作品世界にディープにハマる贅沢/感動を忘れないように紙に書いて貼る寺山修司的世界/人間の生物学的限界

Posted at 24/05/19

5月19日(日)曇り

今日は出かける予定なので早くブログは書いてしまおうと思っていたのだが、書くことを探すためにいろいろ本棚を探したりネットの書籍を読んでいたりしたらあっという間に8時半になっていて、驚いた。

やりたいことや興味のあることはたくさんあるのだけど、その「やりたいこと」や「興味のあること」にはいろいろなレベルがあって、若い頃のように照準を絞りきれないのが難しいなと思う。例えば、マンガを読んでいて面白いと思っても、若い頃は本当にディープに諸星大次郎作品にハマってその世界を反芻しているような時間が長くあったし、それは結構最近までいろいろな作品世界にハマるようなことはあったのだけど、最近読んでいる作品はそういう感じではなくてむしろ新しい世代の人たちの感性みたいなものに感動する、というつまりちょっと一歩引いたところからの感動、みたいなものが多くなってきた。

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これは自分が子供の頃も、古い世代が熱中している学生運動的なものみたいなものからはちょっと一歩引いたところでそういうものを眺めていた感じとやや近い感じがする。自分たちの文化、というとやはり80年台的なものなのだが、その感性の対抗軸として90年台的なものが出てきたけれども、それらを含めて押し流すようなものがまた10年台や20年台になって出てきている感じがする。

そういうふうに考えていると、自分が何に感動しているのか分かりにくくなってきて、いちいちその感動に名前をつけるというか、こういうところに書くことで整理していくようなところがあるのだが、時々そういうものをリセットしてみると何がなんだったのかまたわからなくなるというような、手のつけにくい何かを感じる。

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寺山修司監督の最後の映画の「さらば箱舟」で、主演の山崎努が演じる男が、記憶がどんどん消えていくので自分の周りの全てのものに名前を書いた紙を貼っていくのだが、最近なんだか自分もそういう感じになってるのではないかという感じがする。書いていかないと忘れてしまうのだよな。

しかし感動する→書き留める→忘れる→紙を見て思い出す、というサイクルが昔はそんなに気にならなかったのだけど、最近は「思い出す」のも結構面倒くさいというか大変だ、と感じることもあって、昔のどこかに焼きついた記憶は多分そうそう忘れないのだが、最近の出来事はこのサイクルが早くなるという、まあすごく老人にありがちな現象が自分にも起こりつつあるのだなという感じはする。

そういうことで、自分がやることに体系をつけるというか、「まとまったもの」を作り出すのはある程度の期限があるなとは思うので、早めにまとまった作品を世に出したいなという気がしてきた。

今日はこれからの人生の中で一番若い日、というのはよく聞く話だが、残りの人生の中でこのことは後何回できるんだろう、と思うと今日やれることは今日やっておいた方がいいなと思うところはある。人間には生物学的限界はあると言えばいいのか。

とりあえず今日は横浜に橋本治展を見に行こうと思っているのだが、どういうものに出会えるのか、橋本を読んで面白いと思った頃の自分にも出会えるのか、まあそんなことを楽しみにして出かけてみたいと思う。


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