総理大臣にはどういう教育が必要なのか

Posted at 23/09/03

9月3日(日)晴れ

昨日はあまりまとまったことができていない。ちょっと気力が出なかったこともあって、厳しかった。ちょっと関心を持って調べたことなど、まとめておこうと思う。

政治家の劣化ということがよく言われるけれども、それはどの辺が境目なのだろうかということを考えた。江戸時代の政治家を考えてもわかりにくいから近代、つまり明治以降について考えると、総理大臣と教育というのは一つのテーマになりうるかと思った。「総理大臣にはどういう教育が必要なのか」。この辺はざっとした感じなのでそんなに明瞭なイメージは結ばないとは思うけど、教育と政治家というのは今でもよく語られるテーマではあるし、「良い政治家・官僚(ないし政府を構成する人たち)を育てるにはどういう教育が必要か」というのは考えられても良いことだろうと思う。特にフランスなどでは政治的エリートは皆ENAを出ているとか、そういうことがあるが最近の日本は割合雑多ではある。

戦前の総理大臣たちについては以前簡単に調べたことがあるけど、もちろん初期の吉田松陰とか山縣有朋は大学は出ていない。強いて学歴を言えば松下村塾だろうか。ただ伊藤とかは割と松陰を軽んじてる発言とかあった気がする。ほとんどは氏族出身だから藩校等での教育が多かったのだろうと思う。それが最初に帝国大学を出た総理が出現するのは、加藤高明が明治14年帝大卒。彼が総理になったのは大正13年で、明治維新後すでに50年以上経っている。

新政府の学校を出ているという点では寺内正毅は陸軍戸山学校卒、原敬は司法商法学校中退、加藤友三郎は海軍兵学校・海軍大学一期卒業生ではあるので、その辺も大正時代は過渡期という感がある。昭和前半は基本的に帝大・陸大・海大卒の総理大臣の時代と言えるだろう。

総理大臣が旧制大学卒から新制大学卒に変わるのはどの辺か、というのを調べてみると、最初に新制大学を出ているのは海部俊樹。ただ彼は旧制の中央大学を卒業したあと新制の早稲田に編入している。その後の宮沢喜一は言わずと知れた旧制東京帝大法学部卒。次の細川・羽田の非自民連立政権は新制上智・成城大卒で、自社さ政権の村山富市は旧制明治大学卒で、橋本龍太郎は新制慶應法学部卒、以降は皆新制になっている。つまり、昭和の後半もまた「旧制大学卒の総理大臣の時代」であって、昭和の政治家は一貫して戦前の教育を受けた世代だということなわけだ。

平成になってからようやく戦後教育・新制大学を出た世代が総理大臣になるが、実は最後に東大法学部卒で総理大臣になっているのは宮沢喜一が最後で、つまり新制東大法学部を出て総理大臣になった例は皆無である。東大法学部は当然ながら官僚・法曹育成や政治家を輩出することが目的で作られた大学なわけで、新生になってから誰も総理大臣になってないのはある種問題であるように思う。新制東大を出て総理になったのは工学部卒の鳩山由紀夫だけである。

もちろん日本は議会制民主主義国家であるから国民に支持される政党の指導者が総理大臣になるわけでそこに異論はないが、天下国家を論ずる伝統を持ち多くの官僚を輩出する東大法学部が総理大臣を輩出しなくなったというのも一つの劣化現象を招いている可能性があり、また新制になってどのような変化が東大法学部に起こったかということも検討すべきことなのだろうと思う。

早稲田は在野精神・進取の精神を唱え、慶應は独立自尊を唱えているが、天下国家を領導するというような趣旨とは違う。こういう考え方は財務省にやや鬱屈した形で受け継がれているとは思うが、優れた政治家、優れた総理大臣を輩出するには教育に何が必要なのかは考えられていっても良いことだと思う。

松下幸之助の松下政経塾などはそれを学校教育ではなく社会人教育として行おうとしたのだと思うけれども、その成果もどういうものであったのか。この観点は考えてみると色々出てくるだろうと思う。

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