「人工知能」と「自然知能」:「経済効率」と「人間性」の古くて新しい対立

Posted at 23/10/16

10月16日(月)曇り

この日曜月曜はもともとは東京に帰るつもりだったのだが、実家の庭をやってもらっている庭師さんが月曜から水曜に入ることになったので、今週はやめにして来週は少しスケジュール的にいろいろきついのだがその辺で一度東京に帰ることにした。例年なら11月に入ることが多いのだが、去年も10月後半だったのでそういう手順になったのかなと思う。今朝は少し冷え込んで8度くらい、ストーブをつけていても室内でも寒い感じがする。今年の夏は暑かったので雑草が暴れていて始末ができていないから、申し訳ない。

昨日は基本的に家で休んでいた感じだが、最近実際パレスチナ情勢等に幻惑されてやろうとしていることが進んでいない。アートのことについて考えていてもいろいろになってくるのだが、実際なぜアートについていろいろ書こうとしているかというとアートが好きだからで、むしろ自分のような立場からすればアートはなぜ大事にしていかなければならないか、みたいなことを書いて行った方がいいのかなという気がした。

昨日は夕方出かけて本の探検(何を買うか決めないでいくこと)と食料品などの買い出しに岡谷のモールに行ったのだが、なんとなく目についた外山滋比古「自然知能」(扶桑社、2023)を買った。自然知能とは人工知能AIに対して人間がもともと持つ知能という意味だが、タイムラインのある意味先進的な、ある意味ギスギスした言葉の並びを読んでいて、少し後衛の位置のそれだけに全体を俯瞰できるような文章をちょっと読んでみたいと思ったのだった。

まだ途中だが、メッセージとしては人間は人間にできることを簡単に機械に明け渡していくけどそれでいいのか、というようなことかなと思う。経済効率を考えれば機械でできることは機械でやったほうが効率はいいわけだが、それによって人間の知能はどうなるのか、というような感じかなと思う。あらゆる最新の機械を駆使した上でさらに人間的なものを付け加えなければならないような研究なら人間の十全性みたいなものが必要になって持てる力を発揮できると思うが、人間の仕事はそういう最先端のものだけではないから、「人間でもできることを機械の手を借りてやる」のと「人間にはすでに衰えてしまった能力を機械に頼ってやる」というのとではかなり違う気がする。そうなると結局また「経済効率と人間性の対立」という古くて新しいテーマが立ち上がってくるわけだけど、そこは何を求めるかの場面によって変わってくるし、人間もまた「人工知能」ならぬ「自然知能」を鍛え向上させることで、より様々な可能性は広がるだろうなと思った。

作者の外山さんの書き振りというのは、なんとなく決めつけている言い方のところと味わいのある部分との両方があり、「思考の整理学」は前者の方がめんどくさくて最後まで読んでないのだが、もう少し味わい深く読める読み方を身につけて再チャレンジしてみようかなとも思う。

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