。日本だと平家の落武者が作った集落、といった感じの「貴種流離譚」は残っているが、逃亡奴隷が主人公の話は聞いたことがないなとか。

「岩波講座世界史」のアフリカの巻でも奴隷制度は取り上げられていて、特にアフリカ内部での奴隷制というのはアメリカ植民地における奴隷制とはかなり違ったものだったようなのだが、古代ローマにも戦争捕虜が奴隷として売られたり債務で奴隷に転落する人たちがいたわけで、もともと奴隷と言ってもさまざまな様相がある。

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以前神保町で「アフリカ ラテンアメリカ関係の史的展開」(平凡社、1989)を買ったのだが積読になっていたので、少しこちらも読んでみるのもいいかなと思ったりしている。

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