「知的生活の方法」:改めて自分がどのようにしたかったのかを思い出させてくれた/父の遺した「新書」の一部を読み始めた
Posted at 23/11/15 PermaLink» Tweet
11月15日(水)晴れ
今朝の冷え込みは、昨日ほどではない感じ。5時までの最低気温は0度。今朝は3時半に起きてしまったので手洗いに行ってお茶を飲んで寝ようと思ったのだが、余計なことを少ししてしまっていたら4時を過ぎてしまい、もう一度床に入ったが呼吸を整えたくらいで眠らず(というか寝たら余計調子が悪くなりそうな感じがあった)4時45分に起き出した。朝刊はもう来ていた。
渡部昇一「知的生活の方法」(講談社現代新書、1976)読了。この本は父の本棚を探せば多分ある(私も東京にはあると思う)のだが新しい方が読みやすいと思いアマゾンで注文したら届いたのは今年9月の88刷。超ロングセラーになっているということだなと思う。
この本を改めてちゃんと読んでみて、自分が何をしたかったのかを思い出した感じがする。彼が「知的生活」と名付けているところの、「こういう」生活をしたかったのだなと思った。実際には、自分がやっていることは周りから見ればそう見えるところはあると思う、というか基本的にはそういう方向で暮らしているはずなのだが、「知的」な面以外での仕事、やらなければならないことが多くすぎて、なかなかそちらに手が回らない感じになっていて、自分ながら不満があったのが、逆にすでにどうして不満なのかがわからない感じになってしまっていた。
自分ではそろそろ著作をまとめないといけないなとずっと思っていて、ただ全然そういう方向に自分が進んでないなということが感じられて困っていたのだけど、要は著作をまとめるにしてもそのことだけを考えていてもダメだというか、生活の意識がこういう意味での「知的生活を中心に生きるぞ」という意識がないと他のものに気も時間も取られ過ぎてしまうというまあ言われてみたら当たり前のことに気付かされたといえばいいだろうか。
取り組むテーマがはっきりと明確に姿を見せていればそれに前向きに向き合って取り組めばいいわけだが、それ以外の、というか明確化してないテーマをどう浮かび上がらせるかということになると、「知的生活」自体が生活の基盤にないと、そういうものを拾い上げていくのが難しい。
天才的な創作ならば降りてきたものをそのまま書けばいい、ということもなくはないが、そういうものが降りてくるようにするためには、自分の(知的な意味での)世界の大地をしっかり耕していなければいけない。渡部氏もいうように、20年も同じ分野について興味を持って調べ続ければそれなりのものが書けるというのはその通りだと思う。自分も結局はもう相当いい歳ではあるが、中途半端ながら積み重ねてきたものといろいろな要素を足し合わせてちゃんとしたものが書けるように、いろいろなことを心がけていかなければならないなと思ったのだった。
内容としては、1章が知的に(自分に)誠実であることが重要だということ、2章が自分にとっての古典、読み込んだ書籍を持つことの重要性、3章が身銭を切って本を買い、自ら知的生活を作ることの気概が重要であること、と知的生活についての本質が述べられていると言っていいだろう。人間の生き方というものは環境はどうあれ自分でいくらでも決められる部分がある、それがどのように結果するかは人によれば残酷な結果に終わることももちろんあるのだけど、ただ「こう生きる」と決めて実行しなければそれは実現しない、という当たり前のことを言っていると言ってもいい。ただこういうのは本質的に精神論的な部分があるから、「自分にとっての知的生活とは何か」みたいなことを自分で問い直してみるのも収穫のある作業ではないかと思った。この辺は「教養についての試論」みたいなものを書く中で考えてみたいところではある。「知的生活」という呼び方も含めて。
4章は知的生活に必要な、ないしは望ましい空間について。これは最初はどんなものかなと思って読み始めたが要は生活の場に近いところにしっかりした蔵書を持てということで、これはとてもよくわかる。また知的活動を旺盛にできるための環境整備、特にクーラーについて。またメインの著作を書く際に使えるカードシステムについて、コピーなどを整理するファイルボックスなど書籍以前のものを捕まえる実践例などについて書かれている。
この辺りは住宅事情も千差万別だし、パソコンやインターネットの発達でその人にとって使いやすい技術というものも選択の幅が大幅に広がっているということもあるだろう。またAIのようにどう生かすのがいいのかいまだに世間的にも全体的に模索中のものもある。スタンドアロンの検索技術がもっと発達してほしいと思うのと、最終的には蔵書整理や知的生活以外に関するところを任せられる存在みたいな人間的な要素の必要性はあまり変わらないなと思うところがあった。
5章は知的生活に必要な時間の管理について。勉強以外の時間をいかに節約するかというだけでなく、勉強に使う時間をいかに有効に使うか、についての見切り法とかよるん時間の活用法、自分で言えば朝の時間をいかに有効に使うかということになるが、邪魔されない時間の重要性ということになるだろう。また会話の重要性についても少し触れていて、これは触れられてはいないがオークショットの言う会話や社交の重要性というのと重なると思った。
あとはコウスティングの重要性ということを言っている。コウスティングCoastingというのはつまり、荒海に乗り出すのではなく浜辺に沿って穏やかに時を過ごすこと、マズローによれば「健全な退行現象」という言葉になるが、要は休息を取るということでいいのだと思うが、ヴィトゲンシュタインが全力で講義をした後に映画館に入って三文映画を見たとかそういう話があって、休息に入る過程、クールダウンの方法みたいな感じにとっていいのだろうか。
この辺りは休息の考え方がへえっと思うのだが、大蔵省の役人が激務の後でノーパンしゃぶしゃぶに行く、みたいな話にも思えるし、おたくの人が仕事で疲れ切って帰ってきて何時間も好きなアニメを見る、みたいな話とも取れる。それはケバだった自分の気を収める、鎮めるためには大事だと思うが、それだけではちゃんと休まらないよなと思ったりはした。
ただ、最もいいのはゲーテのように良い散歩道を散歩したりすることだろうなと思う。私も以前は散歩が好きで、特に都心を歩くのが好きだったが、最近は銀座は外国人観光客が多すぎるし、日本橋京橋あたりも再開発が進んで風情がなくなってきて、そのほかも昔馴染みの街がだいぶ変わってきているのでいけないが、まあ健康のこともあるし散歩はなるべく再開したほうがいいとは思った。
6章はどういう食事や飲み物が知的生活に資するかという話でこれはかなり個人的な部分が大きいので参考に聞いておけばいいかなという感じ。家族を持つと知的生活の障害になるというのは子供が三人いるのにドイツに留学したりした著者の経験と、一生独身で多くの著作を残した先人とを比較して考えたことだろうと思うのだけど、まあそこも人それぞれなのでそんなに気にすることもないだろうと思う。人生で何に重きを置くかは人それぞれだし、パートナーの生き方も関係してくる。しかしなるべくなら自分の生きようという意思に沿った生き方ができる相手を選ぶべきだ、というのはそうだろうと思う。
***
この本を読んで刺激されたこともあって、14年前に亡くなった後あまり手をつけてなかった父の蔵書を少し整理しようと新書から手をつけていたら、面白そうなものが何冊か出てきたので少しずつ読み始めた。
本間長世「リンカーン」(中公新書、1968)、杉浦明平「維新前夜の文学」(岩波新書、1967)、今野国雄「修道院」(岩波新書、1981)、岡井隆・金子兜太「短詩型文学論」(紀伊國屋新書、1963)。主に父が私立高校に勤め、イスラエルにキブツの見学に行ったりしている時代に買ったと思われるものが多い。1981年は私が大学に入った歳なのですでに帰郷し学習塾をやっていた時期だが。
「維新前夜の文学」はちょっと民衆史観色が強く、また解釈もかなり通俗的なので少し読んでやめてしまったが、他のものは今の所面白そうだ。Twitterでは少し呟いているが、また読みながら感想を書いてみたい。
こうしてみると、強迫的に本は新しいものを買わないといけない、というのが自分にはあって、こういう変化の激しい時代にはそれは確かにそういう面はあるのだけど、やはり少し古い本でも読む意味のあるものは多いなと改めて思う。最近読んだ本でいえば村上重良「国家神道」(岩波新書、1970)は出色だった。もちろん左派的な色は強いのだが、この時代の学者の良心的な部分はイデオロギーに流されず、ちゃんと仕事をしているところはしていると改めて思わされた。
父は膨大な蔵書を残してはくれたが、自分とは考え方や嗜好が違うところもあり、どれだけ活かせるかなと思っていたのだが、特に自分がたくさん読んできた「新書」に関しては読めるものは多いように思った。
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