放射冷却/戦前の母の写真たち/「ダンどーん」:フォロワーシップの塊としての西郷隆盛/「バンオウ」:挫折と再生のドラマの典型としての奨励会三段リーグ

Posted at 23/10/06

10月6日(金)晴れ

気温の変化が激しくなってきて、就寝の時の寝巻きや布団の加減が難しくなってきた。昨夜は寝る時は薄めの布団に毛布2枚、パジャマは冬用で寝たが夜中に暑くて目が覚めて、秋用に着替えてもう一度寝たら今度は少し肌寒い感じだった。起きて気温を見ると6.6度。かなり放射冷却したようだ。これは天気がいいなと思って外に出ると、もうほとんど冬の空の雰囲気で、月が煌々と照っているのに加えて西の空に木星、東の空に金星、東南にシリウスとかなり豪華なしなぞろえ。星座表を見るとオリオンも出ているようだが、空が明るくなってきているのでそれはよくわからなかった。

昨日は午前中会計の仕事を進めてもらいながら自分では政府統計調査に回答したり、母の米寿祝いの時に用意するアルバムのために写真をアップしたり。母の子ども時代の写真は結構残っている。祖父が古希の時に昔の写真を焼き増しして母の兄弟たちに配ったようだ。祖父は一代で事業を起こし、洋品店や運輸業を経営した人で、家族を大切にするというかこういう写真のようなものはたくさん撮っていたようだ。戦前の写真がこんなに残っているのも結構珍しいのではないかという気がしたが、母の姉妹は多いから写真が華やいでいて撮りたくなったのかなとも思う。

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https://morning.kodansha.co.jp/c/dandawn.html

モーニングで泰三子「ダンどーん」第13話を読んだ。これは「ハコヅメ!」の作者が日本警察の祖である川路利良の伝記を描いた作品なのだが、川路は薩摩出身で、西郷隆盛とともに島津斉彬に取り立てられ、側近というか実務部隊や「手のもの」のような働きをしていたのだが、第13話では井伊直弼の実権掌握に対し斉彬が率兵上京して朝廷に意見する準備をしていたところで急死する場面。この物語ではすでに井伊直弼の愛人であり密偵であり刺客である設定になっている村山たかが薩摩に忍び込み、一度は露見して日向の海に沈められるところを脱出してついに斉彬に毒を飲ませることに成功した、という話になっている。

斉彬の死後、川路は京に上り斉彬のために周旋に動いていた西郷に斉彬の死を伝える。その伝言の中で斉彬がお家騒動を繰り返さないように久光の息子に後を譲り、自分の娘たちは久光の息子たちに嫁がせるように指示を出していた、という。また小松帯刀からの伝言として周旋に回っていた公家や大名たちに早く訃報を伝え、広げていた風呂敷をなるべく小さく畳むように、という。

この場面の西郷で一番印象に残ったのは「そこまでが斉彬様の家臣として最後の務めじゃな。斉彬様のおらん世においはとても耐えられん。この役目が終わったら殿の跡を追わせてくいやい」という言葉で、川路もまた改めて毒殺を避けられなかったことを後悔する。

近衛家に訃報を伝えに行った際、この始末が終わったら自分らも腹を切って後を追う、という二人に同席していた僧月照が怒り、西郷は「旗」として、斉彬の名代となって後を引き継ぎ、井伊直弼から諸侯や公家を守れ、斉彬の人生を肯定し、賢公として名を残させることができるのは斉彬が育てた西郷や川路しかいない、といい、二人は「殿の名前を汚されたくなか」とその言葉に同意し、「戊午の密勅」の計画を打ち明ける、という展開になっている。

西郷隆盛といえば、日本史上でもリーダーシップの塊というか西郷を慕ってついていく志士たちが多かったためにその偉業が成し遂げられ、「維新の三傑」のうちでもトップに挙げられる人物なのだが、彼の本質は主君斉彬を慕い、その下であればこそどんなことでもやり遂げるというある意味フォロワーシップの塊のような人物なのだよなと思っていたところがあり、それに次いてとてもよく表現されているなと思った。フォロワーシップの塊だからこそ、自分が認めないリーダーには絶対ついていかないわけで、そこが度重なる久光との衝突になったり、最終的には大久保利通との対立し、川路利良率いる警視庁抜刀隊によって追い詰められ、身を滅ぼすことになるのだよなと思う。

日本史上、リーダーシップが語られる人物も多いがフォロワー気質が強い人が結構名を残しているのだけど、西郷などはその典型で、逆にフォロワーシップが強い人物を敵に回すと相当厄介だということのある種の証明として西郷という人はいるのだなと思った。

大久保利通はまだ出てきてないのだが、今まで出てきた人物も相当現代的にデフォルメされていて語りが面白いなと思っていたので、大久保についても楽しみにしたいと思う。

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金曜日のジャンププラスの更新の一つ、綿引智也原作・春夏冬(あきない)画楽作画「バンオウ」39話を読んだ。この話は不死の吸血鬼がその長い人生に飽きる中で将棋を覚え、何百年もかけて研鑽しているのだが、現代に通っていた将棋道場の経営が危ないことを聞いてアマチュアでも参戦できる「竜王戦」に参加し、賞金を得ることでそれを助けたいと志す、というのが柱になっている。主人公「月山」が勝ち上がっていく様はジャンププラスでも熱い支持を得ていて、金曜日の一番人気の「怪獣8号」に迫るところに来ている。今週は「怪獣8号」がお休みなのでランキングトップである。

月山はすでにプロを破り、上位に進出しているのだが、今回の相手・滝川八段は奨励会の三段リーグで足踏みした経験があり、「プロであることのプライド」を人一倍持っている。世の中には養成機関というものが多くあるけれども、昔から多くのマンガに描かれている養成機関は将棋の奨励会がダントツではないかという気がする。争いの激しさもあるが、厳しい年齢制限が一つの「お話」を作りやすいポイントなのだろうと思う。実際に、テレビのNHK杯で時計係などをしている三段の人が昇段できずに引退する、などというツイートを読んだりもするので、本当に厳しい世界なのだなと実感する。

この話は棋士の人が監修しているということもあり、そうした実際の話もいろいろ取材しているだろうし、棋士にとっても過程として重要な時期だっただろうと思うが、逆にいえば将棋が「ドラマ」になるということの一つのポイントとして「奨励会」特に「三段リーグ」があるというようにも言えるなと思う。

「瓜を破る」の主人公の一人も将棋に人生を賭け、奨励会で三段まで上がったもののプロになれず、その後メンテナンス会社の派遣で働いているという人だったりして、そういう「挫折経験」の一つの典型例としても「受験失敗」と同じように描かれやすい。

私が最初に読んだ将棋漫画でもタイトルは忘れたが勝てば四段、負ければ引退という将棋で主人公の対戦相手の若手のホープが二歩を打ち、主人公が昇格したもののそれが「わざと負けた」という疑惑から酒に溺れ、荒れた生活に落ちるが、ある時その将棋を見直していて実はその歩を打つ手が決定打であったということに気づき、生活を改めてついに棋聖となったその時の若手ホープと対戦し、全く同じ棋譜で指し進めるが二歩にはならないように指していて、最後に歩を打つことで棋聖が投了するものの、主人公も意識が遠のく、という話で、将棋といえば奨励会、みたいな話はずっと結びついていた。

現代にももちろん挫折と再生のドラマはあらゆるところにあるはずなのだが、その典型として描かれる奨励会の話は、一つの典型として今も読者を魅了し続けているのだなと改めて思った。

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