「安倍晋三回顧録」有権者の声を聞くことの大切さ/「貴族とは何か」イギリスの貴族がヨーロッパでも特別だったこと/雪が降り出した

Posted at 23/02/10

2月10日(金)曇り

今日は雪の予報らしく、電話で打ち合わせた人が「金曜日は雪が降りそうなので別の日に」と言っていたのだが、今のところ降っていない。ただ雪が降る前らしい変な薄ら寒さはあるので、降るのだろうなとは思う。と言っていたらチラついてきた。今日は母を病院に連れていく日なのだが、さてどうなるか。

昨日は午前中に松本の整体に行き、体を見てもらった。このところまともに寝られてないのであまりいい感じではないのだが、まあいろいろ気をつけてなんとか体調を維持したいと思う。

思うところあって昨日は「放課後ひみつクラブ」1巻と「平成少年ダン」の1・2巻を買おうと松本に行ったついでにツタヤで探したのだが、「平成少年ダン」の1巻が見つからず、帰りに岡谷の笠原書店にも寄ったのだが見つからなかった。あと可能性があるのは諏訪の二つの書店だが、どうなるか。

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「安倍晋三回顧録」は今第4章140ページまで読んだ。第2章が小泉内閣の幹事長時代から第一次政権を経て辞任、再起を図るところまでで、第3章が第二次政権の発足あたりということになる。

特に印象に残っているのは、退陣からしばらくした2008年ごろに高尾山に登り、その時に多くの人に「元気になったんですか」「頑張ってください」と声をかけられたことが自信を回復し再度挑戦しようという気持ちになる大きなきっかけになったということ。やはりそれまでは日の当たる場所を歩んできたプリンス的存在だったのが、第一次政権では理念的な政策はかなり実行できたものの辞任の経緯から厳しくマスコミに叩かれたことが尾を引いていたということのようだ。

あの辞任会見のことは私もよく覚えているが、私は安倍さんを強く支持していたのであの時は本当にショックだった。個人の政治家にそんなに思い入れをすることはおかしいと友人に言われたのだが、私自身も落ち込んでしまったので確かにこういうのはよくないなと思ったことを覚えている。私でさえそうなのだから安倍さんは本当に苦しんだだろうし、やはり萎縮してしまうところがあったのだろうなと思う。そしてそういう政治家にとって、本当の意味で励ましになるのは家族の声もそうだけど、国民からの温かい言葉であることは間違い無いだろうなと思う。

もう一つ印象に残ったのは、2009年の自民党下野中の選挙で徹底的に地元を回ったという話。ケーブルテレビが入らないというような市会議員にいうような話も聞いたというのだから本当にドブ板選挙だったのだろうと思う。そしてこの時は、二十人程度の小さな集会をこまめに開いて話をしたと。

なるほどと思ったのは、「200人の大会をやると、参加者は「安倍の話を聞いた」という。だが、20人の会合では「安倍と話した」というようになる。20人で効率が悪いように見えるけど、この20人が運動員になってくれる。・・・このミニ集会は大きな意味を持ちました。」という話だった。

有権者にとっては、「話を聞いた」政治家より、「話をした」政治家の方が親近感が湧くのは間違いない。また、政治家が積極的に人々に握手をするのも同じ意味だろう。「やあ久しぶり。お母さん元気?」と聞くだけで相手は味方になる、というようなことを知り合いの市長経験者が言っていたが、民主主義社会での権力基盤というものはそうやって築いていくのだということを改めて感じた。安倍さんの選挙での得票数が最も多かったのはこの2009年の下野中の選挙だったのだそうだ。これは田中角栄の得票数が一番多かったのがロッキード事件で逮捕された後の選挙だったというのと通じるが、このときの田中角栄も生き残りをかけて徹底的な地元選挙をやったはずで、地元の熱い支持というものがどれだけ政治家の力になるかということをまざまざと見せてくれる。

それからこの時の運動の時に地元の声を徹底的に聞いたことで、第一次政権の時の理念中心の政策から、やはり有権者は生活・経済が一番の関心事なんだと気付かされたといい、経済の専門家との勉強会の中で、当時の財務省・日銀の政策が間違っていると確信し、いわゆる「アベノミクス」の政策を練り上げて行ったという話はダイナミックな政策の形成過程を読んでいるようでよかった。

時の政権に核となる政策がないと財務省が近づいてきてどっぷり頼るようになり、「菅直人首相は、消費増税をして景気をよくする、といった訳のわからない論理を展開しました。民主党政権は、あえて痛みを伴う政策を主張することが、格好いいと酔いしれていた。財務官僚の注射がそれだけ効いていたと言うことです。」と言うのは全くそうだろうなと思う。まさに「財務真理教」状態というべきだ。安倍さんが明確な経済政策を持っていたからあれだけのことができたのであり、逆に言えばそれでも消費増税は止められなかった、と言うことにもなる。いかに財務省支配が強いかという傍証にもなる。

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「貴族とは何か」。第3章「イギリス貴族の源流と伝統 現代に生き残った貴族たち」を読んでいるが、やはりこれは著者の君塚さんの専門部分でもあり、骨もあるし充実もしているので昨日は読みきれなかった。今は第2節の「議会政貴族の柔軟な姿勢」の第1項「議会政治の担い手として」のところまで読み終えた。

こちらもとりあえず印象に残ったことだけ書いておくが、一番大きいのは貴族という存在を主体にとって見てみると、イギリスの状況が他の国と全く違っていたということはもう一つ認識が弱かったなということ。イギリスの貴族たちは自分たちの所領経営だけでなく政治にも参加するとともに税金も納め、また事業家としても活動して運河を開いたり鉄道を敷いたり、また鉱山経営なども行って莫大な富を得て、慈善活動だけでなくインフラの整備にも力を尽くした存在だった。また貴族たちのパブリックスクールへの進学率もどんどん上がり、きちんとした教育を受けるようになっていたということも大きいだろう。

他の国においては、特にフランスでは革命で封建的特権は廃止され、国外に逃亡した貴族たちは所領を奪われた訳だが、ナポレオン没落後に帰国した貴族たちにその所領が帰ってくることはなく、復古王政にとっては大きな問題だったのだが、結局は「10億フラン法」によって補償されることになった。これは市民の反発を招いたが、逆に言えばそれでカタがついたということでもある。日本で言えば版籍奉還による大名の所領没収と秩禄処分による武士の俸禄の弁済のようなもので、ドラスチックな変革に比べれば大勢を変えるような問題になることなくうまく納めたということだっただろう。

もちろんその補償金で所領の一部を買い戻した貴族もいた訳だが、地位としてはブルジョアと同じ地主であり、イギリスの貴族たちのように産業の新しいパトロンとして大金をはたけるような立場ではなかっただろう。ドイツやイタリア、ロシアやスペインの貴族たちも、所領経営がうまく行っている貴族はそう多くなかったと思われ、イギリスの貴族たちの突出した成功ぶりは大英帝国の基礎となり、またその結果でもあったのだろうと思う。

この本は本当に焦点の当て方がいいなあと思うのだが、わかりやすく歴史的なイメージを描いてくれていると思う。


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