「保守」の理想とする人間像について、現在のところ考えていることをまとめてみた
Posted at 23/02/22 PermaLink» Tweet
2月22日(水)晴れ
今朝の最低気温はマイナス7.5度。まだまだ寒い。昨日の最高気温が0.1度くらいだから冷え込んでいると言えるだろう。昨日は朝は割とメンタル的にやばかったのだが、いろいろ考え直して、仕事をしていたらだいぶ回復した。少し疲れて元気をなくしていたということもあるのだろう。昨夜は11時ごろ寝て、今朝は起きたら5時だったのでそれなりに眠れた感じはある。
昨日は歩いていても下半身ががたがたする感じがあったのだけど、今日はそれほどでもない。疲れると足腰にくるというのはやはり年齢の反映なんだろうなとは思う。今日は上半身に力を感じたのでだいぶマシにはなっているのだろう。
***
昨日は保守についていろいろ考えていて、やはりイギリス保守主義の枠組みみたいなものを日本にそのまま持ち込むのは難しいなと思った。それならどうすればいいのだろうか、ということを昨日は考えるともなしにどこかで考えている、という感じだった。
それで今朝は保守の理想とする人間像というものを、このところ読んだものや考えたこと、ずっと前から思っていたことなどから考えてみようと思った。
根本的には、まず深い洞察力と人間理解、ということは昨日読んだ佐伯啓思さんの対談にも書いてあったが、これは大事だと思う。人間理解というのは人間が矛盾した存在であるということ、人間の多面性についての理解ということがまず大事で、そこが人間を一面的な存在と考える経済学(経済人)や合理的な存在と考えるリベラル思想などとの大きな違いということになるのだと思う。
それは具体的に言えば人文学の深い教養や各分野に対する高い見識、偏らないものの見方、異議申し立てをする批判力とそれに対する攻撃に耐えうる恒産の保持、社会を壊さない漸進主義、公平性、それぞれの立場や感じ方・考え方を理解・尊重した上で判断を下す一視同仁の精神、同志愛・隣人愛・人類愛、リーダーシップとフォロワーシップのどちらでも取れる姿勢の柔軟性、生命への畏敬、後進の育成などがあるだろうか。
強さは大事だが強いものが正義ではない、大国のマッチョイズムに対する批判の精神は必要だが、一方で大国のリーダーシップのあり方を論じ、大国としての義務意識を求め涵養することも大事だろうと思う。
宗教に対しては批判と尊重の両面の立場を持ち、「狂信」と戦うことも重要だろうと思う。本来、リベラルというものは宗教的狂信との戦いの中で生まれた考え方だと思うのだが、現代では彼ら自身が「狂信」になってしまっていることに人間性の困難があるのだろう。だから現代の「保守主義者の戦い」が狂信的なリベラリズムとの戦いとしてとらえられることになるわけだ。
保守思想として一つ大事なことは、近代的価値を盲信しない、狂信しないということだろう。「人権」「自由」「平等」「科学」「進歩」「民主主義」といった近代的価値をカッコに入れて考えることができるというのが、保守思想として重要なことだろうと思う。そうした価値をニュートラルなものとして考えることは、それらの価値について否定的ととられる危険を常にはらんでいるので、リベラルの立場からは手をつけにくい問題になってしまっている。
私は子どもの頃の一番大きな疑問は「民主主義はなぜ正しいのか」ということだった。「多数決で決まれば民主主義的でオッケー」、という物事の進め方が小学生の頃から「なぜそれが正しいんだろう」という疑問を持っていたのだ。中学3年で公民をやって民主主義を扱っていたので、「これでなぜ民主主義が正しいのかわかる」と思って期待していたのだが、全然わからずに終わった。
結局これは、「民主主義もたくさんある考え方の一つに過ぎない」「社会契約論もたくさんある国家観の一つに過ぎない」ということをかなり後になって理解して初めて納得が行ったのだけど、つまり我々は「正しいから民主主義を採用している」というよりは、チャーチルがいうところの「最悪だが他のどの政体よりもマシ」であるから民主主義を採用しているに過ぎない、ということなんだな、と理解したわけである。
こうしたウィットに富んだ考え方はリベラリズムにはなく、チャーチルのような保守主義者であるから言えることなのだと今にしては理解できるわけである。
だから保守の姿勢の一つ重要なところは、近代的な価値をカッコに入れて吟味し直すこと、また近代的価値に基づく合理主義的設計主義によって作られた様々な制度を修正(場合によっては廃止)することを目指すこと、そうした方向性に対して異議申し立てをすることというのがあるということなのだと思う。
日本におけるそうした保守主義というものは、イギリスのように何世紀も続く伝統的価値観からの演繹、思想家たちの様々な思考の営為の延長線上に積み上げられたものではないところに困難がある。つまり、ヨーロッパはデカルトやスピノザの時代から始まる近代主義的な方向性に対して、その時代その時代における疑問や批判、反対の歴史も積み上げられてきていて、例えば18世紀のヒュームなどは懐疑主義者であり無神論者であって当時においては相当宗教的保守主義の破壊者であったわけだけれども、現代においてはむしろその懐疑主義が近代主義の批判についても用いられるようになっているわけで、ヨーロッパの保守主義が近代主義の発展と伸張といわば平仄を合わせて形成されてきた長い歴史を持っているということが言える。
日本における近代主義は、その萌芽はともかく、結局は幕末の「西洋の衝撃Western Impact」から始まるものであって、キリスト教的伝統ではなく儒教や仏教、神道との価値観との戦い(福澤諭吉が神社のご神体の石を投げ捨て、他のその辺の石を置いて有り難がっている人たちを笑ったエピソードなどが思い出される)から始まっている。そこに自由民権思想が取り入れられたが、これも元はと言えば国民皆兵のためには平民に「権利」を与えなければならないという板垣退助の発想から始まっている(会津戦争において会津の農民が会津藩兵から追い剥ぎをしていたエピソードなど)わけで、人権思想などは当時はその先にあった。当時の日本においては近代化は生き残るための急務だったわけだから、その批判は当初はなかなか強くはならなかった。
だから日本における保守主義現象の最初の現れは、条約改正交渉のための鹿鳴館外交に対する批判や明治20年台の日本主義の勃興が最初にあり、そういう意味で日本の保守主義はナショナリズムと切っても切れない関係にならざるを得ない点があり、それは現代まで尾を引いている。反帝国主義的姿勢・アジア主義的な姿勢が右翼思想に残存しているのはそういう意味が強いだろう。
次の契機は大正デモクラシーにおける人道主義的理想主義が現代のリベラリズムにも大きな影響を与えていると考えられる。
ただ、これは今の時点の考えだけれども、現代の日本の保守主義というものもこの時代に成立した「教養の精神」のようなものがベースになるべきものではないかという考えを私は持っている。白樺派的な理想主義は保守の精神とは言えないけれども、ある意味この時代において日本独自の意味での「教養の精神」が成立し、それをこそ保守主義を目指すのであれば我々はベースにしなければならないのではないかと考えているということだ。それは江戸時代以来の儒学的・国学的な精神とも違い、明治の愛国主義的ナショナリズムとも違い、思索的ではあるがより本質探究的な姿勢を持った精神ではないかと思う。佐伯啓思さんが西田哲学に可能性を見出していることとおそらく通じるのだろうと思うけれども、戦前期の後半のある時期に、「近代主義と進歩主義に対抗する西欧における問題意識」と「日本的な思考の伝統」とが化学反応を起こした「日本的教養の精神」が育ちつつあったのではないかと思う。
しかし、正直誰がその時期の保守主義の代表的人物かというと今のところはわからない。結局アメリカとの戦争に負けることでアメリカ的進歩主義が強制的に輸入された戦後期において、ようやく三島由紀夫にしろ小林秀雄にしろ福田恒存にしろはっきりとした批判の形が生まれたようにも思う。彼らの批判の精神が戦前期の人文学的教養主義の素養の中で生まれたことは確かであって、そういう意味で戦前期の教養主義の中にそういう像を投射しているというところもなくはないだろうとは思うのだが。
その辺のところは今後とも考えを進めていきたいと思う。
あともう一つ思うのは、「保守主義の精神」は「傾き者(かぶきもの)」たることを必ずしも志向しない、ということだろうか。これは西部邁さんの口吻をよく思い出すのだが、「異常なものを楽しみ味わうためにはこちとらは正常でなければならない」というようなこと(もっと洒落た言い回しだったと思うが)西部さんはよく言っていた。しかし、それを楽しむためにはある種の「狂」の精神が必要だ、ということは思う。西部さんの最後の自裁などに関しても、ある意味「狂」の人だったなあと今でも思うのだが、そうした「狂」の精神を必要とするということもおそらくは保守の人間理解には必要なことであり、それは「趣味」を必要とする、ということだと言い換えてもいい。「趣味」とは「狂」、すなわち「風狂」のことなのだから。
ということで、現在のところ考えている「保守主義の理想とする人間像」についてまとめてみた。今後とも考えを進めていきたいと思う。
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