「市民結社と民主主義」自発的な市民の自由な結社の活動が民主主義を作る/「平治の乱の謎を解く」が面白い/Wikipediaでアフリカの国々を少しずつ知る:ギニアと中央アフリカ

Posted at 23/08/31

8月31日(木)曇り

今日で8月も終わり。暑い日が続く。昨日は昼前に車の12ヶ月点検に行き、時間があったので図書館へ行って「市民結社と民主主義」を借りてきた。昨日読んだ「論点・西洋史」の市民結社の項が面白かったので、もう少し調べてみようと思ったわけだ。

「アメリカのデモクラシー」で最初に「アソシエーション(社団・市民結社)」の重要性を主張したアレクシ・ド・トクヴィルについて、その父の時代から話を始めているのだが、トクヴィルの母は啓蒙思想を擁護した政治家で革命法廷で国王ルイ16世の弁護を務めたマルゼルブの孫であり、マルゼルブは恐怖政治下で処刑、両親も投獄され母は精神に変調をきたしたことなど、初めて知ったことは幾つかあった。続けて読んでみようと思う。

「平治の乱の謎を解く」は半分くらい読んだ。平治の乱の意義はわかりにくい上に結局平家が政権を握り後白河院政を牽制して強大な権力を握っていく過程くらいにしか思っていなかったからあまり注目していなかったが、桃崎有一郎さんの分析は面白い。またこの時代の院近臣や摂関家の人々なども大変生き生きと躍動して描かれているのでどんどん読み進めてしまう。歴史論文というよりミステリーのような話の進め方もあり、この時代に興味を持っている人には面白く読めるのではないかと思った。

他はネットでアフリカの国・ギニアを少し調べていて面白いと思うことがいくつかあった。ギニアは1958年、1960年のアフリカの年に先駆けてフランスから独立。自由を求めてフランス共同体にも残らなかった。フランスはそれに対し、植民地事務官を一斉に引き上げ、書類はおろか机ひとつ残さなかったという。当然独立後の行政は混乱を極め、ソ連の支援に頼るようになったという。すでに65年前に現在のアフリカとロシアの深い関係が始まっていたわけで、フランスもエグいことをするなと思ったがそういうところが次の世紀になっても祟っているのだなと思った。

またこの時の初代大統領・セク・トゥーレという人は、19世紀にフランスに植民地化される前にイスラム教徒の独立帝国を作ったサモリ・トゥーレの曾孫だということを知った。アフリカ各国のナショナリズムのようなものも、ちゃんと前近代からの歴史の上に立っているということがよくわかる。

今朝またツイッターを見ていたら中央アフリカの治安部隊が武装勢力に攻撃され、人道状況が悪化しているとのこと。不安定要因には、内戦の続くスーダンからの難民の流入もあると。国の位置関係がよくわからなかったので調べて見たら、中央アフリカはスーダンから時計回りに南スーダン、コンゴ民主共和国(ザイール)、コンゴ、カメルーン、チャドの6カ国に囲まれている。この中には政情不安の国も多く、内陸国としてこの中にあるのは大変なことだろうなと思う。スーダンは西部ダルフール地方の南部と国境を接しているので、ダルフールの人々の難民なのだろうと思う。

中央アフリカの首都バンギはコンゴ川の支流ウバンギ川の遡行限界、船で遡れる限界にある港町。対岸は旧ベルギー領コンゴ。中央アフリカの主な産品は北中部サバンナで栽培される綿花と南部熱帯雨林の木材、後はダイヤモンド、ウラン、金。政情不安のため紛争ダイヤモンドとして禁輸になってる地域が多いと。資源も生産力もあるが正常が安定しないと周囲全てを他の国に囲まれている国では大変だろうなと思う。

アフリカの国々に関しては元々ほとんど知らないので、それぞれの国の事情をWikipediaで読んで知っていくだけでもアフリカが少しずつわかってくる感がある。ウルグアイとかパラグアイなどの南米の国についてもそのように見ていくことで知っていくことができる部分もあるだろうなと思う。


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