「ヤバいBL日本史」を読んだ/時代の精神に乗ること、それを引きずること、それを警戒すること/「トレンド」と「人間性の本質」

Posted at 23/05/17

5月17日(水)晴れ

昨日は寝不足で困ったが、少し草刈りをしたり仕事もした。しかし夜になると相当睡魔に襲われて、なかなかうまく思った通りにいろいろやれないのは困る。とりあえず体を使うような仕事はできないことはないのだけど、頭を使って考えるようなことは睡眠不足ではできない。体を使うようなことも寝不足の時には惰性というか動きが雑になっていることが多くて、なんだか変なことをしかねないのでそうなるとできることも限られてくるが、それならねればいいと思うけれども、それができれば世話はない、みたいな感じである。睡眠が一番自己コントロールが難しいなと最近思う。

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大塚ひかり「ヤバいBL日本史」。途中まではエピソードが面白くてすいすい読めていたが、だんだん男色の描写が詳しくなってくると、どうにもそういう傾向のない自分にとっては気持ち悪くなってくるのでかなり読みづらくなってきた。男色だと肛門性交の話は避けられないのはわかるが、その辺はちょっと勘弁してほしいというかまあ、実際のBLというのもそういう描写が多いのかもしれないが、まあこちらは対象読者ではなかったのかなという部分はある。

途中から「女性を排除した世界」とか「女性を馬鹿にしている」みたいな文言が出てきてちょっと説教くさいなという感じもしてきて、「はじめに」で言っている「BLの妄想力」みたいなことと違ってきて妙に現実的な感じになっているように感じたのは、ちょっと残念だった。

アメリカにおいて「バディもの」というのはホモセクシュアルな関係を宗教的理由で描けない社会において唯一男同士の友情を描けるジャンルだった、という指摘はなるほどと思った。

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面白い話はいろいろあって、「国づくり」といえば伊邪那岐命・伊邪那美命の夫婦がみとのまぐわひをして国を産んだ、というのが定番だと思っていたが、これは「伝承的な来歴を全く持たない」という主張があるというのはびっくりした。元々の「国づくり」は大己貴神と少彦名神が「バディ」になって新たな国を作っていくという出雲神話系の話だったという。そこにBL的要素があるというわけだけど、大己貴神=大国主神といえばそこらじゅうに愛人を作って神々を産ませていった国津神の大元締めみたいな感じであり、事代主神や諏訪明神となった建御名方神も大国主の息子で、諏訪には母神である越の国の神・沼河比売に関する伝説も残っている。だから艶福家という印象だったが、「女に強いものは男にも強い」みたいなところもあるのかと思った。

また奈良時代から平安時代にかけて、恋愛の贈答歌のやりとりがよく行われたわけだけれども、その中には本当に思っているわけではないけど疑似恋愛みたいな形でやりとりされたものも多い、みたいな話があって、万葉集の詞書にわざわざ「これは戯れの歌だ」と注意書きが書かれているのもある、というのはへえっと思った。

BLを楽しむ「腐の精神」とは「いろんな人間関係をひとまず「恋愛」と解釈してみる」ということだ、という指摘もあり、これはなるほどと思った。「恋愛脳」とか妄想の暴走みたいによく言われているけれども、人間関係をそういう妄想を基本に、それを楽しむ形で結んでいったのがこの時代のこの和歌のやりとりにも現れているという解釈はわかりやすいとは思った。

また戦国時代の宣教師たちの記録で、「日本人が自分たちを馬鹿にする、救われるためには創造主を拝まなければいけないとか、一人の男は一人の妻しか持ってはいけないとか、男色を禁じているとかいって嘲笑う」というのがあるというのもへえっと思った。こういう考えは馬鹿にされる対象だったということで、まあ宣教師たちから見たらソドムとゴモラの街に来たようなものだったんだろうなとは思った。

松尾芭蕉や平賀源内が男色家だったという話はどこかで読んだことはあったが、具体的な指摘があってなるほどそうねえとも思った。芭蕉が杜国を失って嘆き悲しむところ、源内が「江戸男色細見」という陰間茶屋?のガイドブックを書いているというのもへえっと思った。源内はひねくれてるし洒落でなんでもやる人だからそういう方向のことかと思っていたけれども、洒落というよりはガチでそういうのはやってたのかもしれないなとも思ったり。「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんのキャラ設定みたいな話も読んだら相当ひどい話で、こういうのがギャグというかお笑いとして通っていたというのはつまりは江戸後期の文化的退廃みたいなものはあるんだろうなと思った。「白浪五人男」みたいに盗賊を英雄みたいに描くのも、同時代的には多分粋な感じだったのだろう思ったり。

しかしまあ、江戸後期から末期の文化的「退廃」というのは、それを「退廃」と名付ければの話だが、相当なものだったのだろうなとは思う。まあ道徳的に現代のように事細かに規制されている時代とは違うから当然と言えば当然なのだが。というか世話物の歌舞伎とか見てると粋だとか様子がいいとかきっぷがいいとか価値観ははっきりしているわけで、それについていけない人たちはまあ今風に言えば生きづらかったりはしただろうなとは思う。

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時代の空気というのは常にあって、私の学生時代から20代は80年代の享楽的な文化というか、「夏はテニス冬はスキー」みたいな今風に言えばパリピ?みたいな人たちが目立っていたけど、80年代ニューウェーブみたいな内面を描いたり独特の表現を持ったマンガとかサブカル的なものも起こっていたし、ハードロックだけでなくヘビメタみたいなのも出てきたり、私もそうだったが小劇場的な演劇熱も相当強い時期だった。

あの時代は懐かしいけれども、今考えてみれば必ずしもそういう雰囲気がいつも楽しかったわけではなく、最初はついていくのに一生懸命で、演劇をやるようになってから「時代を生きている」という意識が出てきた感じがする。逆に言えば「演劇が時代精神ではない」と感じられるようになってきた90年代の初めに芝居から遠かったのも同じような理由だったのだろう。

その後はまあ、全然時代に乗れている感じはしない、0年代の初めはネットで出てくる新しいものが素人でも楽しめるものが多かったからそれを楽しんではいたが、だんだんそれも高度化し商業化し新たに出てくる若い人たちの新しいノリみたいなものには違うものを感じるようになったという感じだろうか。

時代に乗れないのはまあ仕方がないのだけど、とりあえず今はどういう時代かということは意識はするようにしている。全部理解しているわけではないけれども。不易流行というけれども、80年代に一度一部ながら流行に乗ってみて、そういうものがどういうものか、どのくらいの力を持つかは少しは感じた。これはおそらく、6−70年代に学生運動に参加していた人たちも、自分たちが時代をリードしている、最先端を言っているという感じがあり、その熱が急速に冷めていく中で自分たちの居場所を見失っていったのだろうなと思う。

その残滓が今の運動体に受け継がれているのは迷惑といえば迷惑なのだが、団塊の世代と言われる彼らはそれだけの「残滓力」があるのだなあと思う。また我々の時代の生き残りの人々も「芸術の特権性」みたいなものを振り回して嫌われている人もいるが、大学とか行政に食い込んで生き残っている人も多い。

自分はそういうものからは一歩引いているのは、すでに90年代初めにそういう時代風潮のある種の危険性というか、具体的にいえばオウム真理教だけれども、ノリだけでそういうものに近づくことに対する本能的な忌避感というものが生まれたから、時代の前衛というよりはむしろ守るべきものを守っていきたいという保守のスタンスになっていて、かと言って完全に時代に背を向けるのは正しくも面白くもないという感じなので、「流行」のうちで自分が楽しめるものとか自分が役立てられるものは積極的に触れて取り入れていこうとは思っている。

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ただ時代の勢いというのは、LGBT法案のような「それは違うだろう」と思うようなものを保守を標榜する自民党政権が通そうとするような行き過ぎたところもあるわけで、まあそういうところにははっきりと反対のスタンスを表明するのも大事かなとは思う。

「時代」と「本質」、不易と流行というのは、自分にとってやはり大事なテーマなんだなと改めて思った。学問の本質というのも変わらない部分と変わっていく部分というものがあるし、今のなんとかスタディーズみたいな「流行」はあまり好感を持って見ていないのだが、それに「刺激」されて新しい研究が出てきたりすることはないことはないし、面白いと思える研究があるのも確かだ。それに「影響」されたり「ふりまわ」されたり「呪縛」されたりする研究の方が多くてそういうものはなるべく避けるようにしているけれども。

まあ「トレンド=新しいものの面白さ」と、「変わらぬ人間性の本質的な成り立ち」みたいなものを両方とも探っていけると、人生としては面白いなと思っている。

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