大雪/日本銀行総裁に初の学者出身の植田和夫氏

Posted at 23/02/11

2月11日(土)建国記念の日 大雪の次の日、晴れてきた

昨日は大雪だった。午前中、母を岡谷の病院に連れて行ったときは吹雪という感じだったがまだ積雪はあまりなかったのでよかったのだが、昼過ぎには20センチ近くは積もっていて、重い雪で雪かきが大変だった。実家の前、作業場の駐車場とそこに登る道、仕事場の駐車場と通路と雪かきをしなければならない場所が多いのだが、腰に来ないといいんだけどなと思いながらやっていた。右足のカカトのあたりがひび割れてしまって痛いのだが、雪かきをしているときは気にならないのは何故なんだろうか。

昨日は雪のせいもあって仕事は割合暇で、溜まった仕事を片付ける時間がなくもなかったのだがいろいろと疲れが出て来ていてあまり進められなかった。

今朝も起きてから家の前の雪かきをし、国道を走ってガソリンを入れに言ったが、流石に国道は比較的綺麗に除雪されていて、走りやすかった。仕事場の準備をして作業場に戻ってブログを書いているが、ここももう少し雪かきをしないとなと思っている。

日本銀行の新しい総裁の人事が発表されたが、初の学者出身の日銀総裁起用ということでかなり驚きをもって受け止められているようだ。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB106UI0Q3A210C2000000/

黒田現総裁の大規模金融緩和政策をどう受け継ぎどう修正していくのかはまだこれからだと思うが、日銀出身と大蔵省出身がほとんどを占めている戦後の日銀総裁人事にあって、学者出身というのは戦前もあったかなと思って調べて見たらいなかった。

安倍さんや菅さんは学者嫌いという印象があったので、これは岸田さんらしい人事と言えるのではないかと思う。

戦前の日銀総裁は明治15年(1882年)の日本銀行発足から終戦の昭和20年(1945年)までで16代15人の総裁がいて、戦後は植田氏で16人目なのでちょうど同じ人数になる。ただ戦前は63年間で戦後はすでに78年目なので、戦後の方が平均在任年数は長いということになる。黒田総裁も10年だからかなり長い。

https://www.boj.or.jp/about/outline/history/pre_gov/index.htm

戦前の日銀総裁は初代の吉原重俊などはまだ制度が整う前なので、松方正義の元での中央銀行創設準備に関わった人たちということになるが、3・4・5代目の川田小一郎・岩崎弥之助・山本達雄と三代続けて三菱出身者が総裁になっているのは目を引く。戦後は21代の宇佐美洵も三菱銀行出身だが、これは1964-69の佐藤栄作内閣の高度成長期にあたる訳だけど、この辺り何か事情があるのだろうけどよく理解してはいない。所得倍増の池田内閣とは違って佐藤はどちらかというと引き締め寄りの思想だったが結果的に高度成長を実現していてその辺は調べれば面白いのだろうなと思う。ただ宇佐美も全国銀行協会会長からの転身なので、民間の声を聞くという意味合いが強かったのかもしれない。

戦前は日銀生え抜きで総裁になったのは大蔵大臣時代に金解禁政策で不況を招き、血盟団事件で暗殺された井上準之助が初めてなのだが、三井出身の池田成彬や第一銀行の渋沢敬三なども総裁を務めていて、戦前の方がむしろ官界の外の人材が登用されていた印象はある。

日銀出身の井上が大蔵大臣の時に極度の緊縮政策で、その後の犬養内閣で大蔵大臣になった農商務省出身の高橋是清(第7代日銀総裁)が金融緩和を行なって景気を回復させたというのは、やはり出身による政策思想の違いみたいなものはあるんだろうなと思う。

私などは経済に注目するようになったのは最近なのでこうした人事もあまり知らなかったので今そんなものかと思っているところなのだが、植田氏がどのように「賃金上昇を伴った物価の安定した上昇による経済の好循環」をもたらしてくれるのか、期待したいと思う。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday