「感謝」という行為の持つ力/「壱人両名」:江戸時代の社会の現実のあり方がとても面白い/諏訪湖のワカサギの危機

Posted at 24/05/30

5月30日(木)晴れ

今朝は朝からとてもよく晴れていい天気だ。昨日はスケジュールを勘違いしていて、松本に整体に行く日だったので早めにブログを書いて9時出発で出かけた。国道も高速も比較的空いていて時間通りにつき、体を見てもらうが、つい定額減税のことなど考えてしまって「頭が忙しいようですね」と指摘されてしまった。そのほか、横になったら眠れるとかそういうことはいいことだと考えていい、ということはわかったのでペースを作りながら行きたいと思う。

朝、溜まった地元の新聞を少し読んでメモしていたのだけど、スーパーの新規開店の記事があって場所がなんとなく気になり、朝車で出た時にヤンジャンを買ってから足を伸ばして現地まで行ってみた。マツモトキヨシの隣にできた、という記事でそんなに場所が広くないのになあ、と思いながら行ってみたら、マツキヨの隣が駐車場でその奥にかなり大きな店舗ができていて、なるほどこういう構造かと思った。まだ開店前だから買い物はできなかったが、開店後の時間では道が混むのでなかなか行きにくい。行きは茅野の市内を通っていき、帰りは別ルートで帰ったが、天気のいい朝の道を走るのは気持ちいい。

走りながら「感謝」ということの大事さについて考えていたのだが、「感謝」というのは良いことがあった時に「ありがたいことだ」と「解釈する」ことだな、と思った。物事が動いて一つの結果が出た時、「このことはなんだったのか」と最後に総括するわけだけど、それを「ありがたいことだ」と解釈することで、前向きのベクトルがさらに生まれる。おそらくは、これは宗教において重要な心的な技術、つまりメンタルテクニックであって、だからこそ宗教が力を失わないのだと思うのだけど、結局いわゆる「思想」、特に左派的な思想が今ひとつ力を得られないのは、「感謝」という総括ではなく「批判と反省」という総括になるからなんじゃないかと思った。もちろん宗教も「感謝」が自己目的化して思い込みのレベルになると問題はあるが、心の技術的な問題としてとても人の心にかなった仕組み、やり方だなと思った。神はなぜいるのか、なぜ重要なのかということについても、「感謝の対象」として神はいる(居る・要る)、と思うと腑に落ちるところがある。宗教の重要性がいつまで経っても無くならないのは、その心の技術が人間存在にとてもマッチしたものだから、ということなんじゃないかと思ったりした。

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昨日は読みかけの本をあまり読む気がしなくて、かなり前に買って本棚に挿しては置いたけど読んでおらず、時々ちらっと読もうとしてやっぱりいいや、の繰り返しになっていた尾脇秀和「壱人両名 江戸日本の知られざる二重身分」(NHKブックス、2019)を読み始めた。

ちゃんと読み始めてみると、この本はかなり面白い。簡単にいうと壱人両名とは江戸時代には二つの名前・二つの身分を使い分けて生活していた人たちが一定数いた、という話で、「百姓丈右衛門」である農民が「泉屋丈右衛門」である商人でもあり、また「永嶋丈右衛門」という武士(公家侍)でもあった、という例が挙げられている。

これは確かに江戸時代は「身分制度が厳格で、全ての人間は親の身分を引き継いで生きるしかなかった」時代である、という、いわゆる「教科書的な知識による固定観念」からすればかなり不思議な話なのだが、よく考えてみれば、というか少し調べてみればわかるが武士の子が芸事に凝って家を離れて歌舞伎役者になったり、農民の子が地方で食いつめて江戸で奉公して商人になり、富豪になったりとか、そういう意味での身分の流動性というのはないわけではない。能登地方でも、本家は戦国時代に家を継いで農民・地主になったが、次男三男が前田家に仕えて武士になった、みたいなことは網野善彦さんの本で読んだことがあるし、もともとそんなに固定的とばかりは言い切れない部分はあるのは少し調べて考えてみたらわかることだが、それならどうして固定的に捉えられてきたのか、みたいなことも合わせて考えてみると、江戸時代の統治体制、「支配」の問題とかに関わってくるわけである。

「支配」というと、現代では「この支配からの卒業」みたいに権力者に弾圧される若者・庶民、みたいな固定観念的な悪というイメージがあるけれども、江戸時代の「支配」はほぼ「管轄」という意味であり、老中の業務上の部下にあたる人たち「老中支配」、若年寄の部下にあたる人たちが「若年寄支配」と言われたようなもので、一人の人間の活動が多岐に渡った場合、その支配によって百姓(この場合は農民だが農民とは限らない)としての名前、商人としての名前、武士としての名前をそれぞれの場面で持つ、ということなのだという。この辺りの説明は大変丁寧で詳しく、この「壱人両名」という一見特殊な事例を掘り下げていくことで、江戸時代の具体的な社会の仕組みが説明されていき、読んでいてとても面白い。

このケースで思い出すのは坂本龍馬である。彼は土佐藩の郷士(下士)の坂本家の次男坊であるわけだが、この家は同時に商人・才谷屋でもあることはよく知られている。彼は他藩で活動する時に幕府に素性がバレないように才谷梅太郎という偽名を使っていたと言われているが、上に述べたような意味でこれは偽名ではないとも言えるのではないかと思った。このケースについてはどうもこの本では言及がないようだが、これも「壱人両名」のケースとして取り上げれば、割と多くの人にとってわかりやすいのではないかと思った。

読み始めるときになかなか上手く内容に入れなかったのは、この本が何を説明した本なのかがよくわからなかったからなのだが、「壱人両名」という現象を通して江戸時代の社会が説明されている本だ、ということがようやくわかったのでその面白さがわかってきた、ということになるわけである。

5年前の本で、多分新刊で買っているので、その面白さがわかるのに5年かかったということになるが、読みがいのある本だと思った。現在44/294ページ。

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https://www.nagano-np.co.jp/news/detail.php?id=1528

諏訪湖でワカサギが獲れない話は数日前に書いたが、25日の新聞を読んでいたら今春のワカサギの採卵量が過去最低の170万粒にとどまった、という記事があった。例年は3億〜5億粒で、全国の湖沼に出荷しているそうなので、つまりは例年の1%以下だということだから、その少なさがわかる。昨春でも5000万粒で出荷を断念したということなので、危機的な状況であることがよくわかる。

諏訪湖では2016年にワカサギの大量死が発生したそうで、それは酸素が少なく魚介類の生存に適さない湖底の貧酸素水が、湖全域に及んだことによる窒息死と断定されているのだそうだ。 風と気温の低下で、上層の水温が下がり、貧酸素水が混ざりやすくなったことが原因だという。2016年7月の気象を調べると特段低いわけでもない感じなので、(雨の降る日は最高気温が20度くらい、晴れた日は30度近く)どういうことかちょっとわからないなあとは思った。

https://www.sankei.com/article/20161007-AGACPXAAWVIVRA2R3ZT4LPPEJY/

2016年の自分の記事を読んでみたら、ポケモンGOについて書いていたり、天皇陛下が譲位の意思を表明された、ということについて書いていたりで気象についての記述がないからよくわからない。記事全体が割と呑気なのでまだ母が元気で家にいた頃なんだなと思ったが、8年というのは短いようで長い年月が経ったんだなということも感じた。

いずれにしても、この時の大量死からワカサギの産卵量は回復していないとのことなので、今行われている新たな孵化方式の成功や、個体量の回復を待っての諏訪湖のワカサギ漁の復活を、期待するしかないかな、という感じだなと思った。

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by Luke Peterson

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