日本文化全体におけるマンガ批評の意味と価値/冷戦後のアフリカの独裁崩壊とアジアの民主化/アメリカの世界戦略の変化と新たなる左右からの権威主義化
Posted at 23/05/03 PermaLink» Tweet
5月3日(水)晴れ
今日は憲法記念日。今朝も寒くて目が覚めた。まあ3時前だったので入浴してもう一度寝て、再度起きたのは5時前だっただろうか。起きてからも寒いので足湯をしたらだいぶマシになった。どうも冷えていけない。今朝の最低気温は3度だった。
昨日は朝のうちに本を買いに行って、部屋の整理や本棚の整理など。新しい漫画を15冊買ったので入れるところを作らないといけない。それでも地元の書店にはなかった作品もあり、連休中に東京に行くのでその際に見てきたいと思う。
仕事が終わった後で「ぼっち・ざ・ろっく」の5巻を買いに行き、朝起きてから先ほど読了、この間はレコーディングの話が中心で、この辺りのことはあまり知らないことだったのでそういうものなんだなあと感心した。
***
私が大人も読めるマンガを初めて読んだのは小学校に入るか入らないかの頃、つまり68年とか69年とかだと思うのだが、当時のマガジンとかはすでにすごく尖った表現というか小学館の学習雑誌マンガとかとは全然違う世界が展開していて、これが大人の世界かと感じるところはあった。
特におたくというわけではないがなんとなく流行った漫画は読むし当時の思潮の影響もあって少女マンガもそれなりに読んでいた。可愛い絵を描く江口寿史さんとかの作品が好きだったからおたくとサブカルの境目みたいな好みではあったかもしれないが、基本的にはミーハーだろう。
大学に入った頃からマンガとは遠かったけど東京三世社とか80年代ニューウェーブ的な作品は追いかけてた。山田章博さんとか好きだったな。いや、諸星大二郎さんとかは当然の前提としてなんだが。当時はそっちにシフトしてたからうるせえやつらとか少年マンガ系の作品は読んでない。だいたい私はいつもそういう偏りはある。ヤマトは元祖は見たがSFはナウシカとかも含めてアニメは見ていない。
私は基本的に紙に書いたもの系がやはり好きなのだなと思う。映画はそれなりには見ていたが、洋画が中心だった。半分は教養みたいなものだった。確かに当時呉智英さんが熱を入れてマンガや中島みゆきさんを論じているのを読んで、こういうのを論の対象にできるのだなと思ったことがある。ただ自分がそういうことをやるかどうか、少なくともそれを一生の仕事にできるかどうかというとどうかなとは思った。
でもそれは、多分ボリューム的に今と比べれば作品数は少なかったということはあったかなと思う。今の作品数ならうまく読者を掴めば漫画評論を建設的に描いて読まれていくということは多分可能だろうと思う。これだけの作品数を全てこなしていくことはもともと無理でも、大勢を把握しながら読んで流れやこの先の見通しみたいなものを考えていくことはこの文化のために意義のあることだろうと思う。
90年台から0年代はニューウェーブ系は追いかけていたけどだんだんネタが枯渇してきて、2008年ごろに心機一転してアニメやマンガにも触れるようになったら進撃の巨人をきっかけにしてめちゃくちゃ読むようになった。あれはある種の壁が破壊された。
なので90年台から0年代は巨大な空白になっていて、スラムダンクをはじめ読んでない作品はかなりある。ジョジョとかもだが。ワンピとかナルト、ジブリアニメやエヴァも2008年以降に履修した感じ。
考えてみると私は割と壁を作るタイプなのだよなと思う。見ないと決めたら見ない、見たいな。最近はそれを反省してなるべく世で語られたものは見たり読んだりするようにしているのだが、それでも「ぼっちざろっく」を今頃履修しているので全てについていけてるわけではない。ジャンプラとか有力なメディアは押さえていてもきららとかからでてくるとやはり読む暇ないと思ったりしているうちにあれよあれよになる。
こういう表現が日本ほど流行している国は他にないと思うし、トレンドを追いかけていくこと自体にある角度からの日本文化論的な意味はあると思うのだが、まずは素直に楽しまないと変に歪な自己主張だけがあって作品への愛のない批評になるのでそれは良くないなと思う。
昨日FMを聴いてたら「チ。」の魚豊さんがでていて、なんかめちゃくちゃ明るい声で話していてこれはかなり意外だった。もっと変わった感じの人かと思っていたら割と戦略的というか、理系の芸術家みたいな感じで。でもだからああいう作品が描けたのだろうなとも納得できる部分もあって、新しい世代のクリエイターというのはなんか私などとは共有しているものが違うというか立っている基盤が違うという感じがする。
これは私も上の世代のものの見方に感じたかなと思うけど、前の世代の自己形成期の社会みたいみたいなものがその世代の人のデフォルトになり、それ以降のことは移り変わる一時の流行みたいに見えて生々流転していくものの一つに見えるけれども、その時代に自己形成した人たちにはそれがデフォルトになるわけで、同じ現象に対しても全く違う解釈を元に想像もつかない世界観が形成されたりしている。それは同じ世代の人ならピンときやすいが世代が違うと共有点が少なくなり理解しにくくなる。時代に置いてかれてるという感覚はそういう時に生じるわけだけど、常に自己を更新してればいいというのもどうなのかなとも思う。ただ、より俯瞰的にはみるわけで、でもその見方で新しい時代が見えるとは限らないところがまあ色々と、みたいな感じではある。
***
「岩波講座世界歴史18アフリカ諸地域」の武内進一「中部アフリカ ポストコロニアル国家の形成史」読了。面白かった。中部アフリカの「独立後=ポストコロニアル」の展開をコンゴとルワンダを中心に国家の形成を中心に描いている。巨大なコンゴ(面積234万平方キロ、人口1億840万人)と小さなルワンダ(面積2万6千平方キロ、人口1300万人)の対比だが、むしろルワンダの方が主導的な感じがしてこの辺は割とへえっと思ったことが多かった。面積は100倍、人口は10倍という感じか。
子どものころ読んだ伝記シリーズにリヴィングストンとスタンリーがセットで出てくるものがあったが、この話のクライマックスはスタンリーがリヴィングストンを発見し、「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか?」と尋ねる場面だった。
この再会劇はタンガニーカ湖畔、現在のタンザニアのウジジなのだが、その後のスタンリーはベルギー王レオポルド2世のスポンサーシップでコンゴ川を探検し、多くの首長と交渉してコンゴをベルギー王のものにしていったが、武装集団を引き連れたスタンリーは「ブーラ・マタリ=岩をも叩き割る男」と呼ばれたという。その後植民地当局自体が「ブーラ・マタリ」と呼ばれるようになったというのは興味深い。スタンリーは悪名高いコンゴ自由国を切り開いた人物だったということになる。リヴィングストンは死後ウェストミンスターに葬られたが、スタンリーはこの件で埋葬を拒否されたという。
戦間期コンゴでは労働力確保のために「アフリカの文明化」を名目として初等教育の普及が図られた、というのは近代教育の一つの本質を示している。労働者と兵士の育成。
移動の多い従来のアフリカの生活を「近代化」するために植民地下で統治組織を作ったり都市への移住や他地域からの労働者の導入などによって多数の民族(エスニック)集団が生まれ、抗争するようになった、というのは割となるほどと思う。集団的な移動の多い地域はグループごとの軋轢はなくはないだろうけど、様々な不本意な移動を強いられる中でた集団と権利と権力をめぐる争いが起こることは想像しやすい。
ルワンダと言えばフツ族が虐殺されたルワンダ虐殺が有名だが、この時に実はピグミーのトワ族も30%が虐殺されているという。実際にはツチ族もフツ族も同じ起源を持ち、牛を持つ豊かな人々がツチ、牛を持たない農耕民がフツと呼ばれていたのが、ツチは起源の違う北方からの民族と植民地時代にされたために違う民族扱いされるようになった、というのはちょっと驚いた。(これは違う見解もあるようだ)トワは狩猟採集民だが土地もなく教育を受ける機会もなくて現在でもかなり困難な状況に置かれているようだ。(Wikipediaによる)
ツチとフツの対立は90年代に虐殺が起こった時には民族対立だと報道されていたし私もそういう認識だったが、現在では否定されているようだ。これはボスニアヘルツェゴビナで同じ言語をしゃべる人たちがセルビア人・クロアチア人・モスレム人と違う民族のように扱われたのとある意味似ていると思った。ボスニアの例は言語は同じだが宗教と使う文字が違うわけだが、ツチとフツは階層格差の面が強いようで、虐殺後もルワンダに人たちは多いという。また経済成長を実現したルワンダはむしろコンゴやブルンジからの難民を受け入れているのだという。
コンゴもしかし、初代首相ルムンバの独立直後の悲惨な最期などを見ると利権を手放したくないベルギーとそれに結び付いたカタンガ勢力とモブツなどの軍人、そしてルムンバを東側寄りとみなしたアメリカの動きなどから、国連の援助を要請したルムンバが虐殺されることになった展開とかは時代の暗部ともいうべき事態だったのだなと思う。いまはEU本部の所在地として良識的な感じに見えるベルギーだが、植民地時代からポストコロニアル初期はいろいろと酷い。ルムンバとソ連の関係とかは書かれてないので立体的な理解が難しいのだが。
コンゴのルムンバの末路についてついチリのアジェンダを思い出したのでちょっと調べてみたら全然知らなかったことがいろいろ出てきてへえっという感じだった。アジェンデは社会主義政治家だがバスク系なのだな。アジェンデを倒したピノチェトもバスク系なのか。
ていうかもともとチリにはコンキスタドーレス(征服者)の主力としてバスクとナバーラ出身者が多く、スペイン内戦の難民としても多くのバスク人がチリにわたり、現在でも人口の10%から27%を占めて総督を出したり「バスク貴族」と呼ばれたりしている、というのは全然知らなかったな。
全くスパイxファミリーの時代という感じ。東西ドイツだけでなく世界中でこういうことあったのだよな。スパイファミリーというよりゴルゴ13というべきか。
モブツ政権というのはなんだか無茶苦茶なんだが、この時の退廃がいまでもコンゴの困難を招いているんだろうなと思う。
中部アフリカでは冷戦下では一党独裁的な政権が多かったが、冷戦終結とともに彼らを援助していたアメリカが態度を変え、民主化を要求するようになったためこれらの国では多党化が図られたが、そのことが政治的不安定を招くことになったと。そういうことやってるからアメリカも嫌われるんだよなと思う。
経済的にかなり大国になった韓国でも軍事政権が数十年続いて1992年に金泳三政権が成立して民主主義が確立したわけだが、考えてみたらこれも冷戦終結の副産物と言えるかもしれないのだな。台湾で戒厳令が解除されたのも1991年だし。こういう東亜の民主化も冷戦との関連を考えるべきだなあ。
日本で1993年に宮沢政権が倒れて非自民非共産七党連立の細川政権が成立したのも冷戦期では難しかったかもしれないな。
1998ー2003年の第二次コンゴ戦争ではカビラ政権側にジンバブエ・アンゴラ・ナミビアが付き、反政府勢力側にルワンダ・ブルンジ・ウガンダがついて「アフリカ大戦」と呼ばれたという。カビラ政権自体がルワンダとウガンダの力を借りてモブツを打倒したわけだが、その影響を排除しようとしたためにそのような事態になったと。コンゴがなんだか大変だということは知ってはいたが、細かいところはよく知らなかった。コンゴでは今でも100以上の武装勢力があり治安が悪いというが、春秋戦国時代のようだ。
ルワンダでは権威主義的体制の下で高い経済成長が実現し、急速な社会改革も進められて女性の登用が進められ、国会議員数の女性の占める割合は世界最高水準だという。こういう国が男女平等指数が高いのだろうな。イラクのフセイン政権下でも女性の社会進出は進んでいたはずだし、つまり「男女平等」は民主化の進行によって進むのではなく、権威主義体制下のほうが進めやすいという現実があるのだろう。この辺はおそらく「不都合な真実」だろうと思うのだが。フェミニストが強権を求めるのもなるほどである。
***
この論文を読み終えて改めて思ったのは、冷戦時代はアメリカや西ヨーロッパにとっての世界政治の戦略目標が冷戦の勝利、資本主義の権益の擁護というのが最大のものだったのだが、冷戦の勝利によって新たな戦略目標が「世界の民主化」に変わったということなのだ、ということだった。
もちろん冷戦時代にも表向きに掲げているのは民主化・自由化だったことは間違い無いのだけど、しかし具体的にソ連という敵があったためにその敵に勝利するためには独裁主義的、特に開発独裁が進行している国に対しては民主化よりもアメリカ陣営に留まらせることを重視してかなりの人権侵害等にも目を瞑る側面があったということだ。
しかし最大の敵がなくなると、今度は今まで支持・支援してきたアジアやアフリカの独裁国家にも民主化を要求するようになった。湾岸戦争など中東の独裁国家が最初に標的にされているが、韓国や台湾の民主化、日本の自民党の下野などもおそらくはその文脈の中で考えると一連の流れの中にあると言えるのかもしれないと思った。
少数民族の権利の擁護など、どちらかというと社会主義陣営が主張してきたことをアメリカの左翼リベラルが引き取り、それらを理由に独裁国家を攻撃するという形が冷戦期からの「人権外交」の流れと合流して民主党などの基本世界政策になった感じはある。
しかし冷戦終結後10年経ってイスラム原理主義がアメリカの世界戦略を否定する形で出てくると、テロとの戦争という形でさらに「イスラム原理主義の非民主性」を強く批判する形でそれが進行していった。その中で中国やロシアなど社会主義的な体質を持った国々が経済的に復興・発展し、一帯一路などの世界戦略を持ってでてくると、今度はその権威主義的な性質を批判して封じ込めるようになってきた。
ロシアや中国はアメリカの批判にさらされているアフリカなどの権威主義的な国と結びつくことで対抗しようとしているわけで、この辺りでアフリカのアメリカ・ヨーロッパ離れが起きているのは流れとしてはわかりやすいと思った。
アメリカは日本などの同盟国に対しても市場開放を求めているわけだけど、権威主義的な国家を民主化させるのは大きな意味ではそれらの国々の門戸開放を図っているということなのだと思う。権威主義国家がその経済発展の利益を自国で独占するのはアメリカ資本主義の門戸開放主義には敵対しているということなのだろう。
アメリカとしてはそれらの国家が弱体化して紛争が頻発するようになるのは必ずしも求めているわけではない(武器輸出という点では利益はあるかもしれないが)と思うが、民主化と市場開放によってある程度それらの国々が弱体化してくれた方がありがたいという側面もあるのでは無いかと思う。要は「百姓は生かさず殺さず」ということなのでは無いかという気がしている。
ウクライナ戦争も、ウクライナを自陣営に組み込むという政治的な目標はもちろんあるけれども、ウクライナの豊かな生産力をアメリカが有利なように利用したいという思惑も当然あるだろうと思う。
アフリカの歴史を読んでいると、今まで断片的だった色々な国の事象が、そのようなグローバルな流れの中に位置づけられるということが見えてきて、面白いなと思う。
しかし逆に言えば、アメリカ国内のトランプ現象というのも、そのような世界戦略に全く逆行しているのが面白い。トランプはむしろアメリカが国を閉じて自らが権威主義国家になってある意味あとはほっとけと言ってるように思える。そういう態度でいてくれた方が中国やアメリカにとってはありがたいわけで、日本はこれらの国を牽制するためにはアメリカが無関心でいてくれたら困るから安倍さんが「自由で開かれたインド太平洋」というテーゼを作ってトランプ政権との同盟関係強化を図ったわけだ。
ロシアや中国がもっと弱体になったら日本にとってはむしろアメリカが国を閉じてくれた方がありがたいとも言えるわけで、その辺の見方も油断せずに持っていたいと思う。
結局、日本の英米主義者というのはアメリカの門戸開放的な世界戦略に乗っかってそれを支持していれば日本は生き残れるということなのだと思うのだけど、それによって経済的にはかなりの代償があったことは忘れない方がいいと思う。
今アメリカが強いのは、門戸開放・自由化・民主化という方向性が強くあるからで、基本的にはそれが世界的に支持されているということなのだと思う。ただ先に述べたようにフェミニズムなど女性の権利や少数者の権利の拡大を図るには権威主義的な体制の方がやりやすいということもあり、そういうトランプとは逆方向の左派的な権威主義化がかなりの国で進んでいるということは見ておいた方がいいと思う。
今日は時間がないのでこれくらいにしておくが、割と大きな問題だなと書きながら思った。
今日はツイートからの転載が中心なので、うまく文章が整理されていないのだけど、割と重要なことが多いと思うのでまた時間がある時に修正したいと思う。
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