教養についての試論:人との交流における道具的価値と人間的人格的価値を高めるそれ自体が目的の教養
Posted at 23/11/09 PermaLink» Tweet
11月9日(木)曇り
昨日立冬、これは二十四節気で七十二候では「山茶始開」となる。山茶とは山茶花(サザンカ)。もうそんな季節なのだなと。冬を越す支度をそろそろ始めないといけない時期。もう11月も初旬も終わりに近い。
「教養」について考えていて、「教養とは何か」ということから考えてみればいいかと思ったのだが、もう一つ踏み込んで考えれば「自分にとって教養とは何か」ということになる。
もともといわゆる「教養主義」「教養人」というのは「読書人」というのとあまり違わない感じがある。これはつまり、ある程度から上の、少なくとも旧制高校を出たような人々にとっての生きる指針となる哲学や文学などの書籍を読み、漢籍や西欧の哲学書や文学書、また国史・中国史・西洋史・仏教史などに関する常識的な(常識というのも何かという問題になるが)知識をある程度持ち、それを自分の選択の際などに生かすという印象がある。
これは以前も書いたが、それに対して旧制中学位以下の学歴の人々にとっての人生の指針は「教養」というより「修養」であって、そちらの方は宗教的な教えや通俗的な道徳、商人道徳などの重要度が強くなり、「成功」のために何が必要か、という実践的な色合いが強くなる感じがある。旧制中学と言っても昭和初期で旧制中学への進学率は15%くらいだと聞いたことがあるから社会全体としてはエリートなのだが、彼らやそれ以下のレベルの人、つまり文字は読めある程度の漢字は読めてそれなりの世間知を持っている人たちにとって、向上心を満たす対象になるものが「修養」というものだったと考えていいのではないかと思う。
「教養」というのはそういう意味ではかなり高踏的なものであり、「人生いかに生くべきか」という旧制高校の学生の苦悶みたいなもののイメージがあり、それが行き過ぎると「人生不可解」になってしまうような感じがある。
だから、現代における教養というのはこうした近代日本の古典的な教養というものを復活させればそれでいいというものではないだろう。
しかし一般的な意味合いの「教養のある人」というのは物腰が柔らかくさまざまなことに理解を示し、人が知らないことも知っていて違う世界に住んでいる人とも話ができるし、特にいわゆる上流の人々、あるいは外国の要人などやそうしたクラスの人々と交流するのに十分な嗜みと話題を持っている人、という感じかなと思う。そういう意味ではある程度の度合いで階級的なものは現代でも含まれていると考えていいだろうとは思う。
こういうものがなぜ必要かというと、つまりは外交における役割、世界に飛び込んだときにどんな相手とも「対等に」話ができるということが外交においては最も重要なことであって、権威主義的な武力を振り回す相手と付き合うならまずは軍事力を持つ必要もあるけれども交渉の際に必要なのは軍事力だけではなくて問題になっていることに対する深い知見であり、日々変化する問題群に対してなるべく最短距離で取り組める、交渉できるために必要な「全てに通用する基本的な知識と物事の思考の仕方」みたいなものをちゃんと持っているかが重要になってくるわけである。
美術や芸術、音楽や文学、哲学などの話題やそれについての議論ができるというのも、相手はそれを持ってこちらの力を測ってくるというものであるから、気を抜けない。よく「マウントを取る」というが、よくないことのように言われるけれども交渉ごとにおいては平和的に相手を説得するためには必要な技術でもあって、プーチンやネタニヤフのようにすぐ兵力を動かすような人間は教養が足りないとみなされても仕方ないだろう。
そこにおいて日本にも文化があり美術があると主張することは重要だったから福澤諭吉が帝室論においてそうしたものの重要性を強調し、文化保護・文化振興に乗り出したというのが明治日本の建国史において重要な一つの要素になったわけである。教養人であるというのはその使い手であることも一つには意味する。
自分にとって重要なのは、こういう「なんでも知っている」ということは結構重要なのだが、現代において「なんでも知っている」ことはそう簡単なことではないし、どの分野でもそうだが「知れば知るほど知らないことが増えてくる」というのが知性の実態のようなものであって、そういう意味で「十分知った」というレベルにはどんな人間でも到達はできないだろう。
こういうのはどちらかというとヨーロッパ系の教養の捉え方であり、また日本でも上流階級的にはそういうものだったと思うが、違う系統の教養の捉え方もあって、それがアメリカ的な捉え方だろうと思う。
ヨーロッパ貴族や日本の上流階級においても重要なのは血筋であるが、アメリカ的な考えではセルフメイドマン、いかに「自分の力」で自分という人間を作り上げていったか、ということが重視される。「変わった人間を許容する」というのがアメリカの特質だと思うが、もちろん全然そんなものを許容しない偏狭な世界もアメリカにはあるから、そう簡単なものでもない。
アメリカでは「知る」ことよりも「自分がこう考える」ということが重視されている感があり、先に書いた「アメリカの大学生が学んでいる本物の教養」を読んでいても、孔子のいう「学びて思わざればすなわち暗く、思いて学ばざればすなわち危うし」という、日本やヨーロッパなどでは前者に陥りがちな一方、アメリカでは後者に陥りがちな弊はあるようには思う。
ただ、アメリカの教養にはそういう意味でラジカルなところから自分を考え行動していく強さがあり、逆に言えば失敗は多いしそういうものが世界で嫌われる面は大きいのだが遠くまで行くことも可能にしているところがあって、結局はアメリカの物質文明によって世界は動かされているというところもあるから、少なくとも無視はできない考え方だと思う。
いずれにしても教養は自分を高めるものであり、それによって結果的に相手に打ち勝つこともあるし、相手と何かを共有することで協力しあっていくことができる、そのための礎になるものでもある。リーダーシップを取るためにも必要だし、フォロワーとして問題を拾いながら全体を上手く回していくためにも必要なものでもあるだろう。
孤独の中に一人楽しむことができる手段にもなるだろうし、子供や後進を育てるときの指針にもなる。
つまり、教養というのはある意味人生を生きる上で根本的な意味で実用的なものでもあり、逆にそれ自体が目的であるようなものでもある。前者はベンヤミンのいうアートについての「展示的価値」に共通する、多くの人々を動かす力に通底するものであり、後者はまたそれ自体を楽しみ慈しむ、本質的に「礼拝的価値」を持つものだということになるだろう。
そういう意味で言えば、教養というのは自分自身をある意味アートとして完成させていくための手段のようなものと言えなくもない。美容や服飾、ボディビルディングによって自らのアート的価値を高める志向があるように、教養もまた内面的にも実用的にも人間のアート的価値を高めるためのものでもあるだろう。
この辺りはまあ、ソクラテスが言うところの「ただ生きることが重要なのではなく、よく生きることが重要なのだ」という「よく」とは具体的にどういうことか、の一つの答えなんだろうと思う。
ただ、人間にはよく生きること以前にただ生きることが重要であるという局面も確かにあって、その辺りには西洋哲学史的伝統とはまた違う人間観があるのだと思うし、そうしたことに対する深い理解のようなものもおそらくは我々が持つべき教養の中には含まれる気はする。
教養について現時点で考えているイメージを出してみたが、「外面的要素:階級的外交的発展の基礎としての道具的価値のあるものとしての教養」という面と、「内面的要素:自分の人間的・人格的価値を高めるそれ自体価値あるものとしての教養」という二つのイメージから考えていけばいいかなと思った。
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