南アフリカ共和国とか一夫多妻制とか

Posted at 23/05/12

5月12日(金)晴れ

今日もよく晴れている。今日は時間がないので手短に。

昨日は「世界のともだち 南アフリカ」を読んだ。読みながらいろいろ調べたことをメモ程度に。

最近、南アフリカ出身の有名人といえばイーロン・マスクが思い浮かぶ。彼は南アフリカでアパルトヘイトを嫌って出国した、と何かで読んだのだが、ひどいいじめにあっていた、という記事を目にした。

彼の両親はアメリカから来たようだ。彼の父親の系統はペンシルベニア・ダッチと呼ばれている人々だったらしい。ダッチといえば通常はオランダ人という意味だが、このDutchという言葉はもともとDeutschからきていてドイツ人のことを指していて、ペンシルベニア・ダッチというのはその用法らしい。だからマスク氏はオランダ系ではなく、南アフリカに根を張っていたアフリカーナーではないということになる。

イギリスの植民地支配下では先に入植したオランダ系の人々(ボーア人とかアフリカーナーと呼ばれる)の上に植民地機構を作り、アフリカ人(黒人)を支配するという三重構造になっていたわけだが、イギリスが手を引くと反動でアフリカーナーが黒人を強く支配するアパルトヘイト体制が成立したので、アフリカーナーやその言語、アフリカーンス語はアパルトヘイトと結びつけられて糾弾されることが多いようだ。

そうしたこととマスクしに対するいじめが関係あるのかどうかはわからないが、そういう背景のある土地を出て彼はアメリカに渡ったということは事実だ。

先に書いたように、脱アパルトヘイトの方向性によってアフリカーンス語は南アフリカでもナミビアでも排斥される傾向が強くなっているのだが、事実としてはアフリカーンス語はオランダ系だけでなくアジア系や黒人でも母語とする人は少なくないので話者に不利な状況になっているという問題点があるようだ。

アパルトヘイト時代にアフリカーンス語教育が強要されたためにアフリカーンス語はアパルトヘイトの象徴みたいになっているということだろう。

ナミビアはドイツの植民地支配のあと、南アフリカの信託統治下にあったので、アフリカーンス語やドイツ語を話せる人は多いが英語を話せる人は少ない、というのは先日調べて知ったのだが、現実的には上記のような理由で英語が公用語になり、ただ事実上の公用語はアフリカーンス語で、商業用語としては今でもドイツ語も使われる、という状況だという。

「世界のともだち 南アフリカ」では取り上げられている少年はソウェトの12歳の少年。民族的にはズールー族。ズールー族は一夫多妻制でそれは南アフリカの法律でも認められていて、前大統領もズールー族で何人か奥さんがいる。ズールー族の王の戴冠式もつい昨年行われたようだ。

現大統領はソウェトの出身で、今の政権はマンデラ政権から続く反アパルトヘイトの流れの中にあるらしい。ソウェトはヨハネスブルクの郊外の黒人が押し込められた地域だが、ここで起こったソウェト蜂起が反アパルトヘイト運動の起源になっている。

ソウェトはヨハネスブルクの南西部にあり、(もともとSouthwestから来ているらしい)アパルトヘイトで形成された黒人地区で、人口は100万人住んでいるという。現在でも貧しく治安が悪い地区だと。

主人公のジュニアという愛称で呼ばれる少年は小学校に通っているが、小学校では給食はあるが容器は持参することになっていると。給食以外に10時過ぎにおやつの時間があり雑穀のスープなどが出るというが、これは朝食を食べてこないこのための対策なんだろうか。割と合理的な気はする。民族ごとに学校があり、ズールー族の学校というのもあるのだと。

ジュニアにはお父さんがいなくて、母と祖母と叔母という3人の大人の女性が家族を支えていて、子供たちがいるという構成だという。そういう家庭は珍しくない、というか結婚しないで子供を育てる人が半数以上いるのだという。

ズールー族は一夫多妻制だが女性の方に選ぶ権利があり、結婚するには女性の親に牛を11頭プレゼントしないといけないとか。結婚しないで子どもを産む人が半数以上いるというのはそういう事情もあるのかもしれないと思った。

この辺りのことはこの本の内容とネットで調べた程度なのでこれ以上はわからないが、一夫多妻制だとそれぞれの妻と子供たちの集団が実際には家族の単位になって、他の妻の家族と対抗していく例が多いように思う。サウディアラビアでも初代国王イブン=サウドの何人かの妻たちの子供たちが順番に王位についていくことで受け継がれていたが、スディリという妻の子供たちが7人いて、この家計が今では権力を握っていて「スディリ・セブン」の名前がある。

日本でも正妻は主人と同居しているが側室は別に住んでいて妻たちの間の権力闘争みたいになる例が多いけれども、これはある意味女性が主体的に政治に関わっているという見方もできるわけで、サウジや南アフリカの例なども参照してみると一夫多妻制の方が女性が能動的な政治主体になりやすいのではないかと思った。

現代日本でも一部の男性のみが女性を独占、同時にというケースもあるが時間差で何人もの女性と関係し子供を作る例が多いという話が言われているが、そのほうが女性が社会的に活躍するということもあるのかもしれない。一夫一婦制は女性の保護のため、と言われているけれども逆に女性の権利を抑制するという意味も実はあるのかもしれない。この辺は少し議論を展開するには生硬であるけれども、男女の仲というのはなかなか表面的にはわからないこともあるし、そんなことも思った。

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