読むと元気になる「葬送のフリーレン」/「初期仏教」皆で口伝を読誦する仏典結集/「等身大の自分」と「なりたい自分」のギャップに忍び込むもの

Posted at 23/12/19

12月19日(火)晴れ

昨日は朝から母を連れて松本の病院へ行き、午後早くに戻ってきた。諏訪湖畔の車の中で昼食を食べたが、空気が澄んでいて富士山がよく見えた。他の季節でも見えないことはないのだが、やはり空気が澄んでいる冬の方が綺麗に見える。これは東京にいる時もそうだった。朝のまだ空いている時間に京浜急行の高架のところから富士山がよく見えて、なんだかいろいろなことを考えさせられたことを思い出す。

ただなんというか昨日は予定通りにいろいろとことが進まなかった。最初にまず行く途中で診察券と保険証を忘れたことに気がついた時からこれはアレだと思い始めた。引き返して取りに行こうかと思ったが、母が多分大丈夫だからそのまま行けというので少しだけ引き返したけど結局病院まで行った。途中でよく母が手洗いに行きたいと言い出すのだが、昨日はむしろ私が手洗いが近くて、何度もセブンイレブンに寄ったりしてしまった。なんだかペースがおかしい感じになってしまった。

結局受付で申告したら割と簡単に手続きが済み、なんとかなったし、検査も割合早く終わったのだがいつもならすぐに呼ばれる眼底検査が呼ばれるのに時間がかかったと思ったら、診察はすぐに呼ばれてなんだか調子が狂いっぱなしだった。結局昨日でもう終わりということになったので、しばらく松本に連れて行く用事は無くなった。帰りはすぐ帰れるかと思ったら逆になんとなくもたもたして遅くなってしまい、どうも昨日は最後まで調子が出ない感じだった。

母を施設に送り届けてから家に帰り、なんというかぼーっとしていたのだが、夕方になって少し調べてみたら昨日が「葬送のフリーレン」12巻の発売日だということがわかった。紙の本も欲しいのだが、基本的にフリーレンはKindleで読んでいるのでまずDLしようとしたらなかなか購入できない。iPadで試してみたらできたのでなぜかなと思っていたのだが、とりあえず12巻は読了。(結局最終的な原因はクレジットカードの期限切れでワンクリックで買えなかったということが後で判明。期限を更新したら買えるようになった。)いずれにしても、サンデーうぇぶりとここ数回の本誌購入で読んでいる範囲ではあり、最後が幻影の中の結婚式だったのでそうかここで終わるかと思うなど。フリーレンは読むと元気になる。

「ダンジョン飯」が面白かったので少し前から読み返そうと思ったのだが、ダンジョン飯は逆に読むのに元気がいるなという感じがし、なんとなく疲れている時に読むものでもないという感じがした。フリーレンは疲れていてもするするとどんどん読んでしまう感じがあって、その辺りが貴重だ。ストーリーが淡々としていることと、絵が美しいことの両方が、多分するすると読めることの理由なのだけど、「おおきく振りかぶって」や「ジャイアントキリング」も元気のない時にもするする読めるので、「絵が美しいこと」はするすると読める理由ではないかもしれない。むしろ「絵が美しいこと」はするする読めることよりも、「元気が出る」理由なのかもしれない。自分が感「受」する「美しさ」というものに、自分の「色(フィジカルなもの)」が元気になるのだろう。「色めき立つ」とはこのことかと思ったり。つい仏教語彙を使ってしまうが。

***

「初期仏教」を再び読み始めたのだが、第2章70ページを読んでいる。

面白かったのはまず、古代インドの文字遺跡の最も古いものはアショカ王碑文だということ。自分の感覚としてはもっと前からあるのかと思っていた。従って紀元前3世紀が最古ということになる。このブラフミー文字はアラム文字から派生した説が強く、つまりは西方の影響だと考えられるようだ。つまり、ヴェーダや仏教の聖典を文字で記録するという行為自体も西方の影響だろうという。だからそれ以前の聖典の伝承は当然口頭であるというわけだ。

こういう話が面白いなと思うのは、日本で最初の現存記録である古事記も(まあ現存の写本は南北朝時代だが)稗田阿礼が口伝で暗記したものを太安麻呂が記録したと言われているわけで、書籍が作られた経緯が似ている、というか文字のない国での最初の記録というものはそういうものだったのだろうなと思ったり。地中海文明や中国文明など、文字が早くに生まれる文明は歴史記録も古くからあり、文字がなかなか作られない文明は歴史もはっきりしないし古い姿を再現しにくい。

インドでは聖典は文字で記録すべきでないという考えが強く、「マハーバーラタ」には「ヴェーダを文字で記録したものは地獄に落ちる」とあるのだとか。日本でも古い時代に文字記録が残されていないのはそういう考えがあったのではないかと誰かが言っていたが誰だったか。小林秀雄ではなかった気がするが、思い出せない。

ブッダの死後に何度か「仏典結集」が行われているが、これはどういうものだったかというと、キリスト教の公会議のようなものというよりは、「皆で口伝を共に唱えた」ということなのだと。ブッダの「法と律」が雲散することを恐れたマハーカッサパが呼びかけて、律はウパーリに、法はアーナンダに問いかけてその答えをまとめたというものなのだと伝承されている。「学んで時にこれを習う、また喜ばしからずや」は論語の言葉だが、これは礼楽を学んで時々皆で合奏して復習するのは楽しいものだ、という意味だという説を呉智英さんの本で読んだが、皆で議論して決まった口伝の内容を皆で読誦するというのはそういう感じかなと思ったりした。楽しそうな感じがする。

その後「部派」に分かれた仏教教団は、上座部大寺派、説一切有部、法蔵部などそれぞれが三蔵を編み、伝えていく。南伝仏教=上座部仏教はスリランカの上座部大寺派のパーリ語の三蔵を伝承し、北伝仏教≒大乗仏教は説一切有部のサンスクリット三蔵を古形のものとみている感じだ。説一切有部は「存在は過去・現在・未来において実在する」という説だそうだが、ブッダの説の根幹の無我・縁起説とこの思想がどういうふうに両立するのか、まあこの辺も勉強しなければわからないのだろうなとは思う。

仏教の教理については「ブッダという男」の主張は自分なりに理解したと思うが、「初期仏教」の方は読んだ範囲はまだ背景を描いている感じで、まあ教えそのものよりも歴史的背景とかの方に興味を持ちがちな私としては、こういう書き方はありがたい感じはある。共に唱えることで意見を調整していく仏典結集というイメージは、割と新鮮だなと思った。

***

今朝起きていろいろ考えるところがあったのだけど、それは一言で言えば「頑張ってもその努力が結実しないかもしれない不安・恐怖」みたいなもので、まあ逆に言えば頑張っている、少なくとも自分がこちらだと思う方向には進んでいる、ということだなと今考えてみれば思う。少し前までは「方向がわからない」という不安・恐怖だったから、それに比べればマシと言えばマシだ。

いずれにしても、人間には「等身大の自分」と「なりたい自分」のギャップというものは大体ある。等身大の自分に対して、こんなはずではなかったとか、今の自分は本当の自分じゃないとか思い始めるとやばいのだけど、等身大の自分を正確に認識するというのはそんなに簡単なことではなく、傲慢な人は過大評価しがちだし、自信がない人は過小評価しがちになる。こうでありたい自分と等身大の自分の隙間に、思想だとかなんだとかいろいろなものが忍びこみやすいわけではあるのだけど、それがうまく潤滑油のようになって自分を前進させていければ良いのだが、その両方をおかしくしてしまう場合も多々あるわけで、思想という時に劇薬になるものとの付き合いは一筋縄ではいかないよなと思ったりした。

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