アート作品のオーラに対する危険視とかアートの個人的所有への先祖返りとか
Posted at 23/09/13 PermaLink» Tweet
9月13日(水)晴れ
昨日は仕事はそこそこやった感じだが、だいぶ目が疲れてきている。気分転換にスマホをいじるのはやめた方がいいと思うのだが、どうしてもそうなりがち。意識的に見る時間を減らさないとと思う。朝起きたときにスマホゲームのイメージが目の前で動く感じになるのはちょっとやりすぎなんだろう。
何かをやろうとすると、一つ一つのことに思ったより時間がかかってしまって次の仕事に推してしまうという感じになるが、こういうところはなかなか解決されない。というか疲れるとついぐずぐずしてしまうので余計に時間がかかるというところはある。
今朝お金をおろすのとマガジンを買うためにコンビニに出かけたが、だんだん明るくなるのが遅くなってきたなと思う。まあこれは昨日も書いたが、今朝は5時前に出たのでまだかなり暗かった。6時ごろなら十台くらい車が入っているコンビニの駐車場も一台しかなくて、少し時間が違うとだいぶ状況が違うのだなと思った。
車の中で「古楽の楽しみ」を聴いていて、ルイ14世の宮廷に使えたジャン・バティスト・リュリという作曲家がいるのだが、彼は宮廷楽長でありまた寵臣として権勢をほしいままにした、という。今日の特集はそのリュリに憧れたドイツ、神聖ローマ帝国の音楽家たちの特集というものだったのだが、その構造自体が少し面白いなと思った。
現代においてとは違い、リュリの音楽はルイ14世の宮廷およびフランスを直接に荘厳するものだったわけで、文字通り国王・国家の権威権力、また文化程度の高さを知らしめるために音楽や芸術が存在していたわけである。リュリ自身はイタリア・フィレンツェの出身だったがギーズ公子に見出されてフランスに連れられ、その姪に当たるグランドマドモアゼルと呼ばれたアンヌ・マリー・ドルレアンに才能を見出されて教育を受けるが解雇され、国王主催のバレーに出演してルイ14世に気に入られ、作曲家と踊り手として宮廷に地歩を築いた、という人だったようだ。
だからリュリに憧れるということは当然リュリのように宮廷において王に可愛がられまた作曲家としても名声を残す、みたいな感じになるわけだが、いわゆる絶対主義の時代には音楽がそういう形で政治権力や宗教権力に結びついていたということだなと改めて思った。
ここからはベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」の話になる。フランス革命が起こり音楽・芸術は市民のものになったわけだが、ヘーゲルはその時代にあって芸術というものの変化を感じ、「芸術は最盛期を過ぎた」と言っているわけだが、それは「芸術が芸術であるだけでよかった」時代から、「芸術が博物館に展示されるものになった」ことによって「芸術が再び芸術であれば良い時代」に戻るのではなく、「芸術について考えたり芸術についての学問が必要とされる時代になった」と言っている。
我々にとっては絵画は美術館で見るものという考えがあるが、本来は自らの宮殿なり自らの家庭において親しく見るものであって、それを鑑賞したり愛しんだりしていたのは、当然ながら王侯貴族の特権といえばそうだったが、市民国家のオランダなどではレンブラントなどが市民のための絵を描いていたから、彼らもまたささやかではあっただろうけれどもそうした形で絵を享受することはできていたわけで、「美術館で見る」というのは全く新しい変化だった、という指摘はなるほどと思った。
これがつまりベンヤミンのいう絵画作品の「礼拝的価値」から「展示的価値」への移行ということになるわけだけど、「大衆に開かれる=美術館に展示される」ということは「個人として作品を愛し慈しむ」というステージとは別の段階になった、ということなわけで、逆にいえば「絵を所有し個人的に自宅で見る」ことの意味が再発見された、ということでもあるのだなと思った。
19世紀になって写真が発明され、20世紀初頭には映画も出てくるわけで、これらの新しい芸術は「複製可能性」というものを持つようになったわけで、それが「アウラの消失」という新しい事態を招いたとベンヤミンは指摘しているわけだけど、そうした時代の変化をわれわれは受け入れなければならない、とベンヤミンは言っている。
芸術についての語りというのは、特にロマン主義の時代には「創造性・天才・永遠の価値・神秘」という言葉で芸術について語られてきたけれども、それは人間存在の新たな可能性の文脈で出てきたわけだけど、つまり「複製」芸術の時代になって「アウラが消失」し、つまり芸術作品は「特別のものでなくなった」ということが重要なのかなと思った。
それが重要なものでなくなったのに従来の「語り」にこだわると、それは「この世には特別の指導者がいる」とか「特別に優れた民族がある」と言ったような、多木氏の言葉によれば「ファシズム」に利用されるようになる、というわけである。身分制社会を荘厳してきた芸術は市民社会になって広く開かれた美術館やコンサートホールで市民たちに、と言っても主にブルジョアエリートによってだが、共有されるものになった。しかし写真や映画の発明によって芸術に結びつけられていた「特別の価値」が本当は失われたのに、それを求める心だけが残ってそれがファシズムという幻想の「超越的な指導者による超越的な民族の超越的な国家」を荘厳するようになっていったということなのだろう。
これはまあ、あまりそういうことを考えたことがなかったので評価はできないが、つまりはファシズムを否定し市民社会を守ろうとするなら「特別なアウラ」にこだわってはならない、という方向に芸術論が動き、現代美術や現代音楽はそういう方向に動いている、ということなのかなと思う。
しかし実際の演奏会では20世紀以前の近代音楽が演奏されることが多く、またポピュラー音楽ではアーチスト自身が「いかに特別か」みたいなことをファンが求める、というような構図もあるわけで、そういうものは消えないというかある種人間にとって必要なものなんだろうと思う。それがファンタジーに過ぎないのか実際にあるのかは議論の余地があるけれども「あの人はオーラ(アウラ)がある」という表現は普通に使われるし、凋落すると「オーラが消えた」などと言われるわけだから多くの人々はそれを「あるもの」と感じているのだろうと思う。
まあ、現代美術を見たり現代音楽を聞いたりしていても、「アウラ」というものが全くないわけではないけれども、逆にアウラがあるのにそれをないように演出したり、なんかその辺めんどくさいことやってるなと思っていたけど、まあこれはこういうことなのかなと思った。
逆にいえば大衆芸術とかサブカルチャーのいいところはそういうところを気にしないでいいことなので、いくらでもスターでもオーラのある作品でも作り得る。しかし逆にいえば市民権力・反ファシズムの側が警戒するのもそういうところなのだろうと思う。
まあいろいろ考えるところはあるが、戦前と戦後で「天才」の扱いが変わったように感じるのはそういうところもあるのだろうなと思った。これは政治家とかに関してもそうなのだろう。
こういう時代に自分たちにとって芸術とはどういうものなのか、国家は芸術にどう関わるべきなのか、みたいなことは結構ややこしいことなのだなと思う。
ただ、展示されているものよりも自分で所有するもの、アウラがあって展示されると非難されるが個人が所有する分にはとやかく言われにくいもの、みたいなものが傾向として優勢になってきているとしたら、(オタクの行動というのはそういう部分が強い気がする)アートはまた私的なもの・礼拝的価値に先祖返りしつつあるのかもしれないという気もする。
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