友人と蕎麦を食う/福澤諭吉「帝室論」を読み始めた:現代皇室観の祖型とテロリズムの火種

Posted at 23/09/28

9月28日(木)曇り

最近朝早く目が覚めてしまう。というか元々4時過ぎには起きるのが標準だったのだが、ここのところ3時ごろに目が覚めてしまうので少し早いなと思うのだが、最近は4時に起きるのをデフォルトにしてそこでいろいろやる習慣になってしまっているのでたまに5時半ごろに目が覚めると朝やることがやりきれなくて困る、みたいな感じになっているのだけど、3時だからできるというわけでもないかなとは思う。今朝起きたのは少し寝苦しかったからだが、気温を見ると21度を超えていて数日前に比べるとかなり高い。最低気温は結局20.8度だった。今朝もあまり何もしないうちに時間が過ぎていて、いろいろとアレという感じ。資源ごみを出しに行ったり、ヤングジャンプを買いに行ったり、やってはいるのだが。

昨日は午前中事務仕事を少し相談した後、友人がバイクで来るというので待ち合わせて山の上にある蕎麦屋に行って蕎麦を食べたが結構混んでいて繁盛しているようだった。久しぶりに座敷の席に座ったのであぐらをかいたり正座になったり落ち着かない感じだったがこういう感じって久しぶりだなと思う。ひとしきり「郷土資料館は面白い」「いや市史も面白いぞ」みたいな話をした後、混んできたので店を出て近くの展望台に行って共通の昔の友だちの話など。芝居をやっていたときの仲間なので、今でも頑張って芝居をやったりバンドをやったりしている人もいて、頑張っている人はすごいなと思う。

どこかでお茶をしようと街に降りてきたのだが、結局思いつかず職場に来てもらって、誰も他にはいなかったからそこでいろいろ話をしていたらちょうど町内会の人が町内会費を集めに来たりして思ったよりお金がなくなった。昔の友達はやはり話し始めると話が終わらなくなるので、なかなかに名残惜しかったが友人も東京に帰り私も仕事があるので2時半ごろ解散。仕事中は広告宣伝の相談をしたりそのほか。いろいろと忙しかった。Amazonで注文していた「夢てふものは頼みそめてき」4巻(講談社)と山上伊豆母「古代信仰の本質」(法政大学出版)が届いていた。後者は巫女信仰について調べようと思って注文したのだが、思ったより巫女関係のことは少ない感じだった。

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福澤諭吉「帝室論」を読み始めた。緒言には明治15年の日付が記され、冒頭、「帝室は政治社外のものなり。」とある。これは、「皇室は政治や結社とは距離をおくべきものである」ということだろうか。「其主義に於て帝室の尊嚴と其神聖とを濫用す可らず」というのは、その政治的主張において皇室を政治利用してはならない、ということで、それを「我輩の持論」であるとする。皇室を担いでの明治維新の10数年後にこう述べているというのは元々思うところがあったのかもしれないが、直前の明治14年の政変もある意味皇室を利用しているとは言えるわけで、そういう明治政府のやり方に対し思うところがあったのかもしれない。

「遙に高き帝室より降臨すれば、亂賊も亦是れ等しく日本國内の臣子にして、天覆地載の仁に輕重厚薄ある可らず。」というのは三上皇を配流した北条義時も後醍醐天皇を裏切った足利尊氏も「臣子」の問題であって皇室を廃しようなどとは微塵も考えず、皇室もまた乱臣賊子であるからといって差別するようなことはない、と主張しているのだろう。それだけ皇室は遥か彼方に「高い」存在であるというわけである。

これは福澤がもちろん明治維新の原理に依拠しているということでもあり、イギリスなどの硬質のあり方を研究して日本の安定のためには皇室が重要であるという視点からここを強調しているという面もあるのだろうと思う。

明治維新で「賊軍」になった人々、特にあげられているのは福澤自身が身近に感じた江戸の彰義隊の例があげられているが、彼らもまた皇室から見れば親が子供を見るようなもので、一時的に逆らってもそれを許す、というようなことを言われている。福澤は元幕臣で明治以後は政府に出仕していないこともあり、天皇から見たら国民は皆同じであるという観点から明治政府を牽制しているということも言えるだろう。

ただ福澤ですらこのような言い方をしているということは、ある意味誤解を招いたわけで、例えば二・二六事件の青年将校たちが「自分たちの赤心は必ず天皇に伝わる」と信じて反乱を起こし、結果的に「天皇の命で討伐」され、処刑されるようなことにつながっていると言えるだろう。自分たちこそが正しく、政府の重臣たちは君側の奸であり、「幕府的存在である」と信じてしまえばどう行動しても大丈夫だ、というような間違った確信を生んでしまった面はあるように思う。

明治14年の政変の際に出された国会開設の詔により自由党や立憲改進党などが組織されたことに言及し、選挙によって政権を争うことは関ヶ原の戦いで関東か大阪かと政権を争うようなものだ、と説明しているのものなるほどと思う。その際に皇室がどちらかの味方をするようなことがあれば子供の喧嘩に両親がどちらかに加担するようなものでよくない、また政権など数年も持たないのだから反対党が勝った時に皇室が面白くない状況に置かれる、ということを心配していて、今では当然のことのように思える皇室の政治における不偏不党、高みにあって君臨することが正しい、ということを国会開設前から心配し考えていたんだなということがわかって面白いなと思った。

また「皇学者」らの天皇みずから政治の細事にまで当たらせようという主張に対しては、天皇は万機を「統べる」ものであって万機に「当たる」ものではない、とその違いを注意している。この辺りは建武の新政の時に全て後醍醐天皇の勅裁がないと動かない、という感じになったことを批判しているということなのだろう。また「皇学者」の狭い了見も批判し、「人をして我が主義に入らしめんと欲せば、之に入るの門を開くこそ緊要なれ」と言っていて、この辺りは批判ばかりして自分の主張を多くの人に理解させる気構えに乏しいポリコレ派やLGBT活動家、フェミニストなどに対する批判にもなるなと思った。

もともと「皇室こそが日本文化の守護者たるべし」という福澤の主張を読もうと思って読み始めたのだが、その前段の皇室のあり方に対する福澤の主張というのは現在の広く国民の間に認知されている考え方の祖型になったと言えるし、そういう意味で明治思想の主導者であったということは確かなのだなと改めて思った。

緒言に元々12回に分けて福澤が述べたものを甥で初代社長兼主筆の中上川彦次郎が筆記して「時事新報」の社説に掲載したものを一冊にした、という出版の経緯が述べられていて、これはできれば掲載された当時と同じように十二に章分けをしてくれてあるともっと読みやすいのではないかと思った。時事新報は慶應義塾の出版局が発行し、漫画を掲載したり料理のレシピを載せたりなど当時としては画期的な新聞だったということだ。

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