「ハマスの大勝利」と「ノーベル平和賞を受賞したテロリスト・アラファト」/欧米の「人権ができない人々」に対する差別意識/地震なしの津波:我々の知らない理由で何かが起こることもある

Posted at 23/10/09

10月9日(月)雨

今日も未明からずっと雨が降っている。ここのところ急に気候が寒くなり、心配事等もあってよく眠れなかったりして、体調がいまいちなこともあって、昨日はほぼ1日何もしないで過ごしたのだが、今朝もとりあえずいろいろやってからブログを書こうとしたら座ったまま眠ってしまっていて、基本的にはどうも低潮な感じがする。あまり無理しないで過ごすべき時期なのだろう。ただ寒いからとストーブをつけているので室内の空気が乾燥してしまい、それが呼吸器に影響している感じもする。なかなか調整が難しい。

一昨日は思いがけずハマスが大攻勢をかけてガザの領域外に侵攻し、イスラエルを後手に回らせて多くの人質を取ったり、フェスの会場を襲撃して日本人を含む多くの人々をかなりの危険に晒しただけでなく、実際に多くの死者も出したようだ。こういう事件は我々の側からすれば大変非人道的な許せない行為であり、「国際社会は許さない」という感じになるが、当事者であるイスラエルもハマスも、またその周辺のイスラム教諸国もそういう反応はほとんどない。

殺されたのがドイツ人だったりアメリカ人だったりしたことでそれらの国々がイスラエル支援に動いているということはあるようだが、今回の出来事は中東情勢においては決定的にイスラエルの外交的失点でありハマスの勝利であると池内恵さんがツイートしていて、いろいろと考えることがあった。

今までもハマスはイスラエル領内にミサイルを撃ち込むことはあったが、地上部隊が侵攻したのは初めてだし、ましてや各地点をハマスが占拠したというのもイスラエル建国以来初めてではないかという。イスラエルは当然報復措置を取っているわけだが、サウジアラビアはイスラエルを非難しているようで、これで外交的なイスラエルとサウジアラビアの接近、国交正常化は遠のいたことは確かであるだけでなく、今まで当事者集団として支援しているイランや同列のヒズボラなどからしかまともに評価されていなかったのが、イスラム世界で「イスラエルに一泡吹かせた」ということで評価されるようになりつつある、ということのようだ。

これはテロリスト集団であると認識されていたアラファト率いるPLOが第3次中東戦争の後の消耗戦の中の一つ、カラメの戦いでイスラエルの学童バスを襲撃するという「非人道的な」攻撃を行い、その報復としてPLOの拠点だったカラメが攻撃されたもののアラファトは逃げのび、ヨルダンの内部でPLOの存在感を高めた後ヨルダン政府によって追放され、拠点を点々としながらもついにはPLOがパレスチナ人の代表であるとイスラム世界で認められたためにやがてはイスラエルやアメリカもPLOと交渉せざるを得なくなった、ということを踏まえている。

実際のところ、私が子供だった1970年代には「テロリストの親玉」としてしか見られておらず、拠点も中東各地を転々としていたアラファトが1988年にヨルダンがパレスチナの領有権の主張を放棄するとパレスチナ建国の独立宣言を発表し、共産圏や非同盟諸国の国家承認を得てパレスチナ国家の大統領になり、1993年には対イスラエル穏健路線に転向してクリントン米大統領の主導のもとオスロ合意によって「歴史的和解」を成し遂げ、ノーベル平和賞を獲得してパレスチナに帰還した。

この展開はアラファトがパレスチナ民族主義のシンボル・英雄になり得たからこそ可能だったわけで、ハマスがこのパターンを踏む可能性は十分にある、ということなのだろう。

ウクライナ戦争でもロシアの残虐行為が西側では強く非難されていたがロシアは基本的にスルーして、またフェイクニュースで反論するような行動に出ていて、そのロシアの非人道性がさらに非難されていたけれども、西側諸国にそのウクライナのアピールは届いても、他の国々にあまり浸透しないのはどういうことかと考えてみると、やはり「人権を軸とした国際秩序のあり方」に必ずしも賛同していない国が多くある、というより根本的な問題があるのだろうと思った。

ロシアはそれでも表面的には人道的・紳士的なポーズをとって見せることもあり、「ヨーロッパの顔」と「非ヨーロッパの顔」を使い分けているのだが、非ヨーロッパの顔がより多くの国の支持を得る面もあるという現実がやはり気になるところはあった。

今回の中東戦争においてはイスラエルが「近代国家」の側ではあるのだが、ある種治外法権的な立場を持っていて、相手の人権に配慮して攻撃を躊躇するようなことはない行動をこれまでとってきている。しかし同胞・ユダヤ人の人権や尊厳に対しては極めて高い配慮をしていて、イスラエル人の一人の捕虜を返還させるのに1000人以上のパレスチナ人を解放したりしている。この非対称性もこの地域の紛争における我々の想像の埒外のルール、というか現実があるということだろう。

この辺りは日本国内においては日本の国民皆保険の制度にタダ乗りしようとする外国人の話など、我々の想像の埒外で動く人々が時々話題になるが、我々と同じルールで動いていない人たちとどう付き合っていくかというのはそう簡単なことではないなと改めて思う。

欧米人の非欧米人に対する差別意識というのは一つには「民主主義・人権意識がない国・その国民は人間として劣る」的なものがあるのだなと最近思うのだけど、彼ら自身も必要に応じて移民を制限したり適宜差別的な政策を打っているわけだが、要は彼らはなぜそれをするかのロジックを常に強固にしていて正当化力が強いということなのだと思う。逆に言えばフランスなどは明らかに移民に対して差別的な社会・教育政策になっていると思うがフランス人は絶対それを認めないわけで、ロジックが強すぎるのも問題だと思うが、日本はその辺が適当なのでBBCからジャニーズの件で人権後進国と批判されたように正当化力が弱いのは欧米諸国と付き合っていく上では問題があるだろうと思う。まあ日本国内向けにはそんなに正当化の必要はないからどうしても適当になってしまうのだが。

トルコが典型的な例だけど、ヨーロッパ連合に入ろうとしても様々な難癖をつけて絶対認めなかったためにトルコは欧米から離れて独自路線を進む傾向が強くなっている。ヨーロッパの白人諸国でもやはりロシアは特に半分ヨーロッパ的で半分非ヨーロッパ的な国なので、そこらへんで逆に非欧米諸国からは評価される面がある。

日本に関しては非欧米諸国でありながら欧米の価値観をかなり肯定的に取り入れてはいるが、どの程度彼らからそれを承認されているかというのは流動的ではあるだろうなと思う。民主主義や人権の価値観は日本において一つのスタンダードになっているとは言えるのだが、人権の価値観も状況によって何を重視するかは変わってくるし、今のwoke的な動きには抵抗も強いわけで、そこら辺は「我々にとって大事なもの」を失わないようにしていくこともまた大事だと思う。

***

もう一つ従来の感覚からはわかりにくい出来事があったのが今朝の津波である。海底で地震が起これば津波が起こる、というのは従来からも常識だったが、今回は目立った地震がないのに津波が起こっていて、タイムラインにもいろいろな分析が並んでいた。

世の中は、というかこの地上においてはわれわれが理解しきれない部分で起こる物事というものがある、ということは押さえておいた上で、それらもなるべく理解できるように新しい知見や考え方、見方を取り入れていくことは常に必要なことだなと改めて思った。

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