「宗教にこだわるのはおかしい」という考え方と「宗教にこだわる人はおかしい人だ」という感覚、と日本は近代化したからそうなったのか、という問題
Posted at 23/04/05 PermaLink» Tweet
4月5日(水)晴れ
朝はまだなんとなく寒い。それでも最低気温は6.9度だったからそんなに寒くはないのだが、暖房なしというわけにはいかないし、昨夜も寝ている時はオイルヒーターをつけていた。でも着実に暖かくはなっている。今年は少し自分の体が花粉に反応している。30歳くらいまでは結構反応していたのだが、最近はあまり無くなっていたのだけど、今年は反応するのはいろいろストレスが多いからかなあとは思う。
村上重良「国家神道」(岩波新書、1970)をずっと読んでいて、ちょっと違う視点が欲しいなと思って注文していた岡田荘司「日本神道史」(吉川弘文館、2010)が届いたのでこれを読もうかなと思っていたのだが、読みかけで止まっていた「明治史研究の最前線」(筑摩書房、2020)に山口輝臣「宗教史研究 最前線の再構築」という章があったので読んでみたのだが、これは面白かった。
宗教史研究、特に近代の宗教史研究というのはやはりあまり重視されて来ていない、という「ある意味当然」の話から始まり、それが本当に当然なのか、ということに行くわけだけど、その過程の中でこの時代の宗教の理解に対して村上重良が持っていた大きな影響力というものについて検討していく過程が面白いなと思った。
私のように思想的に全く違うものが読んでも「国家神道」は面白いし勉強になるので、左翼的な思想を持っている人なら完全にその枠の中で明治の宗教史を捉えるようになるだろうなと思うし、実際のところ特に左派の人々の理解はこの本を元にしてるんだなと思えば大体間違いない、という感じはある。
現在では一般に馴染みが薄い明治の宗教に関して、まず一般認識の出発点として高校日本史の明治の宗教についての記述からの分析を始めるが、それは「信教の自由を軸とすることで、西洋由来の近代的価値の実現という教科書の近代史像の宗教版」であるとまとめられている。
すると問題になるのは、「日本では他の面では近代化=西欧化が進んだのになぜ日本ではキリスト教化が進まなかったのか」という問題があるということと、「近代化とともに宗教の役割は減少化し世俗化していく」という進歩主義的=通俗的な理解についての問題を指摘しているが、この茫漠とした理解は茫漠としているからこそ多くの人の常識と整合性がある、という指摘もまあ穿った言い方ではあるが理解はできる。
またもう一つの明治宗教史の権威として挙げられているのが戦後史学=マルクス主義史学の宗教史における権威、すなわち村上重良なのだが、彼の説は「戦前の日本は国家神道を国境とした宗教国家であり、それ以外の諸宗教は全て国家神道に従属していた」とまとめられている。
というか、村上説はそういう意味では大変まとめやすい。同じくマルクス主義者であるアルベール・ソブールの「フランス革命」理解について、彼に師事した日本の学者が「なんというデカルト的明晰」と表現したけれども、村上説はそういう意味で「デカルト的明晰」な分析であって、読んでいてわかりやすいので何が妥当で何が妥当でないかもすぐわかる、という意味で影響力も毀誉褒貶もあるだろうと思う。
つまり、変な留保が全くないということだ。まあその極端な潔さに読んでいて「本当にそうか?」と思えてくるところがある意味功績なんじゃないかと思うところがあるくらいで、私などでも疑問点はいくらでも出てくるが、彼に思想的に近い人はその辺のところは多分全部丸めて読めて、「やはりそうだったのか!国家神道は邪悪だ!教育勅語粉砕!神話教育打倒!」になることができるのだろうと思う。
まあそれはそういう意味では存在意味はあるのだが、それだけが権威であるというのはもちろん間違った状態だということになる。
これらの一般の理解の弱点は、「明治の人々にとって宗教はどのようなものだったのかということが見えてこない」ことだと著者は指摘しているが、これはまあそうだろうと思う。しかしここにおいて著者は明治期の大きな特徴、「神社は伊勢神宮からお稲荷さんまで全て宗教ではないものである」と行政的には扱われていた、ということが強調されている。つまり「明治から戦前期」は神社本庁以下の神道団体が宗教法人として扱われている現代や、神社が文字通り宗教的権威を持っていた江戸時代とも異なる一つの「時代」なのだ、と指摘しているわけである。
少し結論を先回りする感じになる、というか自分が読んでいての感想なのだが、現代において我々日本人の多くが「宗教はなんですか?」と聞かれた時に「無宗教です」と答えることと、戦前において「神社神道は宗教ではない(ことになっていた)」ことは関係があるのではないかと思う。つまり、神社が宗教施設ではないのであれば、神社に参拝してお賽銭を払い、神前で祈るのことは「宗教行為ではない」のである。また葬儀の際は檀家寺で仏式の葬儀を行う(今は葬祭センターで行うことが多いが、仏式葬儀を執り行うのは基本は檀家寺の住職だろう)のも、必ずしも宗教行為とは認識されていないだろう。私などは昔からそういうことを考える子供だったから意識はしていたが、「うちの寺」が「何宗」であるかを知らない人も現在では多いのではないかと思う。
つまり、日本人は他の民族から見たら明らかな宗教行為を宗教行為と思っていないわけで、結婚式だけキリスト教で神社に初詣に行き、お葬式はお寺というのが普通、というか選択肢の一つくらいに思っている。「神式仏式キリスト教式どれにする?」みたいな、熱心な信者からしたらバチ当たりみたいな考え方がメインストリームな訳である。
これは逆に言えば、日本にもともとなかった「宗教」という考え方に「こだわるのはおかしい」と無意識に思っているということで、江戸時代以前からの続きとも見えるし「神社神道は宗教ではない」という考えの続きともみえる。
逆に言えば、「宗教にこだわるのはおかしい」と思っているから、「宗教にこだわる人はおかしい人だ」ということになるわけで、そこに日本人の特徴があるのだろう。これは「日本人は近代化したから無宗教」というのとはちょっと違うのだと思う。
著者が宗教研究の最前線、として指摘しているのが80年代の「宗教(特にオカルト)ブーム」から1995年の「オウム真理教事件」への展開において、一般の人の「宗教に対する意識・感情」が劇的に変化したことを指摘している。この時多くの宗教学者が「オウム真理教より」の発言をして批判されたことは記憶に新しい。これは、昨年の安倍首相暗殺を契機に起こった各方面からの徹底的な「統一教会批判=袋叩き」と比べてみるとその変化の激しさがわかる。
つまり当時の宗教学者はむしろ「国家権力に対抗するものとしての宗教」というものにある種の左翼的な夢というか希望というか期待を持っていたということで、オウムを糾弾するような言説そのものを持ち合わせていなかったということになるのだろう。いうならば「邪教」としか言いようがないが、宗教学者がそのようなことは言えない。しかしそれとほぼ同じ意味の「カルト」という言葉が急速に一般に普及して、新宗教やそれに関連するヨガなどまである種の迫害に近い状態になったことは、ある意味での宗教学の敗北であったのではないかと思う。
結局、これによって「宗教という考え方そのものへの再検討」が急速に進み、「宗教研究における言語論的転回」が起こった、と著者はいう。また「言語論的転回かよ」と思ったが、まあ思想史で読んだ時の悪印象に比べればこちらの方はまだ説得力があるなと思った。
「言語論的転回」というものは言い換えてみれば、「宗教というものは私たちが思っていた(期待していた)ような宗教ではないかもしれない」という疑問を掘り下げていくということだろう。つまり、宗教学者たちは自分たちの期待していたように宗教を、具体的に言えば「オウム真理教」を見ていたわけで、これはマスコミや一般の人たちも同様だが、ある種の「面白宗教」みたいに取り上げたり、「これこそが近代の相対化=ポストモダンの旗手!」みたいに取り上げたりしていたわけだ。だからあのような凄惨な事件が起きてみると一切思考停止状態になったわけで、結局機能したのは国家公安委員長だった野中広務氏による警察力=国家の実力装置=「剥き出しの暴力」の大規模動員だけだったわけである。
本当はここから「イスラム原理主義のテロリズム」や「テロとの戦争」「キリスト教原理主義のアメリカ政治への影響力の増大」「白人右翼」などの世界情勢や日本における「スピリチュアル」の流行、つまり「ライトな宗教」の隆盛などの問題について論じてもらえると面白いとは思ったのだが、これは明治史の本なのでそれは間違った期待なのだろう。
ただ言語論的転回というのもなんというか、例えばイギリス人やドイツ人は「自分たちの先祖のものではない」のになぜギリシャやローマの古典を「自分たち西欧文明の古典」というのかとか、ある種の「見ないようにしている根本的な疑問」みたいな部分の探究と位置づければ当たり前のことというか、本質を探る学問の本来的な役割であると考えることはできるのだが、これが社会運動と結び付けられて「男性優位社会の破壊」みたいな話になると、現状有効に機能しているものまで根本的に破壊されるというラディカリズムの問題が起こってしまうので、そこらへんのところを警戒さざるを得ないということがある、というふうに整理しておけば良いのだなと思った。思ったから、考えたからといってすぐ動いてしまったら、「ぼくの考えたさいきょうの社会政策」になってしまう、というところを踏まえなければいけないというだけのことなのだと思う。マルクス主義、社会主義や共産主義の犯した過ちというのは基本的にそういうことなのだけど、人間というものは懲りないなとリベサヨやフェミニズムやポリコレやBLMの動きを見ていると思う。
本書に戻ると、「明治期になって新たに入ってきた新しい概念」である宗教というものに対する考え方は、「浮動的であった」という指摘である。つまり、宗教とそれ以外との区分は可変的であったということで、もちろんそこに先に述べた「神道は宗教ではない」の問題も絡んでくるわけだ。
現在の研究動向としては、特に国家神道については國學院での研究が進んでいるそうで、坂本是丸「国家神道形成過程の研究」(岩波書店、1994)という本が紹介されていたので少し見てみたいと思う。
その他後の指摘は研究的な次元の問題が多いのだけど、日本人が何に価値を感じ、どういうものをどういう過程で尊重し敬意を表するようになったのか、という問題、つまり私自身にとっての問題意識、「明治における保守思想の形成」というところとは少しずれがある、という感じではある。ただ、いろいろと参考になる視点を提供してもらったとありがたく感じてはいる。
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