「ふつうの軽音部」が楽しみだ/「忘却バッテリー」細かい捕手の技術を題材にストーリーを盛り上げる手腕/「生成AI」再論/「もっとみんな政治に関心を持てばいいのに」という言葉をめぐって
Posted at 24/04/07 PermaLink» Tweet
4月7日(日)晴れ
昨日は午前中クリーニングを出しに行ったりいろいろ。夜は帰ってから夕食を食べてから少し作業場を片付け、横になっていたらうたた寝してしまったら0時を回っていたので「ふつうの軽音部」17話の更新を読んでから寝た。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106371852949405116
待望の単行本1巻が発売された「ふつうの軽音部」はジャンプルーキーでの連載にはなかった新しい展開が入ってきていて興味深かったのだが、そのほかは概ね同じだったのだけど、藤井彩目の太った小学生時代の描写がすごく良くてキャラ造形いいなあと改めて思った。それから出内テツオさんのこちらのイラストがとてもよく、これは久々にジャンプラ企画のTシャツにしたいデザインだなと思った。色といい表情といい、リキテンシュタインなどのポップアートみがある。完成度が高いと思う。
https://twitter.com/675pixel/status/1776627746749534608
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昨日から「忘却バッテリー」を読み返しているのだが、今週からアニメが始まることもあり、いろいろと露出が多くなっている印象だ。基本は2週に1度の連載なのだが、しばらくは毎週更新があるということでそれも楽しみにしている。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106371852949391040
今週の更新(146話)ではエース清峰が強豪校・帝徳の四番・国都に満塁ホームランを打たれた後、交代した瀧がライトフライに抑えたのにライトの清峰が落球してランナー三塁というピンチを迎え、強打者の久我がまさかのスクイズをしようとした時、あらかじめの打ち合わせ通りに瀧がショートバウンドを投げてバントをさせず、圭(アホの方)がそれを見事に処理してランナーを刺してピンチを逃れる、という展開になっていた。
普通ならば投球のワンバウンド、特にショートバウンドはキャッチャーにとって鬼門で、後逸してランナーが進塁、あるいはホームインする場面がよくあるわけだけど、今までも圭が優れたキャッチャーであるという描写はいろいろあったけれども、今回のワンバン処理は非常に秀逸だったと思う。
圭の独白で「心配するな瀧。俺の中でこのベース付近からのワンバウンド捕球は成功率100%だわ」というのだが、これはマンガとはいえすごいキャッチャーだなと思わせる。それだけワンバウンド後逸という場面を現実の野球を含めてよく見てきているからだが、確かにこれが100%処理できるキャッチャーがいたら、それだけですごいことだと思った。
実は同じような場面が16巻118話にあり、スライダーのショートバウンドを取った圭(知将の方)が打者の後ろからファーストに送球してアウトにする場面がある。これはアホの圭が脳疲労で眠ってしまったために副人格の知将が出てきて行ったプレーなわけだが、それと同じことを主人格の圭がやったということですごく成長を感じさせる、という複雑な構造になっているわけである。
野球というゲームの奥の深さというのは本当にいろいろあるのだけど、「ショートバウンドの処理の絶対的自信」という普通はまず取り上げられないような要素がこれだけストーリーを盛り上がるのだというのは本当に舌を巻いた感じがある。野球漫画はまだまだ面白くなるのだなと思った。
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昨日は生成AIの問題について今思っていることを書いたらほとんど反応がなく、今朝見たらようやく「いいね」を一ついただいていたが、つまりは生成AIについての私の現時点での見解を「いいね」ボタンを押してまで支持したいと思う人はほとんどいなかったということなのだなと思う。私は概ねこの問題については森川ジョージさんと同じ見解かなという気がするのだけど、これは生成AI絶対反対で固まってきているイラストレーターさん達からも、生成AIの進歩こそが重要で何を微温的なことを言ってるんだという推進派の人からも支持されにくい意見なんだろうなとは思った。
https://twitter.com/WANPOWANWAN/status/1776484648924942513
「生成AI技術を新しソフトとかと同じ次元で見ている」という批判があったけれども、それは必ずしもそうではなく、生成AIが「インターネットの発明」や「検索エンジンの発明」と同じくらいゲームチェンジャーである可能性は多くの人は感じていると思う。それに対し一番被害を受けそうなのが絵が上手いのは当たり前でコンセプトが重要になってくるアーティストとかではなく、また絵の巧拙以外の部分、ストーリー展開やキャラクター設定が重要なマンガ家でもなく、現在の「イラスト絵」の流行の中でその巧拙をシノギを削って競ってきたイラストレーターの人たちであり、彼らが最もこの技術に対して危機感を持っているというのはわからなくはないなとは思う。
私はマンガが好きだし現代美術もそれなりに見てはいるが、彼らの作品で持つ感想は「絵が上手い」というようなものではあまりない。もちろん江口寿史さんや大友克洋さん、横槍メンゴさんなどのように圧倒的な絵のうまさがこのマンガ家さんの大きな魅力だ、という人はいるが、彼らの絵はある意味模倣され、スタンダード化し、それでいて唯一無二のオーラを放っていたりするわけで、この「オーラ」という部分がAIでは真似できないだろうなとは思う。また「Illustration2024」などの作品集を見ても、オーラのある作品というのは他の人とは違うなと思わせるものがある。そういう意味では、それだけの実力のある人にとってはAIは必ずしも脅威ではない、という気はしなくはない。
ただ、ここに落とし穴があることも確かで、例えばホリエモン氏が「寿司屋の10年の修業とかなんの意味があるの?」みたいにいうのと同じことで、「修業で極めた結果辿り着いた味」なんて非効率であり、寿司ロボットが握る寿司だって十分美味いんだからそれでいいだろう、という考え方もあり得るということだ。だから適当にいろいろな作品をAI学習させて吐き出させたAI絵で十分じゃん、と思う人も世の中には結構いるわけで、その方がコストが低いならそれでお願いします、という依頼主も多く出てきて、それによりイラストレーターに支払われる報酬が激しくダンピングされる、ということは十分あるし、現実問題として「イラストレーターに正当な報酬を支払いたくない」依頼主はたくさんいて、それに対して戦っている中で著作権無視のAI絵師が市場を蹂躙するようなことがあれば泣くに泣けない、自分の人生はなんだったのかということになる、ということもまた確かだろうと思う。
ただAI技術というものが一度出てきてしまった以上、もうない時代には戻せない。日本国内でそれが成り立っても、そういう展開は著作権意識の低い中国その他の国を利するだけになるし、今までも日本国内の規制が先に立つ展開によってパソコンのOSや検索エンジンにおいてマイクロソフトやGoogleに市場の巨大な利益を全て持って行かれた苦い経験が日本にはあるわけである。
だから絵を描いた人の著作権を保護するためのAI法規制、またその国際条約みたいなものは絶対に必要だと思うし、禁止すればいいということにするのは無理だし日本の国益を損ねると思う。結局AI絵という新しいジャンルが生まれることは避けられないと思うし、イラストレーターの人たちはそれに負けない質の絵を描いていく以外に仕方ないということになるだろうと思う。
これは写真という新しい技術が出てきたときに画家の仕事が大きく減ったことと同じことなので、「AIには描けない絵」の可能性を探っていくしか最終的にはないのだろうと思う。もちろんAIに学習させない権利みたいなものはしっかり確立していく必要があると思うが、その法的根拠をどのように考え、現実問題として何ができるのかは検討していく必要があると思う。
まあこういう問題は理屈では片付けられないことが多いから、ルサンチマンが残って思わぬところでつまづく展開になる可能性もある。新幹線が静岡県に止まらないから難癖をつけて遅らせる知事もいるし、自由化によって林業や農業が壊滅に追い込まれた歴史も日本にはいくつもある。開発がくれた雪国の怨念が田中角栄の日本列島改造論を生んだりもしたし、近くはアメリカでトランプが白人労働者の苦境を背景に「Make America Great Again」を主張して政権を取ったりもしている。昨日まで正しかった自分のやってきたことが急に新しい技術や理屈で否定されることを、人はそう簡単に受け入れられないというのもまた事実だと思う。
世界的な自由主義経済を肯定するなら方向性があまり多様になることはないのだが、ありえないわけではない可能性としては日本がガラパゴス化するという選択もなくはない。日本が独自ルールを作って輸入を拒否するというようなパターンである。また日本の消費者や受取手の考え方は他国とは違うところがあり、例えば音楽など世界的に配信が中心になってきた中でも日本ではCDがまだかなり売れているということもあり、これは日本独自の文化というか「モノ」に対するこだわりみたいなものがあるからだと思う。そうした「品質へのこだわり」という点において勝負できるような法体系を組み立てていくという選択肢もなくはないだろうと思う。ある程度のガラパゴス化は覚悟した上で、ということではあるのだが。
まあそんなに簡単に結論の出るような問題でもないのだろうけど、とりあえず今自分に見える範囲のことをまとめてみた。
***
「もっとみんな政治に関心を持てばいいのに」という呟きをいくつかみたのだけど、そういえば私はそういうふうに思ったことはほとんど全くないな、ということに気がついた。
そういうことを思う人たちは、学校教育的に正しい人たちで、世の中の正しくないと思われる部分を考えて、それが是正されていくような政治であるために、もっとみんな「改革勢力」を支持してほしい、と思っている人が多いのではないかという気がする。
私自身ももちろんもっと社会的な問題が注目されてそれに対して政治が動くように持っていければいいなとは思うが、「政治に関心を持ってほしい」というレベルの望みとそれは違う気がする。
「政治に関心を持ってほしい」という願いは「関心を持ってくれたら当然自分の考えに賛同してくれるはずだ」という思い込みがどこかにあるのではないかという感じがするし、それに関しては「そんなことあるはずないだろう」としか思わないということもある。
政治に関心を持つ人が少ないということは現状に満足しているという要素もあるだろうし、それこそ多くの人たちが政治集団や活動家集団に意識的に動員されてないということでもあるから、むしろいいことではないかと思う部分もある。「十八史略」の「鼓腹撃壌」の故事にもあるように、「自分たちの生活がいいのは王様のおかげです」みたいに子供が歌ってるのを聞いて眉唾だと思った帝堯が老人が「王様の力なんて俺たちには関係ないさ!」当たっているのを聞いて「これこそが本当に政治がうまくいっている証拠だ」と安心した、という話と同じだろう。
そういう意味で日本人があまり政治に関心を持たないとしたら(私はそんなこともないと思うのだが)それはそれで悪くないかもしれないとも思うわけである。
実際のところ、自分のことを考えてみると、私は小学生の頃から「政治」というものに関心はあったなと思う。いろいろな要素はあるが、子どもの頃の自分が一番不思議だったのは、物事を決めようとするときになぜ「多数決」で決めるのか、ということだった。多数の意見が正しいなんてことは必ずしもないのに、ということもあったし、一票でも多かった方の意見に正しくても正しくなくても従わなければいけないとか、よく意味がわからないということもあった。
まあ集団で物事をどう進めるのかを決めるときになるべく意見の多い方に進むという選択はまあその進めるための推進力があるという点で意味のないことではないとは思うけれども、一票差とかだとそういう意味でもかなり微妙になるだろう。
また、いくつかの意見のうち一番票を取った意見(或いは候補者)が過半数に達しないときに決選投票をするという仕組みは、考えてみれば最初の投票の時に入れた人たちは「積極的賛成」であり、2回目以降に入れた人は「消極的賛成」ということになる。その消極的賛成の票によって順位が入れ替わることだってあるわけで、そうなると「積極的賛成」がかなり少ない意見でも選択され、その結果積極的に動く人が少なくてあまりうまく行かない、ということだって起こり得るわけである。
まあそんな角度から私は「政治」というか「民主主義の仕組み」について小学生の頃からいろいろ疑問を持っていた。また歴史が好きだったのも、歴史上の物事が暴力によって動いたり、戦争によって動いたりする一方で「優れた指導者の指導」によってうまくいったり、「民主主義によって多くの人が賛同したから」うまくいったりする、その政治的バリエーションの多さが好きだったのだろうなと今では思う。
また必ずしも政治はその時の「正義」の方向に向かって動くとは限らないし、まして現在の正義の方向に動くことなどほとんどない、ということもまたある意味面白いなと思ってみていた。だから「政治」には興味はあったが「みんなが政治に興味を持つべき」という方向での関心ではなかった、ということになるかなと思う。
政治の本質というのは結局は利害関係の調整だと思うが、現実的に全ての人が満足する形に調整されることはないわけで、そこに「最大多数の最大幸福」だとか「少数者の福祉」といった問題が入ってくるわけである。「少数者の福祉」は「多数者の負担」によって成り立つものであるから、その負担の度合いがどこまで許容できるかというのも大きな問題になるし、そこにおいてコミュニケーションの問題も大きな部分を占めてくる。
また、野党支持者には相変わらず自民党は古い利権の巣窟だと思っている人が多いが、表現の自由問題一つとっても自民党の方が新しい権利の保護に熱心だったりすることはよくあるわけで、「みんなが政治に関心を持つべき」という考えの人が多い野党の中にはそれが進化して活動家化した人も多いわけで、それが生活者や生産者や労働者である保守党支持者にとっては胡散臭く見えるという問題に逆に気付かないということにもなっているだろうと思う。
まあそんなことで「政治に関心を持った方がいい」かどうかは必ずしも一つの答えがあるわけではないと思うけれども、結局自分たちの生活や生産活動、或いは娯楽においても政治というものは背後にあるわけだし、国全体のマクロ政治だけでなく、ミクロマイクロなマウントの取り合いに始まり人間間の駆け引きには政治の要素がもともと多いわけだから、まあそれから逃れることはできないよ、ということは言えるだろうと思う。
ただ、「そんなこと考えたくない」というのもそれはそれでわかるわけで、まあだから必要に応じて「政治に対する関心」を持てばいいんじゃないかとまあここまで読んできて結論はそれかよみたいなことを思う、ということにはなるかなと思った。
まあ希望としては、「保守」というものについてもっと関心を持ってもらえるといいなとは思う。「日本保守党」みたいなちょっと賛同しかねる集団が保守を名乗っているからだいぶ困ったことになってるなとは思うが、日本が日本であり続け、その中で自分たちが日本人として生きて行きやすくするためにはどうしたらいいかということは、結構大事なことだと思う、ということではある。
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