心と体と頭の切り替えのことなど/現代日本文化の中心としてのマンガ/「進撃の巨人」:「理不尽な死」と「英雄としての死」/「葬送のフリーレン」:無感情な少女が感情を取り戻していく物語
Posted at 23/11/12 PermaLink» Tweet
11月12日(日)曇り
忙しいのが続くと、新しいこと、というかいつも(毎年)やっていることでもルーティンでないものをやるのに必要なエネルギーがなくなってくるのできちんと休みたいと思うのだが、なかなか上手く休むというのが上手くないなというところがある。
もともとキャパオーバーで仕事を続けているうちにきちんとやらないといけない部分も適当になってくるところがあるのであまりよくない。問題は頭と心と身体の手入れだと思うのだけど、そういうのが状況に応じてできるようになればいいと思うのだけど、下手だなあと思うのはまあ簡単に言えば「切り替え」が下手だということなのだなと思う。
「切り替え」ということで言えば、「アイデア(考え)」とか「思い(感情、特に不安とか落ち込みなども面倒だが、盛り上がりみたいなものもアンコントローラブルではある)」とか「体調(疲れとか病みとかもあるが行動欲のようなものも含め)」みたいなもの、つまり行動するための材料、料理の材料や調味料みたいなものを耳を揃えてテーブルに置くときに余計なものが発動してその取り組むべき対象にうまく取り組めない、というようなことがあるのだろう。「引きずる」というのは感情やうまくいかなかったアイデアとかだけでなく体調、特に疲れみたいなものは引きずりやすいが、それを次の場面まで引き摺らないことが「切り替え」ということなのだけどうまくいかなかった「アイデア」への諦めの悪さとか、そういうのはまあなんなのだろうなという感じはする。
だから頭の中の整理、感情の整理のようなものは思考や感情の手入れみたいなもので書き出してリスト化したり解決したものを二本線で消したりすることで整理をつけていくというテクニックはあるわけだけど、体調に関しては年齢ということもあるが「悪いところはどこにもない」という形での整理の付け方はできないから困る。というかそれでも私は野口整体をやっていて自分なりの手入れはしているのだけど、メリハリのつけにくい仕事をしているということもあっていろいろと変なところに引っ掛かりが溜まりやすいなと思った。
体と心と頭がうまくリセットされる、疲労が取れた状態になると気持ちはいいのだが感情やアイデアが暴走することもままあり、昔は無闇矢鱈と歩きたくなって必要もないのに都心を歩き回ったりしたのだが、最近では車の運転でいろいろなところに行くという形に変換されているので身体的な部分はどうかなあという感じはする。まあそういうのはつまり「発散」ということなのだが、一度発散するとなかなか元のポジションに戻ってこれないところがあってその辺りも自分のコントロールは下手だなあと思うことがよくある。まあこれも「発散の後の切り替え」の問題だということだなと今書いていて思った。
切り替えるときに戻ってくる原点みたいなもの、それはつまり「いつもやっていること」なわけだけど、そこをうまく充実させていくことが大事で、「いつもやっていること」のレベルを上げていくということなのだろうなと思う。それ自体が充実した状態で回っていれば安心して発散もできるし鬱積もできるということなんだろうと思うが、なかなかそこがうまくいかないから盲目的にそれをよくする可能性を探ってしまうので切り替えられなかったり諦めが悪かったりするのかなというふうには今思った。
私が今やっていることで最も重きを置いていることの一つが、もちろん職業的な意味での仕事もあるが、こうしてものを書くことなのだけど、書くことの焦点が定まっているときは「いつもやっていること」に戻りやすいわけだけど、焦点が定まっていないときにはそういう感情的なものや体調的なもの、つい気になったアイデアみたいなものに振り回されやすいということはある。
昨日書いたような「保守についての試論」とか「教養についての試論」みたいなものはざっくりとした表題をつけておくことでアイデアを関連づけて内容を充実させていくための枠みたいなもので、つまりは魚を釣ってきては放り込む魚籠のようなものでもある。自分は保守について何を知っているか、どう考えているかみたいなことを自分の中から探してきて放り込んだり、これについては知らないなと思うことは本を読んだりネットを見たりしてこれが大事かなと思うことを放り込んでいく。そうやっているうちにだんだん体系みたいなものが見えてきたりすればだんだん形になるという感じである。
籠を最初からいくつか用意しているのは、そういう収穫物の中に思ってもないものが入っていたりするからで、魚を捕まえに行ったのに砂金拾ってきたりすることもよくあるわけだから、そういうたまたまの獲物も逃したくないという意味でそうやっているという感じである。
***
「創作についての試論」の中心をマンガにしようと思ったのは、現代日本において最も盛んな創作活動はマンガだなと思ったからで、そこには物語的な要素やキャラクター的な要素、造形的な要素の中でも絵柄的な要素や描写的な要素、映画のような見せ方の展開の仕方やギャグや小ネタを挟むテンポ、間の取り方のテクニックなどあらゆる要素が詰め込まれているからで、それをアニメーションに展開するときの面白さや音楽や演劇・話芸的な要素の投入、小説や歴史から起こしていくときの面白さなどもあり、さまざまな日本の創作活動の結節点としてマンガはとても存在感が大きいなと思ったというところがある。
つまり創作の中心としてマンガを見る場合の問題は、「マンガという表現技法」の社会的地位が必ずしも高くないことだろうと思う。それは長い歴史の中で文字で書かれたものが表現の中で特権的な地位を占めてきたからで、物語表現の中で絵は「挿絵」というより従属的な地位に甘んじてきた。マンガというのはその地位を逆転させたところが面白いと思うわけで、絵で語られる物語という形で文字表現は後景に退いている。これは演劇における戯曲のト書きのようなものだが、映像表現や舞台表現と違うのは全てが絵だということで、特に初期は比較的簡略な絵であったのが、最近は、大友克洋や江口寿史以降といってもいいかもしれないが、より精密な絵が書かれるようになって技法的にも難易度が相当上がっているのだが、それをできる描き手が膨大にいるということ自体が日本の大きな文化資産になっていると思う。
日本では「マンガ家になれないから小説家になった」とか「マンガ家になれないからアーティストになった」というような人も出てきているが、世界的に見ればまだ文字文芸の地位の方が高いことは間違いない。ただ、シェイクスピアの時代には演劇や文芸の地位が今ほど高かったわけではないし、また画家たちも無名時代が長かったのが、要はハイソサエティを荘厳するものとしてのハイカルチャーとしての地位を確立することによって評価されるようになったという経緯があるわけで、日本文化においてマンガがこれだけの地位を占めているのは現代日本ほど大衆の文化力が上がっている社会はそうはないということでもある。
だからこの現代日本の特徴的な文化であるマンガというものの地位をさらに向上させていくためにはどんな人にとっても「この作品を読んでないことは恥ずかしい」と思われる地位に上げていくということだろう。実際のところは「マンガを抜きにしては日本文化は語れない」というレベルに達していると思うのだが、まだまだそうは認定していない人々は多いなと思う。
ただいまのようなポリコレの暴風が吹き荒れている時代には、表現は多くのところで犠牲になっているわけで、今ハイカルチャーの地位を確立させようとすると、そういうバカげた表現規制に引っかかる恐れが強くなるからサブカルチャーの地位にいた方がいい、という意見もあって、まあそれはそうだなと思うところもある。そうした思想は早く撲滅すべきだとは思うが、より作戦的に振る舞わなければならない段階にはあるのかもしれないと思う。
ただ、マンガにおいても壮大なメルクマール的作品というのは時代時代において生み出されてきているわけで、特に2010年代においては「進撃の巨人」ほか「鬼滅の刃」という映画史上にすら残る作品も生み出された。アニメーションにおいては1990年代にスタジオジブリ作品・宮崎駿作品はすでに「国民文化」の域に到達していたと言えると思うけれども(つまり「文化人」が言及するに値するものになったということ)、「君の名は。」の新海誠監督などそういう方向性での次世代も育ちつつある。これらはアニメーションの独立作品だが、マンガ原作の、つまり読もうと思えば筋が追える作品で「鬼滅の刃」が史上最高のヒットを放ったのは、アニメーションだけでなくマンガの勝利でもあったと思う。
物語性においては「鬼滅の刃」の構造は割合シンプルな勧善懲悪であって、そういう意味での大衆性という限界はあるような気はするけれども、そういう意味でもより複雑な構造を持つ「進撃の巨人」こそが2010年代を代表する作品であったと思う。
***
「進撃の巨人」で一つ書いておきたいと思うことがあって、それは「英雄の描き方」である。物語の前半において、「壁の中の人類」が戦っていた相手は「巨人」であり、それは人智を超えた存在で、普通の人間では決して倒すことができない存在であり、どんなに力と勇気のある存在であっても、最後は恐怖に泣き叫びながら死んでいく。それはまさに災害であり、遭遇したら死を免れない。だからそれはちょうど訪れた東日本大震災の津波災害などを半ば予言した存在のように思われていた。普段は無表情のミケ隊長が恐怖に泣き叫びながら殺される場面はまさにその典型だったと言えるだろう。
しかし調査兵団の努力や壁外からの工作員であるアニ・ライナー・ベルトルトらの活動の内容が明らかになるとともに壁外からの来訪者であった主人公エレンの父・グリシャ・イェーガーの手記が明らかにされることで巨人の正体や本当の敵が明らかにされた後、話は大きく変わる。巨人は元人間であったことが明らかにされるとともに、敵対する勢力が壁内人類を敵視して滅ぼそうとしていることが明らかにされて、主人公エレンはそれを防ぐために「壁内以外の全人類を滅ぼす」こと(地鳴らし)を宣言する。そしてそれが実際に発動する中で、エレンの仲間たちはそれを阻止するために戦うことになる。
つまり、後半は前半の主人公が魔王的存在の巨大な敵となるが、「仲間である」という意識も強く、その葛藤の中で「エレンを止める」ことが戦いの目的になる。しかし「壁内人類」のために戦うエレンこそが英雄だという「仲間」たちとは対立し、殺さざるを得なくなるという厳しい戦いになり、その中でその志を持った人々も次々に死んでいく。
しかし、ここでの死は無意味な死としてではなく、文字通り英雄的な死として語られる。巨人化するワインを飲んでしまったりガスによって巨人化してしまうことで自分の終わりを自覚して殺されるという形での英雄もあれば、挫折した指導者であったキース・シャーディスと壁内人類の敵であったマーレ軍の指導者テオ・マガトが最後に名乗りあって船を自爆させる最後は物語における完璧な英雄だった。
これは、前半の英雄たちの死が訳のわからない相手と戦っての理不尽な死であった(これはハンジが言う、「調査兵団は今まで一度だって勝ったことはなかったんだよ」と言う言葉に表される)のに対し、後半の英雄たちの死は自分たちがやるべきことが明確であり、それをやり切って死んだからこその「訳のわかる、死ぬ価値のある死」だったと言うことだろう。そう言う意味では、これは「どんな死でも同じである」と言う言説に対する明確なアンチテーゼであり、「死ぬ価値のある死こそを死にたい(つまり死に場所を得たい)」と言う戦士の願いがようやくここで実現したと言うことでもある。
ハンジが巨人たちを足止めして英雄的に死ぬときに理不尽に死んでいった調査兵団の仲間たちを思い出す・ないし彼らと再会するのは、彼らの死もまた意味を持たせることができたと言う安堵の現れでもあったのだろうと思う。
そうなると最後の主人公エレンの死をどう位置付けるかと言う問題になるのだけど、彼は「人類の8割を死滅させる」と言う選択肢を取る。そうしないと壁内の人類とのバランスが取れず、一方的な殺戮になるからだ、と言う理由づけはあるが、この辺りのところに対しては連載時には非常に非難があった。単行本化とアニメ化によってより納得的なものになったとも言えるが、もう一つ現実世界の反映として、アニメ最終回と時を同じくしてハマスのイスラエル侵攻とそれに対するイスラエルの「ハマスを根絶やしにする」無慈悲な侵攻が始まったこともある種予言的だった。
ハマス撲滅作戦によってイスラエルは1万人以上のガザ市民を殺戮しているわけで、それはハマスに殺された1200人のイスラエル人と比べてもバランスが悪いと普通なら思うだろう。しかしそれに構わずイスラエルは「国際社会の強い批判」を無視して作戦を遂行しているわけで、その辺りはエレンのやっていることと重なっているわけである。そのイスラエルをアメリカ政府をはじめ支持する人々もいるわけで、「エレンの選択」が現実的なものになってしまったとも言える。
もちろんポリコレ的には「問題作」であったのだが、残念ながら現実がそれを超えてしまい、ある意味予言的な作品にもなった。それはある意味、サブカルチャーであるマンガだからこそできたと言えるのかもしれない。
***
もう一つ書いておきたいことは、「葬送のフリーレン」である。今一番何度も読み返している作品であるが、Twitterなどを見ていると、「この人もマンガを読むんだ・アニメを見るんだ」と思うような人が感想とか関連したことを投稿している時があって、この作品は思ったより広く受け入れられているのだなと思ったのだった。
「進撃の巨人」もそうだったが、「葬送のフリーレン」もアニメ化に際して制作側がこの作品に強い思い入れを持っていることが感じられるのもとてもいい。アニメ化は制作会社が重要だと言うことは「2.5次元の誘惑(リリサ)」でも散々語られていたが、原作の魅力を余すところなく、あるいは原作以上に面白くしようと言う意気込みが溢れている。そう言うところは見る人にも伝わるわけで、思いもしなかった細かいところを指摘するツイートを見ているとファンの重入れの深さも作り手の思い入れの深さも伝わってすごく嬉しい感じがするわけである。
読み返しているうちにいろいろなことを感じるわけだけれども、一つにはこの作品が「感情の動きの乏しい少女が感情を取り戻していく物語」としても読めると言うことだ。主人公フリーレンは1000年生きたエルフの魔法使いであるが、人に対して感情が動かない、むしろ動かせないための訓練を受け、自分にも課していたわけだけど、「魔王を倒す」と言う目標を達成した後、勇者ヒンメルの死に際して「人間を理解していなかった」ことに対する後悔の涙を流し、「人間を知るための旅」を始める、と言うことになる。そのきっかけはヒンメルなのだが彼女はそのパーティーの僧侶ハイターから託され魔法使いの弟子にしたフェルンや戦士アイゼンの弟子のシュタルクとともに、つまり幼きものたちと旅することでその感情の機微を知っていくと言う展開は、「親になることで人間らしい感情を取り戻す」みたいな感じでもあり、より普遍性が感じられるなと思ったのだった。
アニメのことについてだいぶ書いてしまったが、渡部昇一「知的生活の方法」を読みはじめていて、この本もかなり面白い。この本は父が愛読していて私も高校の頃勧められたことはあったが逆に敬遠して読んでなかった本なのだけど、まあ今がようやく読むべき時期になったのかなと言う気もしなくはない。これについてもまたゆっくり書きたいと思う。
***
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