自己決定理論とかトランジション理論とか/モーニングページを書いた/アフリカに対する偏見と環境決定論/叙述(2次)史料と文書(1次)史料

Posted at 23/05/09

5月9日(火)晴れ

昨日は午前中雨が残っていたので、朝から晴れるのは久しぶりだ。昨日は午前中になんとかブログを書いて買い物をしたりクリーニングを出しに行ったり通帳を記帳したり引き落としができなかった口座の資金を補給したりしていたのだが、大体天気が安定してきたので車のタイヤをノーマルに交換しに行った。その時にはお昼を過ぎていたのだが、食事をしてしまうと出かける気がなくなる気がしたので頑張って先にタイヤを交換に行った。帰ってきてスタッドレスの方のタイヤを点検すると水溜まりを通って濡れてしまったところとか小石が挟まっていたりしたのでちょっとそれを乾かしたり石を取ったりして、納戸にしまった。

昨日は午前中に仕事の方針を考えて午後は日常に戻る準備をするはずだったのだがそれが押しに押して、結局両方ともできなかった感じなのだが、仕事のことを考える中でモチベーション・自己決定に関するデシの理論を知ったり転機に関するブリッジズのトランジション理論を知ったりして、デシ「人を伸ばす力」とブリッジズ「トランジション」をマケプレで注文したりした。この辺どの程度面白いのか役に立つのかはもう一つわからないが、参考になるといいなと思う。

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今朝は最低気温が3.8度で、だいぶ冷え込んだ感じ。でも暖房を入れるとすぐに暑くなるところもあり、調整が難しい。昨日はなんだかんだで疲れて9時ごろに眠ってしまい、今朝は起きたら2時半だったので流石にもう一度寝ることを試みたのだが、結局3時ごろには起きてしまった。早起きの習慣というのは昔村上春樹さんが執筆に関して早朝に起きて始めるみたいなことを書いて真似してみようと思って始めたのが最初なのだが、ものを書く以外のことに気を取られて結局書くのが遅くなってしまうなとずっと思っていた。

入浴してから4時前にセブンイレブンに行ってカフェラテを買い、しばらく車を走らせているうちに、このところずっと中断していたモーニングページを書けば何か変わるかもと思って、作業場に帰ってノートを探したが無い。しばらく書いてなかったのでどこかに置きっぱなしにしているらしいということがわかり、かなり探してようやく出てきた。少し書いてみると、普段万年筆で文字を書かなくなっていたので姿勢とかペンの握り方とか自体を忘れていて、でも書いているうちに全身が活性化してくる感じがした。これはパソコンで文字を打っている時にはない感覚で、なるほどこういう身体性が今の自分には欠けていたんだなと思う。6ページほど益体もないことを書いてみたが、特に結論は出なくても心と身体が整った感じがして、これは頭で考えるためにというよりはまず心と身体のためなのだなと改めて納得した。

モーニングページを前回書いたのは去年の12月7日で、ずっと書いている時には年に5冊か6冊くらいのノートを使っていたのが一昨年の9月が書き始めになっているからだいぶ書いてないなと思う。最初に書き始めたのは2007年ごろで、万年筆のペン先が壊れて中断し、思い立って修理に出していたりもしたこともあったのだが、これをきっかけに少し書くようにしようかなと思う。なんというかだいぶ心の中にいろいろなものが溜まっていて、それが吐き出せないのがこのところの様々な不調の原因のような感じがするので、書いていくことで解決する部分は多分あるだろうなと思ったのだった。

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「岩波講座アフリカ諸地域」久しぶりに読む。苅谷康太「アラビア語史料から見るアフリカ」。これはアラビア語文献やアラビア文字で書かれた現地語の文献(アジャーミー)にどのようなものがあるかと、そこにどのようなことが書かれていたか、という概説的な内容。

サハラ以南のアフリカで書かれたものを内部史料、それ以外で書かれたものを外部史料と分類している。外部史料に関してはフワーリズミーとかイブン・ハルドゥーン、イブン・バットゥータといったイスラム史を勉強していると出てくる名前が並んでいてそれなりにイメージが掴める感じはあった。

イスラムの学問にはギリシャの「クリーマ」という概念からきた「イクリーム」という概念があり、これはほぼ「気候」ということだと考えていいと思うが、この「気候」によってそこにいる住民の性質が決まる、という考え方が強くある、という話が印象的だった。この考えはイブン・ハルドゥーンについて勉強したときに出てきたように記憶しているが、簡単にいうと酷暑のアフリカでは住民の人間性が劣ったものになるという極端な環境決定論の考え方で、これはアラブにおけるある種の科学性に基づく人種偏見なわけで、それは12世紀ごろから強まっているということだった。こうした考えはヨーロッパや日本にもあるわけで、南の方の人は人間性がのんびりするとか、そういうのも害のない程度ならいいのだが、科学の装いを持てば危険だなと思った。何かのマンガで「暑ければ勉強ができないならインドにお釈迦様は生まれない」という表現が出てきたのを思い出した。

内部史料に関しては「叙述史料」と「文書史料」があり、従来は「叙述史料」が研究されてきたがこれからの研究は「文書史料」が中心になるだろう、と書かれていた。これはつまり、叙述史料というのは一般の歴史学でいうところの「2次史料」にあたり、文書史料は「1次史料」にあたるわけだが、アフリカ史においては文字が使われていなかった地域が広く、時代が長かったということもあり、文書史料のみを史料とはできない(口承伝承も史料として用い、考古学の知見なども重視する)という事情があるから、文書史料に関しても一般の歴史学にあるような1次史料偏重主義ではないのだなという印象を受けた。

これは割とハッとしたのだが、一般の歴史学では一次史料偏重主義が強く、編纂された歴史を軽んじるところがあって、それが史料の呼び方にも表れているわけだけど、むしろアフリカ史のように「文書史料」「叙述史料」と呼んだ方が歴史学の自然科学に対するトラウマみたいなものから解放されて、本来の人文学的な部分がより重視されるようになるのではないかという気がした。

あげられているものでは叙述史料ではタンザニア東海岸の「キルワ年代記」、スーダンのフンジュスルタン国(16世紀から栄え、19世紀にエジプトのムハンマド・アリーに征服された)の「フンジュ年代記」、チャド湖周辺のボルヌ・カネムやモロッコに滅ぼされたソンガイ帝国の歴史などがある。

文書史料ではフンジュやダールフールの政治慣行、政治権力者が政治的ないし宗教的な影響力を持つ人々に土地や特権を与えるというものについての記述や、ソコト・カリフ国(ナイジェリア北部)が同じイスラム教徒のハウサ諸王国に対して「ジハード」を行った時にそれを正当化する理屈としてマグレブの法学者・マザーリーの記述を援用した記録などが取り上げられていた。

特にイスラムの普及した社会ではソマリアなど法定の記録なども残っているようで、今後そういうものは発掘されてアフリカ史に新たな知見が加えられることになりそうだなと思った。この章は、アフリカ史においては口承伝承が特記されがちなので、文書史料も重要だということを認識させるのが目的だったかなと思った。

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