「戦争は外交の失敗」ではない/教育は贈与であり呪いである/世界は搾取するアメリカを憎み、日米は捨て去った工業力に復讐される/「リベラル寡頭制」が支配する司法判断とアカデミズム人事
Posted at 24/05/04 PermaLink» Tweet
5月4日(土・みどりの日)晴れ
昨日は休日だが仕事。でも休日なので銀行とかにいく仕事はひとまずなくて、昼前にスーパーで買い物をしたくらい。全体的に仕事ものんびりと。疲れが出ているということもあり、ゆっくりやった。
昨日はネットを結構見ていて、その中で考えてみたいと思った主題が三つ出てきた。一つは雁琳さんが取り上げていたエマニュエル・トッドのインタビュー。これは先の補選で当選した立憲民主党の亀井亜希子さんが引用していたことを批判する文脈でトッドの世界史認識が取り上げられた、という文脈から出てきたわけだけど、いろいろな議論を読みながら、トッドという人が現在の世界状況について何を言っているのかようやく理解できた感じがしたのでそれについて。二つ目は東浩紀さんが「教育は契約ではなく贈与である」ということを言っていてそれは面白いテーマだなと思ったということ。三つ目は「戦争は外交の失敗」という言葉をめぐって。いずれにしても全部まとめて書けるような話でもないのだが、簡単に素描してみたいと思う。
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まず、「戦争は外交の失敗」というフレーズについて。この言葉はなんだかしたり顔の嘘つきが言いそうなセリフだ、と思ったのだが、元はイギリス労働党の左派であったトニー・ベンという人の言葉だそうだ。彼はブレアの新労働党路線を批判する左派議員で、アフガン戦争やイラク戦争に反対していたらしい。彼はイギリスの議員らしく、労働党議員でありながら父は子爵位を持ち、本人はそれを放棄したのだが、彼の死後息子は爵位を復活させて子爵に復帰している、という人で、日本ではあまり知られていないがイギリス政界ではそれなりの存在感があった人のようだ。
「戦争とは」という問いではクラウゼヴィッツのテーゼが有名で、「戦争とは他の手段で継続された政治(外交)である」というわけだけど、戦争を絶対悪視する傾向が強くなってからはアウトオブデートに見られている傾向はあるようだ。しかし戦争というのは国家の資源を国家が傾くほど蕩尽する行為になっているわけで、だからこそ戦争目的というのは達成されなければならないし、それが外交という手段によって解決できるならその方が国家にとっては利益であることに間違いはないわけである。
それならなぜ戦争が起こるかということになるわけだけど、いろいろネットを見ていたら「戦争は外交(政治)の不在」というフレーズがあった。まあウクライナ戦争やガザ戦争はその背景に外交(政治)がちゃんとは(普通の意味では)存在してない感じは確かにある。
ウクライナ戦争はプーチンの妄想から始まった問答無用の国家殲滅的なものだし、ガザ戦争は存在を無視しようとしていたハマスに裏をかかれたネタニヤフの激怒が動機でどちらにしても政治(外交)の入り込む余地がほとんどない。バイデンがネタニヤフにいろいろ「助言」をするけれどもほとんどいうことを聞かない、というのはこれは彼にとっては「外交の延長」ではないからだろう。ハマスだけでなくパレスチナそのものを「交渉相手」として認めていない、認めたくない、というスタンスが彼には強いから、外交など最初から成立する余地がない。彼の交渉相手は仲介する周辺勢力の中東諸国であり、かなりの自己主張も飲んでくれる同盟国であるアメリカであろう。だからこれらの戦争においては本来的に「外交」が存在していないわけで、「戦争は外交の失敗」などというのは相手が話が通じる存在であることを前提としたお気楽な思想の結果でしかないということになる。「外交の失敗」などというありもしないことをいうよりは、ウクライナやパレスチナの歴史的経緯や置かれている現実を見て考えることの方がよほど重要だろうと思う。
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https://twitter.com/hazuma/status/1786259166157549870
東浩紀さんの上のツイートの前後の連続ツイートの中で、教育について「本質的に見返りを要求しない「贈与」であり、いわば「交換の失敗」「誤配」である、ということを言っていて、これは面白い考え方だなと思った。
教育の目的は二つあると考えられるわけで、一つは子どもを社会人として生活できる知識や技能を与えること、あるいはその将来の目標に向かっていける自立力を与えることであり、つまりこれは「個人に対しての贈与」であると言えるなと思う。
もう一つは、子供を「現存する社会」に適応させることであり、それは子供の生存を図ると同時に「社会そのものを維持する」ことが目的である。だからこの要素を「贈与」という側面から考えれば、「子供により良い人生が送れるような社会を残してやれるように子供を社会に適応させる」ということになる。
子供に知的教育を与えるのが前者の目的のためであり、子供に起立を与えるのは後者の目的のためであるわけで、それはいずれにしても贈与=押し付けであり、子供が必ずしも望んでいない、つまり「交換の失敗」であり「誤配」であるということになる。しかしそのようにしてしか社会は再生産できないわけだし、またその社会の中で生きていく力を与えることもできないわけである。
そういう意味で、教育は「贈与」でありある種の「呪い」だという考えは納得できるし、そう考えるとスッキリする部分がある。
そう考えてみれば、我々はみな戦後民主主義教育に呪われているのだ、ということができるわけである。そして我々が本を読むということには、「教育として掛けられた呪いを解呪する」という意味もある、ということになる。本を読むことだけが解呪ではないが、その呪いの中で十全に生きられる一部の人を除き、人はそういうものを必要とする。
しかし大きく言えば、そうした学校教育の外にある学問や常識といった知識体系もまた、前代からの「贈与」であり「呪い」であるとも言えるわけであり、それを解呪することは結構難しいことで、無理にやろうとするとトンデモに陥ったりカルトに取り込まれたりするわけである。現状、れいわ新撰組や参政党、日本保守党やある意味では日本維新の会もそういう傾向は持っていて、古くは日本共産党や思想的な市民団体に乗っ取られかけている立憲民主党などもまたその手の「解呪に見えるより強い呪い」に陥っている感はある。
本来はその「学問や常識その他の既存の人間の築いてきた体系」に対する解呪の方法として、「哲学」というものがあったのだろうと思う。これもなかなかうまく機能しているとは言えないけれども、その時々の社会を根本から批判し新しい方向を示すのが哲学の役割であったのだと思う。現在Twitterでもどのくらい評価できるかは別として哲学の人たちの議論を読んでいると刺激されるところが多く、この混乱した状況を切り開く可能性の一つとして注目したいと思っている。
***
最後にエマニュエル・トッドのインタビューだが、歴史を専攻したものとしてこのインタビューはとても刺激を受け、触発されるものがあったとまず言いたいと思う。
https://shueisha.online/articles/-/201969
https://shueisha.online/articles/-/201972
https://shueisha.online/articles/-/201973
正直、今までトッドのいうことは面白いとは思いながらその真意ないし真の価値みたいなものを掴み損ねていたところがあるなと思っていたのだけど、このインタビューでだいぶ分かった感じがする。
最初の方から自分が重要だと思った部分をまとめていくと、現在の世界の対立構造は西側対東側(ロシア、中国など)ではなく、西欧(日米含む)対世界(中露だけでなくイスラム諸国、いわゆるグローバルサウスも含め)になっているというテーゼである。
これはある意味自分もそう考えている部分があったのだが東西よりもより大きな対立として捉えていいのかというところに関しては留保があった。トッドの見立てはより明快に後者のテーゼを支持するもので、なるほどと思ったわけである。
現代の西欧はもはや「世界の工場」ではない。圧倒的な工業力こそが国力である、という解釈を西側諸国はもう取らなくなっているから、というわけである。西欧は「不労所得(金融など)で生活する国」になっていて、中国やインドなどの工業を発展させている新興国や、今まさに発展登場の国などに工業生産をやらせてその利益を搾取する国になっている、つまり中国やインドは産業資本家の中産階級くらいまではきているが、発展途上国はグローバルな労働者階級、プロレタリアートになっている、と捉えている。
そしてそれが今回のコロナやウクライナ戦争で露呈した、というわけである。つまり、西側諸国はウクライナの要求する武器弾薬を十分に供給できていない、それは自らが工業力を放棄して新興諸国にやらせ、自らは利益のみを吸収するようになってきたからであり、またコロナに関して言えば、日本はマスクさえ自国で生産する能力を失っていたことは記憶に新しい。一方でロシアはすぐに弾薬が尽きるかと思ったらそうではなく古い設備だとは言えフル回転させることで質はともかく大量の武器弾薬を供給できていて、西側の経済制裁を逃れて多くの国からそれらを輸入することにも成功しているから、開戦から2年以上経った今でも攻勢を維持できているわけである。
この視点は自分には欠けていたのでかなり納得させられるものがあった。
つまり、「西側が世界に憎まれている」のは「西側のブルシットジョブ階級に搾取されている」からであり、それに加えて「極端なフェミニズムや道徳的リベラリズム」を押し付けてくるからである、というのは全くその通りだと思った。
この辺りの考え方はウォーラーステインの「世界システム論」をアップデートした感じがあり、その辺りで左翼方面に人気があるのか、という点でも腑に落ちた部分がある。
これはトッドはこのインタビューでは言っていないが、同じ構造がアメリカ国内にもあり、「リベラルな寡頭制」が国内の工業を衰退させ、プアホワイトになってしまった人たちがトランプを支持して「古き良き(工業立国時代の)アメリカにもどせ」、と主張している、ということになる。彼はこの点で「トランプが出てくる必然性」を述べているわけで、そのあたりは(都合が悪いから)本邦リベラルはスルーしているのだが。
一方、「憎まれているアメリカ」の支配階級は、昔ながらのアンクルサムというかWASPでは無くなった、という指摘もまた目の覚めるような部分があった。WASPは強力な支配階級であったが、その中からルーズベルトやアイゼンハワーのような強力な指導者を生み出してきた。しかし、これもトッドの主張の眼目の一つだが、「プロテスタントは崩壊している」というわけである。これはつまり「アメリカではすでにプロテスタントの労働倫理は崩壊している」ということで、要はウェーバーが指摘したような「資本主義の精神」を涵養した「プロテスタンティズムの労働倫理」は過去のものになった、というわけである。この辺りの古典的な社会科学の思想をきちんと応用してくるところがいかにもフランスのインテリらしく、その手際には感心させらるわけである。
そしてアメリカでは支配階級であるWASPの強力な階級意識に収斂する国家意志が弱体化しているということだろう、現在のアメリカの支配階級はWASPではなく(プアホワイトもWASPなのだから)「リベラルな寡制」であり、バイデンにしろクリントンやオバマにしろ、後ろ盾はそういう寡頭階級である、というわけである。WASP支配の本丸は海軍だ、というようなことを読んだことがあるが、現在でもそうなのかはよくわからないけれども、「リベラルな寡頭制」が現代のアメリカの支配階級である、というテーゼは細部についてはよくわからないがかなりの説得力があるように感じた。
この変化を「封建社会化」とトッドは呼ぶわけで、この辺りが少しわかりにくい。我々の(歴史系の思考をする人間の)理解している「封建社会(制度)」というのは「土地をなかだちとした主従関係」、つまり日本史に引っ張って言えば「御恩と奉公」を指しているわけで、トッドがいう封建制はそういうものではない。これはより大きな枠で考えてみると、マルクスの理論で言えば古代奴隷制社会・中世封建制社会・近代資本主義社会という枠組みの中で、古代の奴隷制の「帝国」が崩壊して成立するのが「封建制」ということではないか、と考えてみた。
これはフランス革命が理想としたのが「ローマ共和制」であった、という前提と結びつけて考えると、WASP支配層が言わば元老院階級であり、一般の白人はローマの独立自営農民だということになる。この構造の中でローマは強大化し帝国化していくわけだが、その完成形が五賢帝時代で、それが「アメリカの繁栄時代」の例えになっているのだろう。しかし帝国は騎士階級などの新興階級の権力への関与や農民階級の没落などを経て、中央集権的な権力が弱体化していく。この時代のローマ史を階級対立の側面から詳しく考えたことがないのでうまく例えられないが、日本で言えば古代律令制国家が解体し、摂関家をはじめとする各「家」の寡頭支配が進み、皇室までが「院」という私的な権力主体になることで、後に成立する鎌倉殿政権などと並んだ寡頭支配、「権門体制」が成立する、というようなストーリーを読み込めばいいかと思った。トッドのいう「封建制」というのはそういうイメージかな、と思うわけである。
話を戻すと、そういうわけでアメリカは世界から憎まれていて、ロシアは支持されているというわけである。私は冷戦崩壊後のロシアは「共産主義」ないし「社会主義」という国家建設思想を失ってしまったから、アメリカ資本主義・自由主義に対抗する影響力を理念の点で持たなくなってしまったと解釈していたのだけど、トッドはむしろ「共産主義」という危険思想を顧慮することなく接近できるようになったという点で、保守主義的なプーチン体制はむしろ南側諸国にとって魅力的になったのだ、と指摘していて、これもまた目から鱗という感じであった。
そして、その結果ロシアは結局勝利する、とトッドは考えていて、そうなったらドイツは再びロシアに接近する、というわけである。これも「ドイツがヨーロッパで憎まれているのは経済的に一人勝ちだからだ」と思っていたのだけど、確かにドイツはヨーロッパで最もロシアに近づきたがっている国であり、その点もまたフランスや特に中欧(旧東欧)諸国には警戒されている点なのだなと再認識した。まあ、ハンガリーのような独自のスタンスを持つ国もあるのだけど。
いずれにしても先進国は少子化の圧力を受けて国家システムはすでに弱体化している、とトッドはいう。従ってロシアも中国も必ずしも世界の不安定要因になるほどの力を持ち得ない、というわけである。そしてリベラル寡頭制化したアメリカこそが世界の不安定要因である、とトッドは見るわけである。こうした不安定化した世界においては、日本はアメリカから離れ、また中国とも適切な距離を取るべきであるから、その体制を保障するために核を持つべきだ、と主張するわけで、その点はドゴールの国フランスの人らしく一貫していて面白いなと思うのだった。
というわけで、世界の見方としては割と面白いと思ったわけである。
この中で、一番私が考えるべきだと思ったのは「リベラル寡頭制」の問題である。寡頭制というのは専制が君主制の裏返しであり、衆愚政が民主政の裏返しであるように、貴族制の負の側面が強くなったものである。理想的な貴族政治は言わばプラトンの言う哲人政治であるわけだが、寡頭制では「国家の利益」よりも「支配階級自身の階級的利益や個人的利益」がより強く追求されることになる。その現象が最も強く表れているのがアメリカの司法だ、と言うことをトッドは言っているわけだけど、考えてみればこれは日本も同じわけである。
これは呉座さんや雁琳さんをめぐる出来事に現れているように、フェミニズムやLGBT運動の「道徳的リベラリスト」や「極端なフェミニスト」は司法判断やアカデミズムの人事を左右するようになっているわけである。こうした人々やあるいはその背後にある人たちが「リベラルな寡頭制」の支配階級であるわけである。
アメリカのバイデン政権やその使者として日本に派遣されたエマニュエル大使の言動を見ていても、まさに彼らは「道徳的リベラリスト」の利益のために行動しているわけで、日本やアメリカの国家利益は必ずしも重要ではない。その辺りは日本でもそうなりつつあることはいろいろな面で言えると思う。岸田政権がいまいち信用ならないのはそうした「リベラル寡頭制」の台頭を許しているからであり、安倍派の一掃などもそうしたことが背後にあることは十分考えられる。安倍元首相はそう言う意味で一方で「こんな人たち」を押さえ込み、他方で今爆発している日本保守党現象などの人たちも封じ込めていたわけで、彼の死は色々な意味でパンドラの箱を開けたのだ、と考えられるわけである。
共産党までがリベラルを自称するのはそう言う意味で世界史の大きな流れの中で新しい権力階級に食い込もうと言う動きだと考えれば納得できるところはある。アメリカ大統領選がどちらに転ぶかなど、まだまだ不安定要素は多いが、現在が世界史の一つの転換点であるかもしれないと言うことは十分踏まえながら、日本の政治も論評し、また世界の動きについても考えていかなければいけないなと思ったのだった。
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