「神の雫」の人間関係/全国の医師がGoogleのクチコミを提訴:ネット加害に乗らないリテラシーの重要性

Posted at 24/04/19

4月19日(金)晴れ

朝このブログ(note)を書くときに昨日何をやったかを思い出しながら書いているわけだが、最近昨日何やったっけと思うことが多い。いろいろ考えていて、そうか、昨日はタイヤ交換に行ったんだということを思い出した。すぐに済むだろうと思って出かけたのだが、結局タイヤは新しいのを買わなければいけないという話になり、まあいずれ替えなければいけないから仕方ないかと思って新しいのにした。結局42400円。出費である。

待ち時間にiPadで「神の雫」の最新話を読むなど。自分が把握していなかった人間関係がいろいろ広がっていてそうか今はこういうことになっているのかと思う。最近の主人公は遠峰とローランの娘・青夜だったわけだが、周りの人間関係が明らかになってきてみるとこの人たちはソムリエ界のサラブレッドという感じだなと思う。ソムリエというのはワインを表現する人たちだから大きくは表現者・批評家ということになるわけだが、その深遠な表現が一つのジャンルになるというのはすごい文化だなとは思う。自分でワインを生産するわけでもない表現者・批評家がワイン文化を支え、またその権威として秩序を正常に保ち一方では技術革新を援助するというような役割を果たしているというのは、批評家の本来の役割が果たされているということなのだろうと思う。もちろんマンガなので実態がここまで透明性の高いものかどうかはわからないのだけど、生産者と批評者の健全な関係がもしきちんと成立しているとしたら、それは良いことだと思った。

思わぬ時間を使ってしまったのでそのままツタヤにヤンジャンコミックスなどを買いに行き、「推しの子」「カテナチオ」「王様の仕立て屋」「絢爛たるグランドセーヌ」の新しい巻を買う。「二月の勝者」の最新刊を買い忘れていたことに朝マンガを整理して資源物に出した際に気づいたのでそれも買おうと思ったがなかったので、車をさらに走らせて別の書店に行き、入手した。隣のスーパーでお昼の買い物をしたときにはもう12時を回っていた。

午後は改めてマンガを整理し直し、スピリッツとサンデーの処分可能な分が発生したが、まあ次回の資源物回収の時に出せばいいかなとは思った。

***

夜、テレビを見ていたらクチコミサイトの問題で全国の医師がGoogleを訴えたというニュースがあった。クチコミサイトの考えは、要約すると「みんなの意見は大体正しい」ということになるわけで、そうした大勢の人の評価を平均してその店に評価を下すというものなわけだが、それは基本的に性善説に基づいているわけだけど、それだけで大丈夫だと考えてしまうのは、もちろんネットリテラシー的にはとても問題があるわけである。

ネットを見ていると他人は厳しい言葉で批判し嘲笑する文章を書きながら他人が自分を批判することは全力で潰しに行き、自分の落ち度は他人を攻撃する強い言葉で隠蔽する卓越した技術を持った人がいるのだが、善意の色眼鏡でそれを見てしまうと正直騙される人は少なくない。そこまでの技術はなくても自分の商売敵や或いは何か気に入らないことがあったり、ネット上の意見にカチンときたりするとそういうクチコミサイトを利用して人を攻撃する人はいるわけである。

現実的にはそういう意見は多いように見ててもごく少数者がやっていることもよくあるのだが、ネットやクチコミサイトは匿名性が高いのでそういう実態は見えにくいわけである。昨日の放送では不必要な検査や投薬を断ったら悪評を書かれる傾向があるということで、それは医療の安全上大変問題があるから、事業者であるGoogleが責任を持て、という話であったわけである。

医師の評判というのは確かに医療の安全に直結することなので取り上げやすいが、食べログなどの飲食店の情報サイトその他直接一般の消費者に対するリテールの分野では営業上の妨害になることも少なくないが、事業者の対応は早いとは言えないのが現状だろうと思う。

消費者を騙して投資などに勧誘するサイト、甘い言葉で金を出させるようなサイトは犯罪として成立させやすいが(とは言え引っかかる人は後を絶たないわけだが)悪を持って評判を下げようとする人が気軽に利用できるサイトのあり方というのも問題があるとは思う。

ソムリエの世界では権威のある人が責任を持って評価を下すことによってその品質が保証されるというシステムになっているわけだが、こうしたネットの「みんなの意見は大体正しい」というものは誰が責任を持つというわけでもないのに人が動かされるものだから悪意のある人が自らの発言に責任を負わずに人を陥れることができるという点で問題のあるシステムであるわけである。

「みんなの意見は大体正しい」ということが担保されるには、意見を表明する人が十分な情報を持っていて公正に発言することが必要なわけで、それ自体を成立させる責任が本来は事業者にあると考えるべきなのだろうと思う。ただそういう人間的な責任という部分に関しては膨大な労力が必要なので訴えられたら対処する、という後追いでカバーするというのがそうした事業者の基本姿勢になっていて、誰かが被害を受けてしまうこと自体がデフォルトで姿勢の中に組み込まれてしまっているわけだからそういう事業の仕方が本当に良いのかという問題はあるだろうと思う。これはこうしたサイトのAI化によってより事業者の無責任性が免責される傾向にあるという問題もあると思う。「クチコミサイトだから変な評価があるのは仕方ない」「AIだから人間ならしないミスがあるのは仕方ない」などと利用者が飼い慣らされてしまう危険は現実化しているように思う。

逆に言えば、そういう情報のコントロールが巧みな人間がうまく世を渡っていくようにネット社会ではなってしまっている。しかしまあ、民事訴訟の世界などを見ていると弁護士同士のやり取りなどは常人には耐えられないようなものが普通にあるわけで、正義だとか仁義だとかはの幻想をこの世界に持ち込むとかなりの茨の道ではあるようである。裁判官だからといって理性的で公正であるとは限らないということもいろいろな例を見ているとわかってくることではある。

まあそういう意味では口から出まかせで人間の心を動かして相手を平気で陥れる「葬送のフリーレン」の魔族のような人たちは現実にいるということは認識しておいた方が良い。

逆に言えば、クチコミサイトなどのどこの誰とも知らない人がどういう意図で書いたわからない口コミを信用するということ自体がリテラシーが低い行為であるということなのだが、ネット被害にあわないようにすることも重要だけれどもネット加害に乗らないこともまたリテラシーとして重要なのだということをはっきりさせる必要があるのだと思う。

「風評加害」という言葉が福島原発事故以来のマスコミや運動家の加害ぶりを表現する言葉として出てきているけれども、こうしたものとも重なってくることで、加害者をのさばらせないためには法的な手段に訴えることも重要ではあるが、まずその情報の受け取り手である我々自身が加害者に乗らないことを常に心がけていくこともまた重要なのだろうと思う。


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