神道の理論化:仏教側からのアプローチと神道側からのアプローチ

Posted at 23/03/27

3月27日(月)晴れ

昨日東京へ帰ってきた。最近、朝の特急がよく遅れるのだが、昨日も遅れて11時ごろ東京駅に着く予定が11時半ごろになった。

特急の中では「国家神道」を読んでいたのだが、奈良仏教に遅れて日本に来た天台宗・真言宗は神祇を取り込む必要から学僧たちが理論をつくり、天台が山王神道を、真言が両部神道をつくったと、つまり仏教側によって神道理論が造られたというのは認識していなかった。この本、なんだかんだ言って勉強になるので買うことにしたのだが、品切れ状態のようなので、マケプレで注文した。

神道側の理論化は鎌倉時代から南北朝時代の伊勢神道に始まるが、外宮の豊受大神の本質を天御中主神、つまり造化神とすることで内宮の天照大神よりも格上に据えるというアクロバティックな理論化があることを読んでいて思い出した。伊勢神道は南朝についたために権威としては衰退し、農民や商人の現世利益の方向に普及の方向を見出したというのは知らなかった。

吉田神道は応仁の乱の混乱に乗じて神道説の覇権を握り、神祇信仰の統一を求める幕府や朝廷の必要に答えたというのはなるほどと思う。この辺の理論や修行の原理についてはもう少しちゃんと調べないとわからないが、心には喜怒哀楽愛悪欲の七つの働きが、身体には生長老病死の五つの働きがある、という説明は、「生長の家」という教団の名前の起源がこの辺にあるのかなと思った。

東京駅で弁当を買って丸の内丸善で仕事の買い物をし、家に帰っていろいろやって、3時前に銀座に出かけた。銀座でいろいろ考えたが、それはまた後ほど。帰りに地元の駅のスーパーで鮨とビールなど買い、帰ってきて食事をして早めに休んだ。

早く寝たのはいいのだが、ビールを飲んだせいか早く目が覚めてしまい、2時台から起きている。どうもすでに眠いのだが、何とかちゃんと動ければと思う。昨日ツイートした内容などもまとめてnoteにしたい気持ちもあるのだが、また改めて書きたいと思う。今日は書こうと思っている本の内容をもう少し詰めるつもりだったのだが、この頭でどこまでできるか。

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