フランス革命記念日/ベラルーシのユダヤ人/映画「ディア・ハンター」と「ゴッド・セイブ・アメリカ」

Posted at 23/07/14

7月14日(金)曇り

今日はフランス革命記念日。フランスの暴動はもう収まったのだろうか。革命記念日はバスティーユ牢獄襲撃の日なので、まさに暴動と革命は紙一重。現在ではイスラム系の若者がどんなに不満を言ってもそれでフランスの国の屋台骨が揺るぐことはないだろうけど、だからこそ暴動が広がったということもあるだろうな。フランスは何かを変えないといけないはずなのだが、その動きがあまりにも鈍い。本当の問題点が構造的に見逃されるようになっている。周りから見たらかなりわかりやすい話なのだが。

「ベラルーシを知るための50章」、13章まで読んだ。5章までがベラルーシの歴史、それ以降が6章がソ連を崩壊に導いたベロヴェージ合意、7章がベラルーシ=白ロシアの「白」の起源、8章がベラルーシのユダヤ人とタタール人、と言った感じでベラルーシにまつわるさまざまなへえっと思うような話が続いている。

特にユダヤ人の話はそうなのかと思うことが多いのだが、ミンスクなども人口の過半数がユダヤ人だったのが、ナチスによる占領後にホロコーストによって虐殺され、今ではごく少数になっているということ。ベラルーシを支配していたリトアニアでは国の発展のために多くの外国人が移住してくることを歓迎し、ユダヤ人もタタール人も多く住んでいたと。特にタタール人はポーランド貴族=シュラフタと同じような特権が与えられたというのはへえっと思った。

またベラルーシからは多くのユダヤ人がアメリカに移住していて、特に有名なのが「ホワイト・クリスマス」や「ゴッド・セイブ・アメリカ」を作詞作曲したアーヴィング・バーリンなのだという。その他にも「ロシア移民」や「ポーランド移民」とされている人々の中にもベラルーシ出身者は多いようだが、ベラルーシ地域がロシアの支配下だった第一次世界大戦前は「ロシア移民」として扱われ、ポーランド領になった戦間期には「ポーランド移民」と扱われているので2世3世になると実際にはどこの出身なのかわからないことも多いようだ。そういう中には作曲家・指揮者のバーンスタインなどもいるというが、ベラルーシでは出身者が世界的に有名になったことを誇る文化がないらしく、無関心なことが多いというのはやはり独立国になってからもウクライナと違いナショナリズム的なものが高まる契機がなかったからだろうなという感じはする。

「ゴッド・セイブ・アメリカ」を最初に聴いたのは映画「ディア・ハンター」の中だったが、この中でもロシア系移民のコミュニティからベトナム戦争に出征する話が書かれていて、出征の時と主人公の友人がベトナムで「ロシアンルーレット」で死んで帰った時に追悼の意味で「ゴッド・セイブ・アメリカ」が歌われている。私はこのコミュニティはユダヤ人だと思っていたのだがネットで調べてみるとそうは書いてないので私の勘違いかもしれない。いずれにしても、この映画はそんなメタな部分を知らなくても十分面白い、というかインパクトのある作品なのだが、実はかなりメタなところもあるのではないかという気がしてきている。

どうも色々と体調が悪いが、先週整体で見てもらった時に腰痛は冷えが原因だと言われて足湯など気をつけるようにしていたが今週はちょっと頭痛がして、それでも厚めの靴下を履いたら少しマシになったので、やはり冷えが原因なのかなと思っている。気をつけたい。

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by Luke Peterson

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