丸の内と日本橋/「葬送のフリーレン」を読んで思ったことなど/歴史と感動と推しと「歴史というアプローチ」
Posted at 23/10/31 PermaLink» Tweet
10月31日(火)霧
朝から霧が出ている。車を走らせてコンビニまで行ったが、二つ先の信号が少し霞むくらいの霧で、秋も更けてきたなという感じ。一方で、昼頃の最小湿度が30%くらいになるという話もあった。5度の飽和した水蒸気が20度まで上がって水蒸気量が変わらないと湿度はかなり下がる。霧が出るのに乾燥しやすいのは秋が深まると空気そのものが乾いてくるのと気温の日較差が大きいからだということになる。
昨日は昼頃丸の内に出かけて本を見て、お昼をどこかで食べようと思ったらちょうど昼時になり、どこも行列になっていて食べる気を失って日本橋側まで歩き、とりあえずご飯を食べたがこういう時間に出かけるものではないなと思った。東京駅も丸の内側はオフィス街の人たちと観光客でごった返していて、日本橋側は比較的人が少ない感じ。丸善の雰囲気も丸の内と日本橋ではかなり違い、月曜日の昼間にくるなら日本橋の方がいいなと思った。
時間のある時は何度も「葬送のフリーレン」を読み返していたのだけど、「金融の世界史」も読んでいた。中世から近世にかけてのヨーロッパの金融の話だが、概ね知っている話が多かったが金融思想の話などは知らないこともあり、小切手や約束手形などの実務的なものの起源の話もきちんと知っておくと良いかもしれないとは思った。
「葬送のフリーレン」を読んでいて、彼女は1000年以上生きてるエルフの魔法使いなのだが、彼女の師匠はフランメという1000年前の人間の大魔法使いで、この世界のあちこちに痕跡がある。フランメの師匠はエルフのゼーリエで、こちらはまだ生きているのでフリーレンはぜーリエの孫弟子ということになるが、この二人は仲が悪く、一級魔法使いの試験を受けにきたフリーレンを不合格にするが、フリーレンの人間の弟子であるフェルンは合格させる。
エルフやドワーフは人間とは違う生き物かと思っていたが、「魔族と人類」と対比された時には「人間」だと言われていて、この辺はこの物語世界の設定なのか一般にそうなのかはよくわからない。ただドワーフと人間が夫婦になっていたりはするのでそういう意味では人間ということなのだろうなと思う。「エルフ夫とドワーフ嫁」という作品もあるのでそういう感じだろうか。
https://shonenjumpplus.com/episode/4856001361024772545
***
「歴史」とはどういうものか、ということに関するイメージは人によって違うのだとは思うが、子供の頃の私にとっては「本当にあったお話」という感じのものだった。「歴史を教えるのが上手い先生」というのはやはり物語的に歴史をストーリーにして語るのが上手いという感じだった。その辺りは高校の先生にしても「事実」であっても生徒の心に響くようなエピソードをうまく使ってストーリーを物語っていく。高校の時もシュテファン・ツヴァイクの「人類の星の時間」などが世界史の先生によって薦められたりしていたから、そういうものとして歴史を捉えていた部分は大きかった。
つまり歴史に「感動」を求めていた、ということだろうか。この辺り、数学者・岡潔が日本人の在り方を学ぶものと捉えていたのと重なり、「人間のあり方」として歴史を見る見方が一般には強かった、ということなのだろう。
これは「歴史的事件」についてもそうで、極東軍事裁判でただ一人文民としてA級戦犯として処刑された広田弘毅を描いた城山三郎の「落日燃ゆ」では、彼が日清戦争後の「三国干渉」に衝撃を受けて外交官を志したエピソードが書かれている。日本がアジアの超大国・清帝国を破りながらロシア・ドイツ・フランスの干渉によって遼東半島を返還せざるを得なくなった事件は日本人の多くを怒らせるとともに国家としての実力の不足を痛感させ、更なる軍備増強と外交の重視で10年後の日露戦争の勝利をもたらした、というストーリーになっているわけである。
こういうものは軍国主義や皇国史観の復活につながるという見方があり、戦後はより客観的な歴史が望ましいとされていくことになるが、フランス革命やロシア革命についてはやはり物語的な語りはあるわけで、そうしたものもある種の神話として語り継がれていく部分はあったと思う。
今考えてみると私が国史(日本史)ではなく西洋史を選択し、結局はフランス革命研究を専攻したことは、そういう部分が大きかったと思う。ただ、その頃には自分は「民主主義の物語」というものに懐疑的になっていたので、むしろ「革命神話」を解体しようとするフランソワ・フュレらのいわゆる「修正主義」の歴史観に依拠して叙述を試みたのだが、膨大な研究の積み重ねがあるフランス革命研究はなかなか大変で、修士論文を仕上げるのがやっとだったなと顧みて思う。
歴史における「感動」的な要素は、人物史研究、「伝記」などの研究でなければその事象全体を視野に入れた「通史」的な部分で叙述するしかないわけだけど、なかなかそういうところまではいかなかったなと思う。指導教官の示唆によるものではあるけれども、「ボルドー」という都市における革命史という切り口は悪くなかったなと今にして思うのは、この都市がいわゆる「ジロンド派」の拠点であり、恐怖政治の時代にはいわゆる「連邦主義者の反乱」の中心都市の一つとなり、また「地方における恐怖政治」の舞台にもなって、革命のある側面を切り取るのに勉強になったことは確かだ。ジロンド派の議員たちは捉えられて処刑台に送られる時、皆で「ラ・マルセイエーズ」を合唱していた、というエピソードが彼らのエピソードの白眉なのだけど、「革命の路線対立の深刻さ」みたいなものがそこにあった。
革命史を通じて、この人は悲劇的だと思う人は多いが、この人は推せる、という感じの人はなかなかおらず、フーシェやタレイランのように権謀術数で生き残った人以外には「両世界の英雄」ラファイエットくらいしか大立者が生き残っていないわけで、とはいえ彼はアメリカ独立戦争と革命の初期段階、それに40年後の7月革命において英雄だったという革命史全体を概観するにはあまり適当でない人であって、そういう「推し」みたいなものを見出せなかったのが結局は私がフランス革命にこだわれなかった理由かなという気はする。
今はSNSを見ていても、歴史の物語に感動するというタイプはどちらかというと年長の人たちに限られ、若い人たちで歴史好きの人たち、それは学者も含めてだけど、「歴史上のこの人物に好感を持つ」という形での「推し」を語る人が多い。これは国民単位の大きな人数の人々が共有する「感動的な大きな物語」よりも、「個人的な好み」を歴史の中に見出す読み方をする人が多くなったということで、いわば「歴史の「消費」の仕方」が大きく変わったということなのだろう。
ただ世界では「ロシアの偉大な歴史物語」や「自由を求めるウクライナ」「ユダヤ人の苦難に満ちた歴史」「現代を生きるパレスチナ人の苦境」のような民族や国家レベルでの「大きな物語」はいまだに重要性を持っている。フェミニズムやBLM、LGBTにしても「差別との戦い」という大きな物語があるからこそ力を持っているという部分はあり、逆にいえばだからこそ「物語の嘘」に敏感になる人々もいるということでもある。
私は人生のどこかの時点である事物について学ぶにはその歴史を学ぶ、という方法論を採用して何について知ろうとするのも結局はまずその歴史を調べる、という姿勢になっていて、機能面や原理面についての理解は次の段階、みたいなところがあるから政策科学や自然科学に対するアプローチとしては十分でないなという感じは自分でも感じる。こういうのはいわば考え方の癖のようなものでもあるので、逆に原理的なアプローチを好む人にとっては歴史を知ることなどはまだるっこしく感じるのだろうなという気はする。
「葬送のフリーレン」を読んでいても、この辺りについての語りが面白いなと思う部分があり、魔法に対するアプローチが「原理的な理解」にもどつくこともあれば、原理を理解するのは難しいが対処をすることはできる、という「機能的な対処方法の理解」という方向に行くこともあり、また「魔族の魔法に対する人間の研究の積み重ね」という歴史的な側面が重視されていることもあって、まあこういうところが読んでいて面白いということはある。
人間は生きているうちに必然的にある傾向が生まれ、得意不得意はできてしまうし、またその得意不得意が時代に合えば人生は成功に近づきやすいがそうでないとなかなか上手くいかないという個人ではまあどうにもならない部分もある。
ただそういう巡り合わせになる人もまた歴史の中で必要とされているのだろうなと感じることもあり、前向きに考えられていくと良いなと思った。
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