食べ過ぎ/「龍と苺」キャラクターのモデルになった棋士を考えてみる/新宿ガールズバー経営者殺害事件といただき女子りりちゃん、江戸歌舞伎の廓物の世界

Posted at 24/05/10

5月10日(金)晴れ

今朝はかなり冷え込んでいる。今の所の最低気温が1.8度。ただ、昨日の朝は用心してなかったので寒く感じたが、今朝はそれなりに意識していたので来たか、という感じですんだ。何事も準備が肝心だなと思う。そこまで大袈裟にいうこともないが。

昨日は午前中松本に出かけて生体で体を見てもらい、やや食べ過ぎだと分かったので意識してセーブしようと思った。ただそれはどうも頭が疲れていることと関係があるようで、頭がちゃんと休まるようになると自然に食べなくなる、ということもあるようだから、緩と急、緊張と弛緩をメリハリをつけていきたいと思った。帰りにいつもはなぎさライフサイトの蔦屋に寄ったりするのだが、確かもう閉店したはずなので市内まで行っていつもの駐車場に止め、丸善で新刊のマンガを探したがなかったのでバスセンターの地下のデリシアでお昼の買い物をなるべく少なめにし、パルコまで歩いてアニメイトで弐瓶勉「タワーダンジョン」2巻を買った。パルコももうすぐ、来年だったかになくなるから、こうしたテナントがどこに入ることになるのか、まあ地方都市は大変だなと改めて思う。松本レベルの都市でこうなのだから諏訪がもっと大変なのは仕方がないと言えばそうなのだけど。

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空いた時間ではずっと「龍と苺」を読んでいたのだが、15巻最後まで読み切って今連載の展開と全然つながらないから調べてみたら40話くらい間が空いていた。いろいろ調べたがこの作品が単話で読めるアプリなどはないようなので、とりあえずは6月18日発売の16巻を待つしかないという感じである。この辺りのところ、小学館はいろいろと商売が下手だなと思う部分でもある。まあ、集英社がうますぎるということかもしれないが。ウェブで公開されているのはサンデーうぇぶりで最新話だけで、他の話はポイントなどを使っても読むことができない。もしかしたら自分が気が付かない方法があるのだろうか。

「龍と苺」には変な行動をする棋士がたくさん出てくるが、流石にこんないかつい人はいないよなと思ったりしたけど、考えてみたら大山名人だの中原名人だの坂田三吉だの将棋は真剣師(賭け将棋)の歴史があるからやばい人はたくさんいただろうし、奇矯な行動をする人も考えてみたら何人か出てくるので、なるほどマンガではそういうのをデフォルメする方向でキャラクター作りをしたのだなと思ったり。どのキャラクターが誰がモデルか、みたいなことを考え出すといろいろあるが、「大鷹世代」の病弱で早世した川村という棋士は明らかに羽生世代の村山聖九段をモデルにしているのが分かったから、つまり極端だが羽生さんの寝癖が大鷹名人のとんがった髪型にデフォルメされているのではないか、みたいなことも思いつくわけである。もちろん単純なモデル化ではないにしてもまあそういうことを想像するのもマンガを読む楽しみだなと思った。

***

最近起きた事件についての感想を少し。新宿のガールズバー経営25歳女性が色恋で自分が大事にしていた車やバイクを打って作ったお金を51歳男性から騙し取って恨まれて殺された事件、実に古典的な男女関係をめぐるいざこざの事件で、また騙された相手を恨んで危害を加えたという点ではホストに入れ込んだ女性がホストを包丁で刺したという事件と基本的には同じだろう。

なんというか江戸時代に先祖返りしたような話だと思う。恋とカネの恨みを暴力で「最終的解決」する。まさに歌舞伎の廓物の世界。

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「籠釣瓶花街酔醒」では田舎のお大尽・次郎左衛門が吉原で花魁道中を見てすっかりのぼせてしまい、花魁八ツ橋に通い詰め、ついには身請けという話になるが、それを聞いた八ツ橋の情夫が縁を切れと強要し、初橋は満座の前で次郎左衛門を振る。寂しく帰る次郎左衛門だが、その年の暮れになってまた遊びたいと言って店を訪れ歓迎されるが、八ツ橋と二人になった次郎左衛門は八ツ橋を斬り殺す、という話で、籠鶴瓶というのは刀の名前、妖刀と言われる村正の作であった、みたいな話である。

私はこれを次郎左衛門が二代目中村吉右衛門(鬼平を長年演じた)、八ツ橋が六代目中村歌右衛門で見たのだが、華やかな曲輪物の中でも冒頭の花魁道中の華やかさは群を抜いていて、これぞまさに江戸歌舞伎の華、という作品だった。

ガールズバー経営者の事件は、加害者の方は被害者からストーカーとして接近が禁止されていたようだが、最終的にそうなってしまったわけで、結局は男女間の問題が法で解決しないならより根源的な暴力で解決しようという人間は出てこないとは言えない、といういわば当たり前の話だったわけだ。

そうさせないのが文明社会であって、同じような色恋詐欺の事件では先ごろ話題になった「いただき女子りりちゃん」の話のように、ジェンダーがらみの支援者が出てきて話がややこしくなっているわけだけど、まあ殺されてしまったら支援もへったくれもないわけで、この問題はジェンダーで解決する問題では全くないわけである。

いただき女子の被害者たちは今回の加害者のようなアグレッシブな復讐を仕掛けるタイプの人でなかったからよかったけれども、「お金を騙し取っても被害者は女性」みたいな雰囲気が醸成されたら結局男性の方が恨みを晴らすには暴力に訴えるしかなくなるわけで、そういう暴力の引き金を引かない細心さみたいなものが昔は今よりはあったと思うのだけど、そういうものが女性から消えつつあるのはヤバいということが明らかになった事件だったと言えるのではないかと思う。

この件について自分のツイートについていたリプライで本当にそうだなと思ったコメントがあったのだが、「相手の理性を失わせて金を騙し取った相手に、自分を殺さないという理性を期待するのは間違っている」というのは全くその通りだと思った。

まあ殺した方が悪いのは当たり前なのだが、殺されてしまったらもうその人には何もできないわけで、宝島夫妻の事件といいもっと前の安倍さんの暗殺事件といい、「殺すことによる問題解決」みたいな話が説得力を持ってきてしまう傾向というのは良くないと思う。これは山上容疑者を持ち上げている左翼人士にも反省して欲しいところだし、騙した女子の方を擁護するフェミニストにも本当にそれが女性のためになるのか考えてもらいたいところではある。つまり、常識をもっと大事にした方がいいのではないか、ということである。


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