アカデミズムという階級制と日本のサブカルチャー/ついでに日本の「アカデミズム」や政治経済も覗いて見る
Posted at 23/09/10 PermaLink» Tweet
9月10日(日)晴れ
何を書くかについて朝からいろいろ考えて書いたり読んだりしていたらもう10時過ぎてしまった。3時過ぎから起きているのに。
いろいろ読んだり考えたりしたが、一番印象に残っているのは「クローズアップ藝大」の第15回、小鍛冶邦隆氏へのインタビューだろうか。
https://www.geidai.ac.jp/container/column/closeup_015
一方で絵画芸術についても「ほとんど0円大学」というサイトの第13回、「なぜ、人はアートに魅かれるの!?」というサイトだろうか。こちらは京大の特定教授、吉岡洋氏のインタビューである。
http://hotozero.com/feature/kyodaitalk_13/
両氏の話の中に共通して出てきたのが「アカデミズム」という言葉である。特に前者の方を読んでいて強く印象に残ったのは、アカデミズムというのがいかに「階級制度」というものと不可分のものであるかということで、ヨーロッパでは音楽の嗜みがあるかどうかで階級が決まる、という強い言葉で説明されていた。
これは私にとっては多分直観的には理解していたことで、自分が東大に合格して最初のクラスのオリエンテーションで集まった時、隣に座った人たちがシェーンベルクやブルックナーを論じていて、「とんでもないところに来てしまった」という印象に繋がるのだと思う。
こうした話はよく「文化資本」と言われるが、こういう問題を「資本の問題」と片付けること自体が、現代日本においていかに階級というものが意識されていないか、あるいは不可視化されているかということでもあり、また現実に特定の場面が来ないと意識されないものか、ないしは「ほとんどの人はないと思って生活している」ということの証左であろうと思う。
実際には階級というものは皆無ではないと思うが、ほとんどの人はないということを前提として生きているし、またそうであるからこその文化の繁栄みたいなものもある。アカデミズムがどちらかというと「趣味の問題」みたいに捉えられているのも、あるいはアカデミズムという言葉を表に出さないで「教養」という言葉で語られてきていることからも、階級は日本では事実上ないものとされている。
だがヨーロッパ、特にフランスではそうではない、ということを小鍛冶氏は言っているのだが、そのこと自体がやはりインタビューをしている国谷裕子さんなどにもあまりピンときていなくて、だから小鍛冶さんのいうことが「難解だ」と感じられているのだろうと思う。
逆に言えばヨーロッパで音楽なり美術なりの芸術が権威のあるものとして成立し得たのは、それらが「階級社会の道具」であったから、ということなわけで、学問もそれと同じだから、それらを含めた「アカデミズム」こそが階級の道具であり、それらによってヨーロッパ諸国の根幹いわば「国体」は荘厳されているからこそ、文化を大事にし予算を注ぎ込んでいるわけである。
「文化が大事」というのは抽象的な問題ではなく、国家の存立に関わる問題であると彼らは意識していて、ということはつまり彼らが作った国際秩序においてはそれによって見えない差別が行われている、と言ってもいい。
ただ現代世界はアメリカという特異な国によって政治経済軍事的には牛耳られているので、彼らの奇矯な理屈もそういう文化体系に取り込まれ、各地で混乱を起こしているというのが現今のジェンダー問題みたいなものである面はあるのだが、ヨーロッパはアメリカに文化的コンプレックスを持たせることに成功しているし、またアメリカ自身もフランクな庶民的な国だと演出しながらエリートの知的権威はヨーロッパから借りてきているわけだから、そこを否定できない弱みがあるわけだ。
今読んでる「市民結社と民主主義」という本は、つまりガチガチの今以上の階級社会、というより身分社会であったヨーロッパにおいて、「会員同士の平等」という風通しの良さを生み出した市民結社が次の時代の市民社会、民主主義社会を生み出したという話になっているわけである。この小鍛冶さんの話を読んでより「市民結社」の意味を理解できたように思った。
まあこういうのを読んでいると、自分のなかにいかに「階級意識」というものがないか、というよりも「欠落しているか」ということがよくわかる。それはいいことでもあるけれども、階級というトラップを見せられた時につい緊張してしまったり身構えたりしてしまったりする罠にも繋がるわけで、逆に言えば日本がいかにそういうものを意識しない良くも悪くも平等社会であるかということでもある。
日本でマンガ・アニメ・Jpopその他サブカルチャーがこれだけ全盛なのも、「成り上がる方向」が階級的上昇に限られているわけではないからであり、アメリカ的「成金」が十分「立派な夢」として語り得る社会であるからだと思う。
ただ、日本のサブカルチャーが世界的に認められるためには外国にいるサブカルチャーシーンのお仲間によって認められるだけではダメなわけで、それがアカデミズムに認められ、上位階級によっても評価されるようになる必要がある、みたいなことはある。それは明治時代に歌舞伎が天覧に浴したことでヨーロッパ的意味での「芸術」と認められ、評価されるようになったことと同じであり、その構図は戦後になっても「野球が天覧に浴した」ことで野球が「国民的スポーツ」として再評価され、天覧ホームランの長嶋が「国民的英雄」になったというところにも繋がる。
そういう意味では村上隆などの試みはそういう方向で認められるための営為であったわけであり、いろいろと誤解を呼んだようには思うがある意味でマンガが生き残るための一つの選択であったようには思う。
そういう意味で言えば、アートや芸術や文学というものは「売れればいい」というものではない。「アカデミズム」と名乗る世界的な階級制によって評価されなければいけない、という面がある。もちろんそれに背を向け続けるのも一つの方向性としてはありだと思うが、「世界に広がること」を目指すならば一つのステップとしてそういうものはあり得る。
現実問題として、マンガを読んでいると多くの作品において人間の本質というものに迫る創作が行われていることは多く、これが評価されないのはもったいないと思うし、そういう意味では「批評」が頑張ってそれらの評価・名声を上げていくことでより多くの地歩を獲得できるだろうと思う。それはマンガよりもおそらくはアニメの方が先行していて、多くの日本アニメが世界的に見られていてさまざまな評価を獲得しているのは良いことだろうと思う。
しかしそれは一つ問題があり、アカデミズムや階級的な限界を突破するためには彼らのタブーコードに合わせなければいけないというところがあるわけで、特に子供の裸体表現や性的表現にはうるさいのはよく知られていることでもある。
ただ、彼らの基準も変化はしているので、それに全てを合わせればいいという問題でもないし、そんなことをしていたら日本のマンガやアニメの良さは死んでしまう面がある。少し前はより挑発的な表現としてそういう小児の裸体みたいなものが評価されていたこともまた事実であり、そういうものを性的な意味では必ずしもなく、評価すべきと考えている人も多いとは思うが、今の規制側の勢いが強いことは日本とそう変わらない。
だからそういう表現の持つ意味をより批評的な言語で強く訴えていくことがそういう表現のより自由な展開には必要なのであって、マンガ批評・アニメ批評もまたグローバルなものになっていかないといけないと思う。グローバルというのはつまり、より人間存在の本質に迫るものである必要があるということである。
実際、ヨーロッパのつまりは世界の階級制とかアカデミズムの絶対的な強さないし存在感みたいなものは、現代日本で普通に暮らしているとにいるとほとんど意識しないで済むものなので、そういうものに触れた時の反応もピント外れなものになるのはある意味仕方がないような気がする。
一番わかりやすい例としては、スポーツの競技のルールがより頻繁に、少なくとも日本選手にとってはより不利になるように(少なくともそう見える感じで)変更されることが多い、ということがある。その裏にはいわゆるIOC貴族みたいなものがいるということであるわけだけど、彼らはその正当性の理屈付けにはスポーツ関係のアカデミズムをいくらでも動員できるから日本が独自に対抗しようとしてもなかなか難しい。柔道でさえ日本側が望まない方向にルールが変えられるのはよく知られているとおりである。「変に国際化しない方がよかった」という反省もまた聞かれるわけで、相撲などにしても結構危ない橋を渡っているようには見える。
もう一つは、日本の学者たちがTwitterなどでいろいろ発言しても、嘲笑されたり揚げ足を取られたりしがちだということがあるが、つまり日本に階級制は「ない」のでアカデミズムも本当の意味では「ない」。だから「アカデミア」などと言っても砂上の楼閣であり、そういう言葉自体が滑稽に聞こえることもまたやむを得ない面がある。
逆に言えば、欧米でアカデミズムに対抗しようと考えたらガチにテロリズムを仕掛けるしかないわけで、Twitterでバカにされるだけですむ日本はある意味牧歌的だとは言える。(キャンセルカルチャーによる犠牲者は出てしまってはいるが)
日本で左翼学者がバカにされがちなのは、現実には砂上の楼閣である階級制=アカデミズムに寄りかかって大きく背中を反らしながら、粋がって政府を批判しているポーズが仲間内だけにしか通用していないからで、アカデミズムの意味を理解していないからだろう。アカデミズムに存在価値があるとしたらそれは「権威」であることであって、反権威を学問の良心みたいに考えているから矛盾してしまう。
また国家権力が日本の場合かなり皇道派的とでも言えばいいのか、「田舎の優秀な東大出の官僚」のメンタリティによって支配されている面があるところがあり、学界に半ば階級的な敵意を持ってる感があるところがある。多くの国において国家の統治者は支配階級であることが普通だから、政府にも上流階級の文化、つまりは階級的なアカデミズムが浸透していて現代ではほとんどの国で高級官僚はより長期のアカデミアにおける教育、つまりは大学院クラスの学校を出ていることが絶対条件になりつつあるが、日本ではほとんどの官僚は学部卒であり、大学院卒が嫌われているのはある種階級的なものだと判断した方がいいように思う。
日本でも大衆的な人気を必要とする政治家や官僚でも外国との対等な交渉能力が必要な外務省などは家柄がものをいう世界であり、外務省に金が出ないとか政治家の要求が財務省に跳ね返されるとかもつまりは階級対立的な要素があるのだろうと思う。
まあアートの方面から政治経済を掘り出すとそういう感じが出てくるのは、アートというものが他のものと比べても露骨に階級制やアカデミズムを背景にしているからであって、その辺のところはもう少し調べたり読んだりしながら少しずつ書けることを書いていこうと思う。
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