「学ぶこと」と「書くこと」:「理解すること」と「できるようになること」
Posted at 23/12/21 PermaLink» Tweet
12月21日(木)晴れ
今朝も朝から松本に出かけるので早い時間から書いている。昨日もなんだかもたもたしてしまって午前中にあまり用事を片付けられなくて、昼食後に出かけて銀行に行ってお金を下ろしたり、クリーニングを出したり、イオンへ行って銀行に金を預けたり(地元には三菱UFJ銀行がないのでイオン銀行に行くしかない)お歳暮を買ったり書店へ行ってジャンボ宝くじを買ったりして用事を済ませる。普段は午前中に仕事を済ませるので午後は休憩してから仕事にかかるのだが、このパターンは先に休憩してから午後の仕事になだれ込むパターンになり、どちらが良いのか。一つ一つのことをやるのに時間がかかるようになったのと疲れが取れにくいから休憩したいのと忙しいのとまあいろいろ理由はあるがしやすい仕事のパターンというのも探っていかないととは思う。
今朝も3時半過ぎに目が覚めてしまい布団の中でいろいろ考え事をしていたのだが割合生産的というか前向きな感じで、まあKindleの電子書籍でもいいから本を作ってみようとかそのためのテーマとしては保守とか教養というのもいいしnoteに書いた評論的なものをまとめてみるのもいいけど「学び方」みたいな感じでもいいかなとか、いろいろ具体的なことを考えられたのはよかった。Kindle本は以前小説で作ったことがあったのだがパブー経由だったので今ではもうKindleでは点数なしになっていて、まあ直に作った方がいいんだろうなとは思う。せっかくなら読んでもらえるものにしたいと思うし名刺がわりに使えるようなものにしたいとも思うのでぼちぼち構想をまとめていきたいと思う。
自分の今の「学び方」に特徴があるとしたら、「書く」ことだろうか。新しいものも読んでいて思ったこと理解したことがあったらそれを書いていく。何を新たに獲得し何が獲得できていないか。読書メモみたいなものだが、新しく知ったことを実践してみる、という学習の仕方もあるけれども、知識的なものというのは咀嚼して自分のものにするには「書く」のが良いのではないかと思う。また小説やマンガも読んだ後(というか読んでいるうちから)思ったことや感想を書いておくと、自分の思考が見えてきて考えやすいということはある。まあ書くということは「自分の思考の見える化」であり、記録しなければ消えてしまう自分の「思考のドキュメント」でもあるので、知的生産の第一歩ということでもある。これは梅棹忠夫的な言い方だが、渡部昇一的に言えば「能動的知的生活」の基礎ということになるだろう。
自分はもともと作文が好きだったので小学生の頃からよく書いてはいたのだが、これは書けば見てくれる先生がいたのでそれに刺激されてよく書いていたということがある。「書く」ことを育てるためには「読み手」がいるということは、大きいことだと思う。石森章太郎が「まんが入門」で書いたものは全部お姉さんに読んでもらっていたと書いていたけど、身内もいいけれども先生の立場の人に読んでもらえるというのは子供心にも嬉しかったのだろうと思う。
もう一つ、論理的な文章を書くうえで勉強になったのは、大学受験の時のZ会の添削の記述問題だったと思う。受験の作文というのはポイントを抑えて短い文章で読める文章を書き、評価されることが必要だから、書くことも大事だし赤を入れてもらうこともとても重要だ。毎回真っ赤になって返ってくる添削問題の解答はとても励みになったし、私は基本的にこういうものが好きなんだなとは思う。後になって公文式のスピードリーディングシステム(SRS)で英文の速読力を上げたことがあったけれども、今はやってないみたいだけどあのシステムはとてもよかった。毎朝起きたらすぐやってファックスで送信し、返ってきたらコメントを読む。書くということは読んでもらってそれに対するレスポンスがあるということが、書き手にとってとても重要なことだと思う。
修士論文の指導を受けたときも指導教官に赤を大量に入れてもらうのがありがたかったし、実際に論文の書き方を理解できたのはあの経験は大きかったなと思う。「書く」ということの先には「読む」というものがあり、その先には「レスポンス」があって、そしてまた新たに「書く」にトライしていくわけだ。
だからTwitterは短すぎるにしても、noteなどの「読んだ人のレスポンスが返ってくるシステム」は書き手にとっては書くのに励みになるシステムだと思う。ネット上にものを書き始めた当初から私はReadMe!とか日記猿人(日記才人)、テキスト庵などの書き手と読み手のコミュニティに参加してきていて、これらはそこにいる読者のためにそれに合わせて書いてしまうという弱点はなくはなかったが、たとえネットとはいえ書き手にとってまず「読んでもらう」ということはそれなりにハードルの高いことなので、「そこに参加している」というだけでかなりの方に読んでもらえる機会が持てる(アクセスは1日数百という感じだったが)こういうコミュニティはありがたかったなと思う。
今ではnoteと自分のサイトのブログで更新し、Twitterで告知して読みにきてもらうというパターンになっているが、Twitterは荒れやすいので鍵をかけたりすることもあり、そうしたコミュニティの安定とはまた違っている。「小説家になろう」的なサイトもその分野においては読んでもらえる機会が提供されるけれどもやはり読まれやすい傾向というのがあってそれに合わせるということになるし(母数が大きいからそこで受けるということは商業に乗せやすいという利点もあるわけだけど)、今の方向でいくならnoteで読者を増やしていくのが一つの方向かなとは思っている。
「学ぶ」ということから「書く」ということに脱線してしまったが、今の自分にとって「学ぶことの意味」というのが「書くため」になっている部分が大きいからだろう。ただ「書くため」でなくても「学ぶ」上で「書くこと」の意味は深いものがあるのでこの辺りのところもうまく書けるといいなとは思う。
「学ぶ」ことにおいての「書くこと」の意味というのは、理解すべき内容を自分の言葉で言ってみる(書いてみる)ことで自分の中に取り込むことができる、ということがまず第一に大きいだろう。あとは、これは書いているうちに、読んでもらってレスポンスをもらっているうちに洗練されてくることだけど、適切な言葉の使い方を身につけられるということだろう。特に受験の際の添削や修士論文の指導においては甘い言葉の使い方は徹底的に指導されるから、言葉の使い方について敏感になれるのは良いと思う。
自由に言葉を用いるのももちろん良いことなのだし、表現にそういうものがなければつまらないし色がなくなってしまうけれども、どこにその色を忍ばせるかみたいなことができるようになることが大事で、こういうことはTwitterなどを読んでいると専門の学者でもあまりちゃんとできてないなと思う人は結構いる。まあその無自覚な部分が個性になっているのだよなと思う人もいるのだけど、できれば自覚的に使えた方が良いだろうと思う。
「物事を理解する」ということは「それについて説明できるようになる」ということでもあるので、「自分の言葉」でも「ざっくりと」でも「より詳しく」でも何通りかの説明ができるのが望ましいし、相手に通じる表現を身につけ、コミュニケーションがしやすくなる。そうすれば話している相手に「この人はわかっているんだな」という信頼感を持ってもらえることができるから、メリットは多い。
自然科学系の言葉は自然言語ではなく数式である場合もあるから、それらが操れるということはそちらの世界に入るために重要なことなわけだけど、高校数学程度のことは身につけておいた方が文系の人間でもそちらの世界とコンタクトを取るための基礎にはなるから、ある種の言語理解としての数学という側面もあるなとは思う。
学ぶということは、できなかったことができるようになるということなので、喜びも大きい。まあそんなことは書き始めれば多分いくらでもあるのだけど、とりあえず今日はここまでで。
昨日新たに読んだのは「ブラックナイトパレード」の9巻を最後まで、と「ミワさんなりすます」の最新回とジャンププラスの「チェンソーマン」「株式会社マジルミエ」の最新回という感じで、マジルミエは今までの展開の溜まりに溜まったものが結実する回だったから感動したのだけど、それぞれまとまって書くところまでは感想はたまっていないという感じだろうか。「初期仏教」もそろそろ返さなければならないのだが読めていないしまだ入手できていないのでとりあえずは貸出期間を延長するようにしようかなとは思っている。
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