明治政府ー帝国政府時代の神道の大きな変容/これからの時代に宗教はどんな役割を持っていくのか
Posted at 23/04/08 PermaLink» Tweet
4月8日(土)晴れ
今日は旧暦閏2月18日。朝ガソリンを入れに車を走らせたら低い空に丸い月が浮かんでいて、日付を調べたら18日の月だった。15日が望月、16日が十六夜月、17日が立ち待ち月だから今日は居待ち月か。いや、昨夜の名残りの月と考えると立ち待ち月ということか。どちらにしても、白い丸い月が山の端に低く残っていたが、もう沈んでしまった。
閏2月ともなると春本番、もう春分もすぎてだいぶ日が長くなってきて、部屋から見る向こうの街にも日が当たっているのが見える。家は東側に山があるので太陽が顔を見せるのはもう少し経ってからだが、空はもう十分明るくて、春の雲がふわっと浮かんでいる。
昨日は嵐のように風が強い時があり、雨はそれほどではなかったけれどもそれでも水溜りができるくらいには降っていた。一雨去ると明るくなっているけれども、木々や野山を潤して、庭の木や草もさまざまに花をつけ始めた。去年はなんとなく時期を失ってちゃんと見なかった花海棠が咲き始めているのを見るのは嬉しい。深山ツツジも見頃になった。水仙は花をつけている。そしてこちらでもあちらでも桜が満開だ。
仕事はなかなか結果に結びついていかないが、いろいろと考えられることをやっていこうと思う。執筆の方は「国家神道」がなんだかんだ言って面白く、とりあえずこれを読み終えたいと思う。反天皇制のイデオロギー的なところはもうだいぶハイハイと言って受け流せる感じになってきたから、落ち着いて読めるかなと思う。
昨日は「III国家神道の思想と構造」の章の3-5節、宮中祭祀と神社祭式、神職制度と神社の経営、天皇制下の創建神社、を読んだのだが、いろいろと知らないことが多くて面白かった。
宮中祭祀が明治に始められたことが結構多いというのはへえっと思ったが、その新しいパターンを作って画一的な祭祀を全国の神社にやらせるという体制が内務省主体で作られていったというのはよく知らなかった。どこの神社に行っても年中行事を見ると同じような祭礼をやっているのは、この時からの伝統が残っているのだなということは合点がいった。諏訪大社などは独特の祭祀がたくさんあったはずなのだが、それとは別にこの時代に起源を持つ祭礼がかなり多くなっているし、逆にいえば本来の祭礼の中には行われなくなったものも多いのだろうなと思った。
この辺は、神社の祭神が「この神が祀られているのはなぜ?」みたいな例が多くて変だなと思っていたのが実はこの体制下に組み込まれたために祀られるようになったのだなとが点がいったところが多かったのと同様、神社というものが全体的に明治以降の時期に全国一斉の画一性を持って国家に指導?されたからこうなっているというところこんなに大きいというのは読んでいて驚いたが、逆に事例は既にいろいろ知っているのでなるほどそれでこうなっているのかと理解ができた、というところはある。
祝祭日も元々の宮中の祭日に加えて多くの神社にあった農耕儀礼を取り込む形で作られた祭日、あと近代国家の祝日という形で加えられていったという過程がなるほどと思う。紀元節などもその一環ということになる。
個人の祭礼では、神葬祭は既に行われていたものの、神前結婚式が大正天皇の婚儀に合わせて式次第が形作られ、それが普及したものだという話は以前から知ってはいたが、要は日本においては婚礼というものはもともと宗教色の薄いものだった、というのはいろいろと考えさせられる。
結婚に関しては最近では夫婦の別姓問題や同性婚などが問題にされているが、これはもともとキリスト教国において結婚が宗教的に極めて重要だったことと関係しているのだろう。日本ではもともと婚儀の宗教性が薄いため、同性でも結婚しなければならないと強制性はそんなに強くなかった。そういうことまで何もキリスト教文化に合わせる必要はないわけで、従来の子育ての場としての家庭という考え方を維持していくのも一つの考え方ではないかと思った。
戦前は神職が公務員として遇されていたということの実態は制度的にはなるほどと思って読んでいたのだが、明治初年に12万社ほどあった神社が日露戦争後には19万社に増え、その経済的負担の問題から「神社合祀」が進められたということは知らなかったので、なるほどと合点が行った。
それだけ神社というものがその意味での国家の機関として位置づけられていたからこそ、そうした現在から見たら問題の多い政策が実行されたのだなと思う。わずかの間に8万社ほどが廃社・合祀されたわけだけど、私もコロナ禍で上京できない間に実家の地元の大小さまざまな神社に参拝に行ったのだけど、鳥居や森が立派な割に祠が小さくて粗末な感じな社が多く、同じ名前の神社が村社格の少し大きな神社に摂社として祀られているのを見て、なるほどこれが明治の神社合祀の方向性だったのだなと思ったことがあった。
当時内務大臣だった原敬のような合理主義者には予算の縮小が大きな問題だったのだろうなと思うが、南方熊楠が神社の森に生きてきた多くの生物種が犠牲になるという観点から神社合祀に反対していたのだけど、信仰の対象を経済合理性でまとめるというのは乱暴だなと思っていたが、国家の機関と見られていたことから考えると国家としての合理性はそこにあったのだなとは思った。この辺もまた「神社は宗教ではない」というテーゼのはらむ問題だったのだなと思う。
「国家祭祀」としての神社は内務省の所管で、仏教やキリスト教などの「宗教」は文部省の所管だった、というのもなるほどと思う、というか戦前の政府にとって「宗教(神道も含む)」はとても大きな、ある意味国家の基幹をなす問題、重要事項だったのだなと改めて思う。神社側と「宗教」側は常に対立し、また「宗教」の内部でも仏教とキリスト教の対立などもあり、現実には大本などに対する「宗教弾圧」も行われることがあったわけだから、この辺りの近代における全般的な宗教史はもっと関心を持たれ、また研究されていい分野ではないかと思った。
明治政府ー帝国政府下に創建された神社というのは主に4系統あり、戦没者を祀る靖国神社や護国神社、南朝方の人物を祀る神社、天皇や皇族を祀る神社、朝鮮台湾その他外地(いわゆる植民地)に作られた神社がある、というのはなるほどと思う。北海道神宮はどうなるんだということになるので植民地というより外地としたほうがいいような気もする。ちなみにハワイには現在でもヒロ大神宮(ハワイ島)ハワイ大神宮(オアフ島)があるそうだ。
特定の人物を祀る神社というのは古くは天神と同一視された菅原道真を祀る北野天神社などが考えられるが、直近の江戸時代において重要だったのは「神祖・徳川家康」を祀る日光と久能山の東照宮だっただろう。東照宮が明治初年にどういう状態だったのかという興味はあるが、少なくとも廃止はされなかったわけで、それに対抗する形で建勲神社(祭神は織田信長)や豊国神社(同じく豊臣秀吉)が創(再)建されたというのはなるほどと思う。他にも松陰神社そのほか、歴史的人物が祀られた神社が多く創建された。
南朝方が祀られたのは後醍醐天皇を祀った吉野神宮、護良親王を祀った鎌倉宮、楠木正成を祀った神戸の湊川神社などがある。また天皇を祀るという発想そのものが吉野神宮が始まりらしく、神武天皇を祀った橿原神宮や宮崎神宮(これは古くからあったが注目されたのは明治以降ということのようだ)、桓武天皇を祀った平安神宮、新しいものでは天智天皇を祀った近江神宮などがあるが、その最大のものは東京に作られた明治神宮だろう。
いろいろ考えてみると明治神宮というのは首都東京の守護神、鎮護神としての明治天皇の遺徳を頂戴する、というものだから、神宮外苑の樹木なども全国から献呈されたもののはずで、そういうものを都知事が勝手に切っていいものかと思うが、違う方向での対処がしてもらえるといいななどと思う。
このように見ていくと、明治以降の戦前期までの時代が、神社史にとっていかに重要な時代であり、現代に直結しているかということがよく理解できた。著者はもちろんこの時代を「天皇制イデオロギーの走狗となった国家神道」という形で否定・糾弾しているわけだけど、神道信仰そのものにとってはそれも一時代として全体を見ていきたいものだと思った。
保守主義を考えている私自身として、この時代の神社行政・宗教行政をどう考えるかというのは難しい問題、というか国家と宗教のどちらを重視するかで考え方が変わってくるところで、保守を標榜する人たちの中でも意見が分かれるところだろうとは思う。前に書いたように保守派には伝統重視の人もいるし国家重視の人もいる。また、神道信仰・神社組織は今後どうあるべきなのか、という問題も別の大きな問題としてあるわけで、神社本庁や各地の大神社もさまざまな内紛があったりして、この辺は歴史の中で国家の支配体制に組み入れられてきた仏教や神道が個人の信仰として生き残ることが可能なのかという問題もあり、また日本では国家宗教にならなかったために基本的に反国家的なキリスト教会(これは欧米ではないこと)なども含め、宗教全体がこれからの時代にどういう役割を持つことになるのかという問題もあるなあと思った。
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