アントニーニの合唱曲/「なんか面白そう」が不足している/ハラリインタビュー:ネタニヤフ批判とハマス非難/イスラエルの安全保障と「より大きな枠組」

Posted at 23/10/21

10月21日(土)晴れ

今週は何だか長かったがようやく土曜日。朝は起きたら5時半をすぎていて、こんなに遅くまで寝ていたのは久しぶりだ。起きたら明るいということは最近なかなかないのだが、週末の計画がかなりハードだが可能だろう、というのができたので、何だか気合が入ってよく眠れた、みたいな感じな気がする。

6時過ぎに出かけて職場で少しあれこれやって、隣町まで走ってガソリンを入れに行った。少し値段が下がっているので3000円は超えずに済んだ。丘の上のデイリーに行ってコーヒーと水と塩パンを買って帰った。

走っている途中、カーラジで「ビバ!合唱」を聴いていたのだが、イーヴォ・アントニーニという作曲家の最近の作品を流していて、もっと古い時代の作曲家だろうと思って聴いていたらコロナ下で作られた作品、みたいなことを言っていて驚いた。今ツイッターのアカウントをフォローしてみたが1000行っておらず、不思議な感じである。

https://www.nhk.jp/p/viva/rs/8P466QK189/episode/re/GJ6V4KQJY6/

https://www.ivoantognini.com/MUSIC_COMPOSER/home.html

1963年生まれだから私より若い。イタリア語圏のスイスの作曲家だとのこと。独学で作曲を学んだとあるが、ポピュラーな旋律で合唱団などで歌いやすい曲を書く人のようだ。こういう作曲家もいるんだなと改めて思った次第。

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仕事のことを考えている時間が多いのだが、自分のやっていることのアピールがなかなか届かないのは、「なんか面白そう」という部分が足りない、もしくはないのだなと車を運転しながら考えていて思った。そう考えてみると、今自分がここで書いている文章も「なんか面白そう」という部分が足りないよなあと思った。真面目に書くことも大事なのだが、「何か面白そう」というものがないと、人を惹きつけるのは難しい。というより、自分は大体そういうものを求めて生きてきた感じはあるのだけど、何だか人生の転機みたいな時にどうしても「面白そう」というよりは「真面目な」方を取る傾向があるのだよなと思う。女性の選択は常に面白そうな方を取っていた気もするが、まあそれがうまくいくとは限らない。多分逆にした方がよかったんだろう。

「面白そう」というものを作るには自分が「面白そう」「面白い」と感じる能力が大事なわけで、またそれをどう表現していくかは自分次第ということになる。結局アートなりマンガなり書物というものも面白そうなものを探してはいるのだが、感性が枯渇してくるとなかなかそういうものを見つけられなくなるしトレンドの中にあるその面白げなものをうまく捕まえることができなくなる。

「血の出るような軽佻浮薄に身をやつし、ヒロシ、君は夜の杉並区を疾駆する」という言葉が、若い頃演劇をやっていたときのセリフにあったのだが、そういう「面白さ」みたいな「軽佻浮薄さ」に「血が出るように」取り組む、みたいなことが自分の中である種の理想として育ってきた、みたいなことがずっとある。

それは当時流行った言葉で言えば「面白主義」みたいなものがあるのだがそういうものとは少し違う。「面白主義」はあまり血が出ない感じがする。むしろ文学など男のやるものではない、と言われていた時代の作家たちが文学に賭けたような気迫こそが「血の出るような軽佻浮薄に身をやつす」ことなのだと思う。

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ガザ地区の人道支援、特にラファの検問所でのトラックの越境がうまくいかないのは、結局イスラエル側が拒否しているからのようで、国連事務総長が現場に行って大声でその対応を批判しているようなのだが、イスラエルとしては「ハマスの手に渡ったら使われそうなもの」は全て、特に発電機用の燃料を搬入することを拒否しているようだ。それなら電気を供給すればいいのにと思うが、ラジオのニュースで聞いたところによるとイスラエル側としては第一段階の目標はハマスの殲滅、第二段階の目標はその他の抵抗勢力の殲滅、第三段階は新たな安全保障環境の構築、と言っていて、第三段階にはイスラエルは手を引く、と言っているそうで、それが何を意味しているのかはよくわからない、とのことだった。

話を聞く限りでは、ハマスが政治組織や民政組織としてもガザでは機能していることを考えるとほとんどジェノサイドのようなことを企図しているようにも思えるが、これを本当に実行したら恐らくは第五次中東戦争のようなことが起こる可能性があるし、すでにレバノンではヒズボラの動きが激しくなっていて西側諸国ではレバノンからの退避も始まっているようだ。レバノンといえば逃亡中のゴーン容疑者だが、どういう環境の中でどう暮らしているのだろうか。

ロシアのウクライナ攻撃に関してもNATOの結束はかなり高まりはしたがトルコは基本的に是々非々の姿勢だったし、パレスチナ問題に関してはイスラエルの側に立つことはないだろうから結束したかに見えたNATOの動向もまた分裂の方向に向かう可能性もある。

日本人DJで今回のハマスの攻撃に巻き込まれた人の報告動画を見たが、やはりまだ恐怖が冷めやらないPTSD的な感じの印象を受けた。これは本当に気の毒としか言いようがないが、「世界をまたにかけて活躍する」というのは逆にいえばそういう危険と隣り合わせということなのだろうなとも思った。

https://www.youtube.com/watch?v=ySGFrmhe2Vo

また報道ステーションで「サピエンス全史」を書いたユヴァル・ノア・ハラリのインタビューを見たが、近親者の関係者が犠牲になっているということがあるらしく、「冷静ではいられない」という発言が印象的だった。下のインタビュー動画はオンエアよりかなり長くなっていてまだ全部は見ていないのだが、日本側の記者の不用意な発言などもあるように思ったが、その辺などをカットしてオンエアしたということなのかもしれない。あとでもう一度見て要点をまとめておきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=eVhGKMmqikY

ハラリは下のインタビューでネタニヤフ政権を強く批判し、「狂信者と日和見主義者の連合」と呼んでいる。現実主義者であり合理主義的左翼的な色彩が感じられるハラリの立ち位置が感じられる発言ではあるが、この見方は概ね正しいのだろうと思う。ハマスの脅威を受け入れたくなかったネタニヤフが今度はハマスの根絶を狙っているというのはどうにもどうだろうという感じはする。

https://toyokeizai.net/articles/-/708392

彼の立場で「なぜパレスチナ人はハマスを支持するのか」について分析しろというのは今は過酷だろうなとは思うが、そこを紐解かないとこの問題が「解決」に至ることは難しいし、やはりハラリ氏はイスラエル建国自体を当然ながら「善」であると考えているから、この立場を認められない人にとっては言葉は届かないだろうなとは思う。

「ヨーロッパで差別や虐殺に苦しんできたユダヤ人たちのホームランドをパレスチナに作る」という理念もアラブ人にとっては「ヨーロッパの問題をなぜ我々に押し付けるのか」ということになるだろうし、エジプトが「何百万人のガザの難民を受け入れろというなら全てヨーロッパに送りつける」というのも同じ理由だろう。最も、イスラエルのキリスト教徒たちにとってはアラブ人もイスラム帝国の征服以来の「新参者」であって、「東方正教徒にパレスチナを返せ」という人もあるとは聞く。

ただ、「奪われた記憶」がパレスチナ人には新しく、「殺された記憶」がユダヤ人には新しいので、そうしたネガティブな感情同士がぶつかり合ってお互いに引くに引けない状況を生み出しているのだろうなと思う。まあ、ホロコーストやポグロムでユダヤ人が殺されたのはアラブ人によってではなく、ドイツ人やロシア人によってなのだが。

ただ今回のハマスの侵攻によって多くの村やキブツが襲われ、虐殺が行われたことで彼らの憎悪はまた直接的にアラブ人、パレスチナ人に向く可能性も出てきたわけで、この事件は本当にイスラエルにとっては大きなことなのだろうなと思う。

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欧米、特にドイツなどにとって、イスラエルやユダヤ人に対する感情というのは日本にとっての韓国や韓国人に対する感情、差別意識と贖罪意識のアマルガムみたいなところがあるのだろうと思う。もちろん、戦後の朝鮮人差別などとはあまり関係のないところで育ってきた人たちにとってはそれは過去のものになりつつあるが、現在でも欧米ではユダヤ人やイスラエルの影響力の強さに否定的な感情を持つ人も多く、その辺りも日本の状況に似ているところはある気がする。イスラエルにしても韓国(や中国)にしてもそれを政治的に利用しようという姿勢があってそこもまた「嫌う」理由の一つになりがちなのだが、こうした「虐殺」のようなことが起こると過去に対する贖罪感情とテロへの嫌悪意識が一気に高まる、ということは日本よりはるかに強いだろう。

ただ、これを「テロ=暴力への忌避意識」とのみ捉えると、今度はイスラエルのハマス討滅に伴うガザ市民の犠牲についても反対感情が高まるのは当然で、実際のところ、イスラエルの出した犠牲の数倍のガザ市民がすでにイスラエルのミサイル攻撃等で死んでいる(まあ実数は本当のところはわからないにしてもすでにガザ市民の犠牲の方が多いことは確かだろうと思う)中で、さらに犠牲を出すガザ侵攻の実行には欧米在住のユダヤ人からも反対の声が上がるのは、その国で暮らしていることで反ユダヤ感情に脅威を感じるユダヤ人たちにとっては切実な問題だろう。

イスラエル国家が感じていることはつまりは「イスラエルの安全保障が脅かされた」ことであり、今考えていることは「安全保障を脅かすテロリスト集団を滅ぼす」ことであってこの「国家としての当然の行動」に反対することは難しい。

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まあどちら側から考えてもなかなか解決の糸口は見出せないのだが、日韓対立に中国問題の観点から第三者的に対立を抑え込めさせるアメリカのような存在がパレスチナとイスラエルにはない。トルコ支配の時代はオスマン朝が、イギリス支配の時代はイギリスがその両者を抑圧して平和をもたらす(もたらせなかったが責任はあった)存在だったわけだけど、今はそういうものがない、抽象的な「国連」のみがその可能性を持ってる感じではあるが、どちらもその勧告に従おうとはしないので、まあつまりはその枠組みをどう構築していくかというかなり高次元の問題になってくるのだろうと思う。可能かどうかはわからないけれども。

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