宮崎駿作品に現れた「人としての理想」と「発露する生命」の絡み

Posted at 24/04/04

4月4日(木)曇り/雨上がり

今日は外の仕事があるので雨が降らないといいなと思っていたのだが、どうやら上がったようで助かったなと思う。昨日は昼前から雨が降っていたが、夜中まで降っていた。仕事が少し長引いて帰りが少し遅くなったが、寝た時間はいつもとあまり変わらないかなと思う。朝は3時過ぎに一度目が覚めてしまい、トイレに行って寝床に戻ってしばらくうつらうつらしていた。4時半頃起きだした。

朝のうちに、自分のことを考えたことをノートに書いてあったものをテキストに打ち出した。いろいろ考えることがあるのでまだ公開しないけれども、自分としてある程度整理がついてきた部分もあり、そのうちアップするかもしれない。書いてから仕事のものを職場に取りに行き、セブンでヤンジャンとカフェオレを買って帰る。

***

宮崎駿監督は、世界でどう評価されているのかということを、考えてみたらあまり調べてないなと思った。というか、自分にとって面白いか面白くないか、どういうところが良かったか、くらいのことしか普段から考えてないので、日本でも何をどのように評価されているのかとかは言われてみたらあまりよくわからないなと思った。

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これはまあ、どういう作品でもそうなのだが、「自分にとってこうだ」ということは大事なのだが他の人がどう見るか、というのはそれが自分の鑑賞にとってプラスになるかどうか、なるほどそういう見方もあるかと思ったり、自分が言葉にできなかったのはこういうことかと思ったりすることがあればそれは読むけれども、「何がどうだから評価されているのか」というようなところは自分の鑑賞にはあまり関係がない感じなので、あまりそこを調べようとはして来なかったなと思う。

一つ思ったのは、宮崎さんはなぜ少年少女が主人公として活躍するアニメーションを作ってきたのかということ。彼は左方面の人であり、またとても啓蒙主義的なところがあり、それは遡れば大正の赤い鳥などの時代まで起源はたどれると思うし、また童話や少年少女向けの作品に関してはずっと古いものから広い範囲で読んできていると思う。そういう意味では、「少年少女に良質なアニメ作品を提供したい」という動機も当然あっただろうと思う。

ただそういう文脈だけでは語れないところが彼にはあって、非常に日本神道的、あるいは仏教的な感覚、あるいは宗教以前というか万物に生命がある多神教的な、あるいはアニミズム的な世界の捉え方もあるだろうと思う。それはヨーロッパ的な風景の中で描かれた作品でもさまざまに現れてきている。

私がすごく思うのは、彼は「生命を描ける作家」だということである。生命力が一番端的に現れるのは少年少女だから、そういう意味でも少年少女を描くことは彼にとって必要だったのだろうと思う。

生命はある意味万物にあり、そういうものが「となりのトトロ」の可愛い怪物たちやもっとその形を取る前のススワタリのようなもの、「もののけ姫」のコダマたち、「千と千尋の神隠し」のカオナシのような、「迷えるものとしての怪物」みたいなものの描写に表れているのだろうと思う。

「風の谷のナウシカ」では「汚染と生命」というのがテーマになっているが、汚染にやられながらも腐海が汚染を浄化していることに気づき、汚染を克服しながら生きていく生命たちとともにある選択をし、「汚染されなかった生命」を取らないという選択をする。

「君たちはどう生きるか」では「大叔父」のある意味「歪んだ理想の世界」を引き継ぐことを拒否し、今共に生きている人たちとともにこの世界で生きていく選択をする。

そういうふうに考えてみると「大叔父の世界」というのはある意味ソ連型社会主義国家の比喩なのかなという気もしてくるのだが、ソ連崩壊前に作られた「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」などのある種理想主義的な作品と、まさにベルリンの壁崩壊の年に作られた資本主義の世界で仕事をすることで生きていく「魔女の宅急便」以降では探求の方向性が変わっている感じがする。

「人としての理想」と「生命そのものの発露」みたいなものがどう共存していくのか、みたいなことが「もののけ姫」のラストなのかなという感じもするし、この辺りが宮崎監督の一貫したテーマなのではないかという気はする。

こうなってくると古事記の生命感の溢れる神話世界とかを描いてもらえると面白いのではないかと思うのだけど、そこには流石に天皇制という問題が絡んでくるので、左の宮崎さんには難しいのだろうなと思うが、それでも後の世代であるこうの史代さんとかにはできるわけで、まあそれは世代の違いかなという気もする。

まあ結局何が評価されているのかという話にはならなかったが、自分が宮崎作品をどうみているのかということは整理できた感じがする。そう考えてみると、宮崎さんは子供向けの作品を描きたいからアニメを選んだというよりは、生命を描きたいから少年少女を題材に選んだのではないかと思えてきた。どちらが卵でどちらが鶏かはわからないが、自分としてはそういう感じを持ったのだった。

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by Luke Peterson

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