「Dr.スランプ」についてなど/「インテリ」と「自己啓発本」と「孔子の指摘」

Posted at 24/03/10

3月10日(日)

今朝はマイナス6.2度。三月にしてはかなり冷え込んだ。

8日金曜日に鳥山明さんの逝去が報じられ、金曜日は追悼と悲しみのツイートがあふれていたのだけど、9日になると「鳥山作品のここがすごい!」とか「鳥山作品の先駆者としての鴨川つばめ「マカロニほうれん荘」」というような話がたくさん出てきて、自分が知らなかったようなこともいろいろあったので勉強になるなと思って読んでいた。

ただどういう具合なのか内容的に不正確なものも結構あって、それをえり分けるのはある程度基礎知識が必要なんだなと思ったりする。ただ、8日からずいぶん関連のツイートを読んだので、その知識でより分けられるレベルのものの方が多かったのだけど。

昨日も書いたが私は「Dr.スランプ」の初期しか読者ではなかったのであまり多くの語ることはできない。ただ、今読んでる作品の作者さんたちが大きな影響を受けているのがよくわかり、勉強の意味でも読み直さないといけない感じがするな、というようなところはある。

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尾崎俊介「アメリカは自己啓発本でできている」2章まで読んだが、自己啓発本の系統は自助努力を訴えるベンジャミン・フランクリンに発する系統のもの、日本では福沢諭吉の「学問のすすめ」などの努力によって人格を陶冶し、自分を変えることで目標を実現できる、という系統のものと、いわゆる「引き寄せの法則」系のもの、「強く願えば思考は実現する」という系統のものとがあって、どちらも結局は「周りを変えようとせず、自分を変えることでしか目標は実現できない」ということを言っていて、その考え方を「インサイドアウト」というのだそうだが、それはどちらもスウェーデンボルグに由来するニューソートの思想から発している、という話の組み立てがとても面白かった。

自助努力系の啓発本の系統にベンジャミン・フランクリンという偉人が登場してくるように、引き寄せの法則系の啓発本の系統にはエマソンという偉人が登場してきて、彼の「人間とは日がな一日考えていることに等しい」という言葉、これは本来、農民は農作物のことばかり考えている、というような意味だが、それを逆に出世のことをずっと考えている人はやがて出世する、というような話に持っていったのが「引き寄せの法則」だということのようだ。
そこには宇宙の意思とかそういう話が出てくるわけだが、これはスウェーデンボルグの言う「霊的流動体こそが神の本質」という考え方から、思考の力を用いて望みを引き寄せて実現するのが人間として正しいといういわば神学的な方向性が生まれるのだというわけである。

著者はこの「自分が変われば周囲が変わる」というインサイドアウトの考え方を支持し、その点で自助努力系だけでなく引き寄せ系の考え方も評価しているわけである。

要は、「自己啓発本」の「自己啓発」とは、「自己を啓発する」ということであるけれども、何をどう「啓発」するかと言えば、「自己を変革する」ことを「啓発する」わけである。

自己変革本と言えばあまりに怪しい感じがするから自己啓発本というわけだけど、「自己啓発本」というジャンルに対するインテリ側からの考え方が「安直だ」とか「科学的でない」とか「人をだまして金を儲けようとしている」という方向で考えられがちなのもまた、専門性に沈潜し耽溺したり、また社会を評価し批判したりするインテリの立場から見れば「自分を変えることで何かを実現する」という方向性は現在のインテリの存在の否定につながる面がある、ということがあるのだろうと思う。

まあ自分のスタンスを少し変えることで努力がうまく成長につながるようになるというようなことはよくあることだし、自分を変えるための努力をするだけでなく世界を知るための努力もしないとよくないわけだけど、それはまあ孔子の言う「学びて思わざればすなわち暗く、思いて学ばざればすなわち危うし」ということそのままなわけで、自己啓発とはここで孔子の言う「思う」ことを指しているのだと考えれば、割合良く納得できるのではないかと思った。

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