チェスタトンの「大河の中にいる」確信の保守主義と現代日本人の「大河を探しにいく」旅の保守主義

Posted at 23/07/30

7月30日(日)曇り

昨夜は寝苦しかった。当地では夏でも寝苦しいということはそうはないのだが、昨夜は午後7時の時点で27度くらいあり、なるべく涼しくして寝たのだが、2時ごろ目が覚めて少し寒いのでパジャマのズボンを履き、3時半ごろ上も着て、でも結局4時ごろ起き出した。こういう気温だと夜更かしして12時過ぎのやや気温が下がった時間帯に寝付き、午前中の暑くなる前に起きる、というのが寝付きはいいかもしれないのだが、それだと涼しい一番いい時間を睡眠に使ってしまうことになるので、痛し痒しである。4時から9時くらいの涼しい時間帯をなるべく生産的に使いたいのだが、ついくだらないTwitterの男女論争などを読んで時間を無駄にする傾向があり、自粛せねばなと思う。

昨日は午前中に岡谷の図書館に出かけて、チェスタトン「正統とは何か」(春秋社、1973)を借りてきた。土曜日の午前中ということもあり、思ったより道が混んでいて時間的にギリギリになったが、読んでみると面白い。最初から読まなくてもよりどりで読んでも面白そうな感じがする。文体もいいな、と思って奥付を見たら訳者が福田恒存・安西徹雄だった。やはり流石だということか。

しかし今福田・安西のWikipediaを読んでいて知ったのだが、二人とも演劇関係者なのだよな。福田は文学座でハムレットなどを演出するが杉村春子と対立して退団、芥川比呂志らと現代演劇協会を作るがやがて芥川と対立、芥川や中村伸郎らが演劇集団円を作ると小池朝雄らと劇団昴を作ると。安西は演劇集団円の創立に参加しているとのこと。1973年は円の設立前なので、まだそういうややこしい関係にはなかったということだろうか。演劇人、というか新劇は色々面倒だなとは思う。

「正統とは何か」が書かれたのは1909年、チェスタトン35歳の年。育ったのはいわゆる「ベルエポック」と呼ばれる時代と考えていいだろうか。第一次世界大戦前の、自信に満ち溢れた大英帝国での一冊だということだろう。日本では明治42年。生まれたのは1874年だから夏目漱石と武者小路実篤の間くらい、与謝野鉄幹とほぼ同年である。日本が近代文学の確立に苦闘している時期に、チェスタトンは近代自体を問い直すようなことを考えていた、ということになる。

チェスタトンは自分の本を、「私の哲学」とは呼ばない。自分の思想について個人的な説明を試み、推論を重ねるというよりイメージを積み上げて自分が信じるに至った哲学を開陳したが、それは「私の」哲学ではなく、神と人類がそれを作り、「私はそれによって作られた」という。つまり、それは伝統的な思考であり、自分もその中にいるもの、つまり「保守主義の哲学」であるということだろう。「保守主義」はオリジナリティを重視しないから「私の哲学」ではないということを彼は主張しているわけだが、それをどう受け取りどうイメージするかは彼の「個人的な説明」である、というような感じかなと思う。

この辺について、自分は自分の考え方を「保守主義的思想」だと思うけれども、チェスタトンのいう感じのまるで「自分の思想を滔滔たる大河の中の一滴に過ぎない」みたいな感じで捉えられるかというと全然そんな感じはしないので、やはり時代と国の相違というものはあるのだろうなと思う。

むしろ現代の思想の流れというのはリベラルな方向性が中心であって、ただおそらくそれは大河の流れからは離れた人工的な用水路であり、それがさらに細分化して割と無理なところに流そうとしているのがフェミニズムやLGBT運動であって、そこら中で内水氾濫が起こっているようなイメージがある。だから恐らくはチェスタトンの言うような「自分が育てられた思想の中に自分はいる」というような堂々たる保守主義を主張することは難しいし、恐らくそう言うことを言い切れるのは現代ではイギリスの貴族ぐらいしかいないのではないかと思うのだが、まあつまりは私などは、そういうまさに「保守本流」みたいな大河の流れを探して彷徨しているようなものかなとは思う。それは日本政治のいわゆる「保守本流」とはかなり違うところを流れている感じはするが。

ただ大事だなと思ったのは、「推論を重ねる」ことではなく「イメージを積み重ねる」ことを重視しているところで、保守というものはもともと論理を積み重ねて作られた考え方ではなく、「今はこれでいい」ということの積み重ねで作られたものだから論理的矛盾があることはもともと多い。ただもちろん論理とイメージを往復して作られていくのが思想というものだから、論理も無視できるものでもない。ただチェスタトンのようなキリスト教というバックボーンがないわれわれは、神道とか仏教とか武士道とかそういう一つ一つの毛色の違うものをイメージしていく必要があり、よりイメージの部分が多くなり、それだけ見かけの強靭さが足りなくなる感じはある、ということなのだろうなと思う。

バークやトゥックヴィルも少しは読んだけれども、彼らは基本的に漸進主義というか論理を武器にしているところがより大きいように思うし、進歩というものに憧れているところがある感じがする。しかしチェスタトンはあまりそういう感じがない、そういう意味では日本で一番似ているのは小林秀雄だろうか。進歩にも反動にもいたずらに囚われず、自分の道を一歩一歩歩めばいい、という感じの信頼感があるように思った。

まだ本当に読み始めたばかりなので印象論しか語れないけれども、逆にいえば保守思想においては印象論がとても大事なのではないかという気がする。柄谷行人以降の日本の批評は印象論を撲滅しようとしているけれども、今大事なのいわば「新しい印象論」みたいなものであり、印象論が本来前提にしている知的バックボーンみたいなものを再強化していくことが今最も重要だという気がする。という意味では「新しい印象論」は「新しい教養主義」でもあるかもしれない。

古い教養主義の根幹の一つは、古典の重視という文系的な要素と、科学的思考の重視という理系的な要素が両方とも価値あるものとされていた点だろうと思う。われわれの時代にはあり現代の大学では息の根を止められつつある「一般教養」というジャンルも、「人文科学」「自然科学」という二つのジャンルが本来は柱だったはずで、それが第二次大戦後にマルクス主義の影響力の伸長によって「社会科学」というジャンルが加えられた。現在では社会科学に分類される法学や政治学は本来は「教養」というよりは「専門」であったはずで、文献的な積み重ねの上に立つ人文科学が最古の教養的学問であり、それに近代になって科学というジャンルが確立されてそれもまた教養と位置付けられるようになった、という経緯の上に現代の知的体系は成り立っている。

日本の明治維新以降の西洋文明の導入においても、基本的に人文的要素は無条件ではないにしろその理解は読解が中心であるから進めていくことは可能であったはずで、また自然科学においてもからくりなどの技術的な側面や本草学的な博物学的知識、また江戸時代から進んでいた地理や天文に対する理解など、自然科学もそのある意味での普遍性において理解や習得は早かった。

一番問題になるのは社会科学の分野であって、法体系や政治制度、経済的な仕組み、世界の歴史の捉え方など、つまりは「自然の仕組みではない人間が積み上げてきた仕組み」についての考え方が、違う文明を取り入れる際の最も大きな障壁になるわけで、急進的な当てはめ主義がうまくいかないことは昔の日本人はよく知っていたけれども、敗戦後の強制的なアメリカ諸制度諸思想の導入やその反発からのソ連的思想の導入などで混乱してきて、ジャパンアズナンバーワンの時代には「日本のやり方でよかった」という一つの安心が生まれたのだけど、その後のバブルとその崩壊によって再び自信を失い、アメリカ諸思想の手先のような活動家が暗躍する時代になっているということなのだろう。

だから一つにはこういう日本本来の思想、いわば大河のような日本の思想みたいなものを再発見することが大事だと思う一方で、「正しさの商人」で主張されているような悪宣伝、間違った主張、意図的な誤謬の鼓吹などに反駁していくこともまた重要なのだと思う。

まあそういう意味で思想の掘り起こしはあえて印象論的な方向性でやっていくのが良いかとは思うのだが、それが感動絶対主義に走ったりするといわゆる感動ポルノに陥る危険性があり、また幻想の日本イメージを作る「江戸しぐさ」的な世界にハマる陥穽に陥る可能性もあるので、その辺のところは慎重にやっていく必要があるなと思う。

チェスタトンのような流儀は恐らくそうしたやり方として優れていると思うし、小林秀雄はすぐ自分の興味関心に熱中してしまって何を言いたかったのか見失いがちという感じが面白くはあるのだが、まあそういうことをある種の反面教師のように捉えつつ快活な雰囲気でやれると良いなと思う。

というようなことを考えていた。


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